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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>ルーシー・ブラックマンさん事件</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ルーシー・ブラックマンさん事件'''（ - じけん）は、2000年7月、[[神奈川県]][[逗子市]]で[[イギリス]]人女性のルーシー・ブラックマン（Lucie Blackman）が殺害されたとされる事件。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | url=http://www.iza.ne.jp/izaword/word/7837/definition/%25E3%2583%25AB%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2596%25E3%2583%25A9%25E3%2583%2583%25E3%2582%25AF%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2581%2595%25E3%2582%2593%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6/ | title=ルーシー・ブラックマンさん事件【るーしー・ぶらっくまんじけん】 | date=2007年4月24日 | publisher=[[産経新聞|iza!]] | accessdate=2008年8月8日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の概要==&lt;br /&gt;
2000年7月1日、元英国航空乗務員で、ホステスとして[[六本木]]で働いていた被害者が友人に連絡後に行方不明になった。3日には、男から被害者の友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。8月22日に被害者の妹が記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。9月下旬には、警視庁捜査一課と麻布署が被害者が勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の男を調査している事が明かになった。また、被害者の周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚した。10月には、別件の準強制わいせつ容疑で容疑者が逮捕された。後日、神奈川県三浦市内の所有するマンションの一室やモーターボート付近の海岸などを警察が捜索した。被害者が失跡した直後の7月5日頃、容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されていた。11月17日に同容疑者が再逮捕された。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴された。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請した。2001年1月26日、オーストラリア人女性に対する強姦致死容疑で再逮捕された。2001年2月、容疑者のマンションから近い三浦市内の海岸にある洞窟内で、地面に埋められた浴槽内で遺体がバラバラに切断された状態で発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==裁判==&lt;br /&gt;
2007年7月24日、[[東京地裁]]は1審で、被告に対し女性9人に対する準強姦致死罪などで無期懲役が言い渡された。しかし、当事件に関与した疑いがあるとしながらも、死因などについて証拠不十分とされ、無罪になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年3月25日、[[東京高裁]]で控訴審初公判が開かれた。弁護側は、当事件の被害者とオーストラリア人殺害事件に関して無罪を主張した。検察側は、行動や言動に不審な点があると指摘した。一審判決で第三者が関与した疑いがあるとした点について、「チェーンソーやセメントを購入しており、被告の単独犯行であることは明らか」と主張し、一審判決の棄却を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年7月、被告は、1審で被害認定を受けたオーストラリア人女性の遺族に、見舞金1億円を支払っていたことが明らかになった。被告は、この見舞金を「お悔やみ金」としており、女性に対する殺害は関係ないと主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年12月17日、東京高裁は、当事件での一審判決を棄却し、被告に無期懲役を言い渡した。被告側は最高裁に上告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==註==&lt;br /&gt;
{{reflist|1}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[[http://makizushi77.hp.infoseek.co.jp/sub4PAKUIRU.html ルーシーブラックマンさんを殺害した犯人も「在日韓国人」]&lt;br /&gt;
*[http://lucies-case.to.cx/ ルーシー事件の真実]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:るうしいふらつくまんさんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
[[Category:在日コリアン]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<title>ルーシー・ブラックマンさん事件</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: 新しいページ: ''''ルーシー・ブラックマンさん事件'''（ - じけん）は、2000年7月、神奈川県逗子市でイギリス人女性のルーシー・ブラック...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ルーシー・ブラックマンさん事件'''（ - じけん）は、2000年7月、[[神奈川県]][[逗子市]]で[[イギリス]]人女性のルーシー・ブラックマン（Lucie Blackman）が殺害されたとされる事件。&amp;lt;ref&amp;gt;{{cite web | url=http://www.iza.ne.jp/izaword/word/7837/definition/%25E3%2583%25AB%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B7%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25BB%25E3%2583%2596%25E3%2583%25A9%25E3%2583%2583%25E3%2582%25AF%25E3%2583%259E%25E3%2583%25B3%25E3%2581%2595%25E3%2582%2593%25E4%25BA%258B%25E4%25BB%25B6/ | title=ルーシー・ブラックマンさん事件【るーしー・ぶらっくまんじけん】 | date=2007年4月24日 | publisher=[[産経新聞|iza!]] | accessdate=2008年8月8日}}&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==事件の概要==&lt;br /&gt;
2000年7月1日、元英国航空乗務員で、ホステスとして[[六本木]]で働いていた被害者が友人に連絡後に行方不明になった。3日には、男から被害者の友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。8月22日に被害者の妹が記者会見し、1万ポンド(当時160万円)の懸賞金をかけて有力情報の呼びかけを行った。9月下旬には、警視庁捜査一課と麻布署が被害者が勤めていたクラブの常連客で不動産管理会社社長の男を調査している事が明かになった。また、被害者の周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっている事が発覚した。10月には、別件の準強制わいせつ容疑で容疑者が逮捕された。後日、神奈川県三浦市内の所有するマンションの一室やモーターボート付近の海岸などを警察が捜索した。被害者が失跡した直後の7月5日頃、容疑者がこのマンションを訪れて管理人とトラブルになったり、スコップを持って海岸を歩いているのが目撃されていた。11月17日に同容疑者が再逮捕された。東京地検は同日、英国人女性に対する準強姦罪で追起訴された。警視庁はDNA鑑定のため、ルーシーさんの家族に毛髪提供要請した。2001年1月26日、オーストラリア人女性に対する強姦致死容疑で再逮捕された。2001年2月、容疑者のマンションから近い三浦市内の海岸にある洞窟内で、地面に埋められた浴槽内で遺体がバラバラに切断された状態で発見された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==裁判==&lt;br /&gt;
2007年7月24日、[[東京地裁]]は1審で、被告に対し女性9人に対する準強姦致死罪などで無期懲役が言い渡された。しかし、当事件に関与した疑いがあるとしながらも、死因などについて証拠不十分とされ、無罪になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年3月25日、[[東京高裁]]で控訴審初公判が開かれた。弁護側は、当事件の被害者とオーストラリア人殺害事件に関して無罪を主張した。検察側は、行動や言動に不審な点があると指摘した。一審判決で第三者が関与した疑いがあるとした点について、「チェーンソーやセメントを購入しており、被告の単独犯行であることは明らか」と主張し、一審判決の棄却を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年7月、被告は、1審で被害認定を受けたオーストラリア人女性の遺族に、見舞金1億円を支払っていたことが明らかになった。被告は、この見舞金を「お悔やみ金」としており、女性に対する殺害は関係ないと主張している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2008年12月17日、東京高裁は、当事件での一審判決を棄却し、被告に無期懲役を言い渡した。被告側は最高裁に上告した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==註==&lt;br /&gt;
{{reflist|1}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:るうしいふらつくまんさんしけん}}&lt;br /&gt;
[[Category:平成時代の殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<title>松本龍</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松本 龍'''（'''まつもと りゅう'''、[[1951年]][[5月17日]] - ）は、[[日本]]の[[男性]][[政治家]]。[[衆議院議員]]（6期）。[[福岡県]][[福岡市]]出身。[[民主党]]（[[新政局懇談会]]）。民主党中央代表選挙管理委員長、福岡県総支部連合会代表。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部落解放の父[[松本治一郎]]の孫。実家は祖父の代からの[[ゼネコン]]・[[松本組]]。自身も顧問を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[福岡市立馬出小学校]]から[[福岡市立福岡中学校]]、[[福岡県立福岡高等学校]]を経て[[中央大学]][[法学部]][[政治学科]]卒業。[[1980年]]、父松本英一（[[参議院議員]]）の[[秘書]]となる。[[1990年]]から[[衆議院議員]]。[[部落解放同盟]]副委員長。[[日韓議員連盟]]常任幹事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[一ノ宮美成]]、[[グループK21]]編『同和利権の真相4』（[[2005年]]、[[宝島社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.open-ryu.net/ 衆議院議員 松本りゅう]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*[http://www.minsyuto.jp/ 民主党福岡県総支部連合会]&lt;br /&gt;
*[http://www.bll.gr.jp/ 部落解放同盟中央本部]&lt;br /&gt;
*[http://www.matsumotogumi.co.jp/index.htm 株式会社松本組]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつもと りゆう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本社会党の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:被差別部落]]&lt;br /&gt;
[[Category:部落解放同盟]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1951年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: 新しいページ: ''''松本 龍'''（'''まつもと りゅう'''、1951年5月17日 - ）は、日本の男性政治家。衆議院議員（6期）。福岡県[[福...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''松本 龍'''（'''まつもと りゅう'''、[[1951年]][[5月17日]] - ）は、[[日本]]の[[男性]][[政治家]]。[[衆議院議員]]（6期）。[[福岡県]][[福岡市]]出身。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
部落解放の父[[松本治一郎]]の孫。実家は祖父の代からの[[ゼネコン]]・[[松本組]]。自身も顧問を務める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[福岡市立馬出小学校]]から[[福岡市立福岡中学校]]、[[福岡県立福岡高等学校]]を経て[[中央大学]][[法学部]][[政治学科]]卒業。[[1980年]]、父松本英一（[[参議院議員]]）の[[秘書]]となる。[[1990年]]から[[衆議院議員]]。[[部落解放同盟]]副委員長。[[日韓議員連盟]]常任幹事。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
*[[一ノ宮美成]]、[[グループK21]]編『同和利権の真相4』（[[2005年]]、[[宝島社]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.open-ryu.net/ 衆議院議員 松本りゅう]（公式サイト）&lt;br /&gt;
*[http://www.minsyuto.jp/ 民主党福岡県総支部連合会]&lt;br /&gt;
*[http://www.bll.gr.jp/ 部落解放同盟中央本部]&lt;br /&gt;
*[http://www.matsumotogumi.co.jp/index.htm 株式会社松本組]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:まつもと りゆう}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡県の政治家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本社会党の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:被差別部落]]&lt;br /&gt;
[[Category:部落解放同盟]]&lt;br /&gt;
[[Category:福岡市出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1951年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<title>柳川次郎</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: 新しいページ: ''''柳川 次郎'''（やながわ じろう、1923年5月 - 1991年12月12日）は、日本のヤクザ、右翼活動家。暴力団[[山口...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''柳川 次郎'''（やながわ じろう、[[1923年]][[5月]] - [[1991年]][[12月12日]]）は、[[日本]]の[[ヤクザ]]、[[右翼]]活動家。[[暴力団]][[山口組]][[柳川組]]初代組長。[[柳川総業]]会長。[[亜細亜民族同盟]]名誉会長。[[日韓友愛親善会]]名誉会長。[[国際宗教同志会連盟]]理事長。[[在日韓国人]]で、本名は'''梁 元?'''（'''ヤン・ウォンソク'''）。若い頃は「'''マテンの黒シャツ'''」と呼ばれた。'''柳川 魏志'''とも名乗った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生い立ち ==&lt;br /&gt;
[[大正]]12年（[[1923年]]）5月、[[釜山広域市|釜山]]で生まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[昭和]]2年（[[1927年]]）、柳川次郎の父・梁在江が、朝鮮の経済悪化により[[日本]]に移住した。梁在江は青果物の行商を営んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和5年（[[1930年]]）春、父の招きで、柳川次郎は母・河舟淑と弟・亨錫ともに来日した。父の住まいは[[大阪府]][[豊能郡]]岡町だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和7年（[[1932年]]）3月、大阪府豊能郡南豊島村第二尋常小学校（後の豊中市立[[原田小学校]]）に入学した。父親の方針で小学校時代を韓国名・梁元?で通した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和10年（[[1935年]]）、担任先生の福西為一の任命により、副級長となった&amp;lt;ref&amp;gt;当時は、韓国人に対する差別や偏見が蔓延しており、画期的なことだった&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和15年（[[1940年]]）、柳川次郎は、[[城東職工学校]]に進学した。同年、[[阪急電車]][[豊中駅]]前で、6人の徴用工と睨み合っていた同胞の[[在日韓国人]][[谷川康太郎]]（本名は'''康東華'''：カン ドンファ。後の[[柳川組]]二代目）を助けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和16年（[[1941年]]）、柳川一家は、半ば勧誘、半ば[[強制労働]]のような格好で[[大分県]][[中津市]]の[[神戸製鋼所]]の工場に駆り出された。柳川一家は、中津市に移り住んだ。当時の神戸製鋼所は[[軍需工場]]の役割を担っており、施設を建設しながら操業すると云う突貫工事に入っていた。[[大林組]]が建設を請け負っていた。ここで柳川次郎は[[鳶職]]に就いた。このとき、柳川次郎は、朝鮮人を差別していた大林組の鳶と乱闘となり、半殺しの目にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和20年（[[1945年]]）、敗戦を迎えると、柳川一家は帰国を決意した。柳川一家は、[[下関市|下関]]・[[釜山広域市|釜山]]間の乗船許可証を入手した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月5日、柳川一家は下関に到着した。乗船日は同年11月7日だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月6日、柳川次郎は、下関の[[愚連隊]]3人と喧嘩になり、[[下関警察署]]の警官隊に逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月7日午後、柳川次郎は釈放されたが、柳川が乗船するはずの船は既に出港していた。柳川次郎は身寄りがいなくなってしまい、[[豊中市]]に戻った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 戦後の混乱期から柳川組結成まで ==&lt;br /&gt;
昭和21年（[[1946年]]）5月、柳川次郎は谷川康太郎と再会した。2人は[[神戸市]]に出て、[[闇市]]などでヤミ物資の強奪を繰り返した。それから、柳川と谷川は、仲間とともに、[[菅谷政雄]]（通称は'''ボンノ'''。後の三代目[[山口組]][[若頭補佐]]）の率いる[[国際ギャング団]]に加担した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月7日、菅谷政雄が強盗容疑で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年6月30日、柳川次郎は[[強盗罪]]で[[豊中警察署]]に逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和22年（[[1947年]]）11月9日、谷川康太郎も強盗罪で[[生田警察署]]に逮捕された。柳川次郎は[[大阪拘置所]]に送致されたが、ここで暴動が起こり、それに乗じて集団脱走した。このため、柳川次郎は、強盗罪で[[懲役]]7年に加え、加重逃走で懲役2年の[[実刑判決]]を受けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年9月5日、柳川次郎は[[鳥取刑務所]]に服役した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和27年（[[1952年]]）8月1日、柳川次郎は鳥取刑務所から仮出所した。柳川次郎は、鳥取刑務所で知り合った[[金昌玉]]の勧めで、大阪府[[池田市]]西本町の「猪名川食堂」経営者・[[新井孝造]]（神戸市・[[五島組]]系の[[博徒]]だった）を訪ねた。柳川次郎は、ここに2ヶ月ほど滞在し、賭場の雑用などを行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年10月、柳川次郎は、以前鳶で働いていた大分県中津市に移った。ここで、中津時代の知り合いだった[[南仲次]]と再会した。柳川次郎は、南仲次に[[テキヤ]][[吉富組]]・[[吉富政男]]組長を紹介してもらい、吉富政男の[[舎弟]]となった。吉冨政男は、[[小倉市]]の[[テキヤ]]・三代目[[村上組]]・村上義一組長（本名は'''沢田義一'''。三代目[[山口組]]・[[田岡一雄]]組長の舎弟）の舎弟だった。柳川次郎は、バーや[[中津駅 (大分県)|中津駅]]前の[[パチンコ]]店の用心棒となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和28年（[[1953年]]）2月、[[福岡県]][[豊前市]]の歳の市で、中津市のテキヤと地元のテキヤが地割りで揉めた。中津市のテキヤ代表は、[[金本組]]・[[金本次郎]]組長で、豊前市のテキヤ代表は、[[諏訪組]]・[[諏訪悦郎]]組長（後の[[松葉会]]常任幹事）だった。対立の中、金本次郎が日本刀で刺殺された。豊前側には、[[別府市]]の[[石井一郎]]（通称は'''別府のジャギ'''。本名は'''山川一郎'''。後の三代目[[山口組]]初代[[石井組]]組長）がついていた。石井一郎と金本次郎は兄弟分だった。柳川次郎は、吉富政男から、石井一郎を中津側に戻らせるように説得を依頼された。柳川次郎は、石井一郎と福岡県築城町で会談し、石井一郎の説得に成功した。石井一郎は中津市に戻り、金本次郎の位牌に焼香した。これを契機として柳川次郎と石井一郎は兄弟分となった。石井一郎に裏切られた格好になった諏訪悦郎は、結局豊前から撤退した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川次郎の下には[[野沢義太郎]]（後の五代目[[山口組]][[舎弟]]）や[[福田留吉]]らが集まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和28年（[[1953年]]）、柳川次郎は、石井一郎とともに、[[大長組]]・[[大長健一]]組長（通称は'''兇建'''）の[[舎弟]]となった。立会人は、村上義一と、村上組[[若頭]]格・[[長谷川則]]だった。このとき、石井一郎は、村上義一の若衆だった。大長健一は、大長組の金庫番兼代貸格・[[豊島一広]]（大長健一の妹婿）を伴って、服役中の大長組幹部・[[大長定雄]]（大長健一の弟）を訪ね、人吉市の博徒一家の幹部・宮崎、石井一郎、柳川次郎を舎弟としたことを伝えた。同年、大長定雄が出所した。大長定雄の放免祝いに、石井一郎、柳川次郎、柳川の舎弟・福田留吉が出席し、互いの顔合わせを行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このころ、石井一郎は、大分県中津市の吉富組から、カスリを取られていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、大長組の金庫番兼代貸格・[[豊島一広]]と大長組・[[土谷豊]]（（後の[[土谷組]]初代組長）は、石井一郎と柳川次郎と連絡を取り、吉富政男が別府市の石井一郎のところに集金に来る日時を訊いて、[[別府駅 (大分県)|別府駅]]前で吉冨政男を待った。吉冨政男が吉冨組の共の者とともに改札口を出たところで、豊島一広と土谷豊が、吉冨政男に対し、石井一郎の元には行かず中津市に返るように、要求した。そして、豊島一広は、土谷豊と石井一郎とともに吉冨組に赴き、そこで石井一郎に対するカスリについての話合いを持つことを提案した。吉冨政男は提案を了承し、中津市に帰った。豊島一広と土谷豊と石井一郎の3人は、柳川次郎の案内で、別府市から中津市に向かい、吉富政男の自宅兼事務所で、吉富政男と話合いを持った。豊島一広は、吉富政男に、石井一郎からのカスリの放棄を要求した。吉富政男は要求を拒否し、筋を通すように求めた。板ばさみになった柳川次郎は、断指して、吉富政男に詫びを入れた。吉冨政男は、豊島一広の要求を全て呑んだ。吉冨組は、大長組に和解金30万円を支払い、別府市への進出を止めることで、話がついた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、大長健一と石井一郎は対立するようになった。柳川次郎は両者を和解させようとしたが、不調に終わった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年10月、この一件を切っ掛けとして、柳川次郎は再度大阪に戻った。野沢義太郎も柳川次郎について、大阪に行った。再度、池田市西本町の新井孝造の世話になった。柳川次郎は、結婚し、うなぎ釣りなどの堅気の仕事に就いた。その後、福田留吉らも柳川次郎の元に集まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月ごろ、石井一郎は、別府に[[石井組]]を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川次郎は、[[大阪駅]]を縄張りとし、プー屋（[[ダフ屋]]）からショバ代を取り始めた。大阪駅の裏側を縄張りとしていたのが、「[[歌楽会]]」だった。歌楽会会長は[[生田晴美]]だった。柳川次郎は、歌楽会と、利権の分担を取り決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和30年（[[1955年]]）4月、[[浪速区]]新川3丁目に本拠を置く[[高村組]]と、[[南区 (大阪市)|南区]]難波新地2番丁に本拠を置く[[笹田組]]とが、組員同士の喧嘩に端を発し、縄張り争いの抗争を起こした。高村組の組長は、[[高村春光]]。笹田組の組長は、[[笹田克善]]。高村組は、[[西宮市]]西波止町に本拠を置く[[諏訪組]]の友誼団体で、歌楽会とも友好関係にあった。歌楽会・生田晴美会長は、柳川次郎に、高村組の応援を求めた。野沢義太郎ら4人が、笹田組組員1人を生け捕りにし、高村組事務所に連れて行った。さらに、この笹田組組員を奪還に来た笹田組員たちを、柳川次郎一派が撃退した。この抗争は、1ヶ月足らずで、終息した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この抗争の後、高村春光は、柳川次郎を諏訪組・[[諏訪健次]]組長に紹介した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月、神戸市[[生田区]]中町3丁目の料亭「三ツ輪」で、諏訪組・諏訪健次組長と柳川次郎との、親子の固めの[[盃]]が交わされた。取持人は[[平錦組]]・[[勝間芳次]]組長だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和32年（[[1957年]]）4月、大阪駅で、柳川次郎は、ショバ代を払わなかったプー屋を、日本刀を抜いて恐喝した。[[曽根崎警察署]]は、このプー屋を説得して被害届を出させ、裁判所から[[逮捕令状]]を取った。柳川次郎は大分県中津市に逃げた。同年5月、柳川次郎は、中津市内で逮捕された。同年6月16日、柳川次郎は、[[保釈金]]20万円を支払って、保釈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保釈直後、柳川次郎は諏訪組と絶縁した。同年10月、柳川次郎は[[東淀川区]]木川西之町3丁目の[[藤本組]]・[[藤本芳尾]]組長の舎弟となった。同年12月、柳川次郎は、[[酒梅組]]組長・[[梅野国生]]（後に七二の[[林久五郎]]の跡目を継承）の客分となり、[[西成]]に移り住んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
西成には、この地区最大の買春暴力団[[鬼頭組]]があった。組長は、[[鬼頭清]]。組員は200人。戦闘員は百数十名を誇った。鬼頭組は酒梅組系列だった。西成に移った柳川次郎は、鬼頭組に対して、略奪行為を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和33年（[[1958年]]）2月、柳川一派の[[秋良大豪]]が鬼頭組組員5人に暴行を受け、鬼頭組に拉致された。秋良大豪の顔見知りが、この一部始終を見ていて、柳川一派に急報した。柳川次郎は、鬼頭組とは同系列だった酒梅組・梅野国生組長に仲裁を依頼した。同年2月10日、梅野国生は、鬼頭組事務所に出向き、鬼頭清と折衝した。1時間経っても、梅野国生は、酒梅組事務所に戻らなかった。同日深夜、柳川一派8人は酒梅組事務所から、預けておいた[[日本刀]]などの道具を持ち出して、鬼頭組事務所に向かった。このときの8人とは、柳川次郎、福田留吉、[[高信吉]]、[[倉本広文]]（後の五代目[[山口組]][[若頭補佐]]）、[[斉藤登]]、[[松田重]]、[[武本ケ慧]]、[[福成信昭]]だった。梅野国生と鬼頭清の交渉は不調に終わった。柳川次郎は、鬼頭組事務所から出てきた梅野国生と、鬼頭組事務所前で出会った。このとき、柳川一派は、梅野国生と一緒にいた鬼頭組[[若頭]]と斬り合いになり、重傷を負わせた。柳川一派は鬼頭組幹部・[[玉岡竹夫]]を斬り殺した。梅野国生は、酒梅組事務所に戻り、支援部隊を送り込んだ。柳川一派8人は、鬼頭組事務所前の細い裏通りで、正面から鬼頭組組員に対して斬り込み、斬り伏せていった。警察への通報があり、パトカーが駆けつけると、鬼頭組組員は姿を消した。これを追った福田留吉は、鬼頭組組員に右腕を刀で刺され、左の頬と背中を斬られ、左手の指3本を切断された。福成信昭はこの戦闘で左腕を切断された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件を切っ掛けに、鬼頭組は瓦解した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件で柳川次郎は収監されたが、9ヶ月の服役だった。同年11月16日、柳川次郎は保釈された。そして、出所直後、柳川次郎は[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]堂山町で、'''柳川組'''を結成した。初代[[若頭]]には、[[下川将来]]が就いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川組は、谷川康太郎の発案で、「梅田振興互助会」を立ち上げた。商店街の店を会員とし、1ヶ月1000円を徴収した。徴収は、梅田会・[[石田章六]]会長（本名は'''朴 泰俊'''。後の六代目山口組顧問）が行った。その後、「今里振興互助会」、「布施振興互助会」などを立ち上げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 山口組直参まで ==&lt;br /&gt;
昭和34年（[[1959年]]）2月、柳川組の[[木下一郎]]と[[木下弘]]の兄弟が、[[鳥取県]][[米子市]]に、柳川組米子支部を結成した。同年4月5日深夜、ミナミのダンスホール「ユニバース」で愚連隊[[交星会]]会員と柳川組組員が口論となり、その後十数人の交星会会員が柳川組の溜まり場だった浪速荘を襲撃した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その頃、三代目山口組・[[田岡一雄]]組長は、昭和34年（[[1959年]]）4月から始まる[[大阪府]][[堺市]]浜寺の臨海工業地帶造成工事での荷役・労働供給権独占を目指して、勢力を拡大させていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月、柳川次郎はテキヤ[[北三沢組]]・[[藤本与治]]組長と[[キタ]]の露天で提携した。すぐに柳川組と北三沢組は、[[大野会]]・[[大野鶴吉]]会長の舎弟[[双葉会]]・[[丹羽峯夫]]組長と小競り合いとなった。最初は三代目山口組舎弟[[中川組]]・[[中川猪三郎]]組長がこの仲裁に、当たった。結局は、この仲裁は失敗し、別の者の仲裁で解決した。そのような折、柳川次郎が、山口組[[若頭]]の[[地道組]]・[[地道行雄]]組長の目に留まった。同年6月、中川猪三郎の仲介で、柳川次郎は地道行雄と[[盃]]を交わして、地道行雄の舎弟となった。柳川組の福田留吉・[[園幸義]]・[[黒沢明 (山口組)|黒沢明]]（後の三代目[[山口組]][[若中]]）らは、地道組の若衆に直った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月4日、[[大阪中央公会堂]]で、[[霧島昇]]を中心とした歌謡ショーを開催した。このショーでは、地道行雄が柳川次郎を後援した。同年10月9日夜、[[皆生温泉]]のバー「ニュー皆生」で柳川組米子支部の組員が、鳥取県米子市の[[岩宮組]]・[[岩宮要一郎]]組長に暴行を加えた。この後、両組に[[鳥取県警]]の手入れが入り、抗争は中断した。同年11月12日、柳川次郎は債権取立てをめぐる恐喝で、[[西成警察署]]に逮捕され、同年12月末に保釈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年暮れ、[[明友会]]幹部・[[宋福泰]]、明友会幹部・[[韓博英]]は、[[交星会]]と抗争事件を起こし、検挙された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和35年（[[1960年]]）1月31日、[[福島区]]野田阪神のバー「オリオン」が、愚連隊排除を柳川組に依頼したことから、柳川組と[[西谷会]]が抗争となった。柳川組は、西谷会会員1人を殺害し、1人に重傷を与えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月26日、[[砂子川組]]系で[[枚方市]]の[[松尾組]]・[[松尾広]]組長が、柳川組幹部・[[田中半次]]の子分に罵倒されたことから、松尾広とその子分1人が、日本刀を持って、田中組事務所に殴り込み、田中組組員1人を負傷させた。柳川組は、田中半次を指揮官として、組員24人で、松尾組事務所に報復した。組員24人は8人ずつ3班に分かれ、まず田中半次率いる第1班が急襲をかけてすぐに退却し、直ちに次の第2班が敵の本拠を攻撃してこれも退却し、第3班が突入して止めを刺すと云う戦術を取った。この殴り込みで、田中半次が松尾組組員1人を射殺した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月、[[大阪]][[ミナミ]]で、山口組組員と明友会会員が喧嘩となった。その後、明友会会員は、猟銃を持って、車に乗り込み、神戸市の山口組事務所前で、示威行動をとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年8月9日、[[明友会事件]]が勃発した。{{main|明友会事件}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この抗争で[[大阪府警察|大阪府警]]は、山口組側56人を殺人と殺人未遂で検挙し、最終的には組員84人を検挙した。このうち24人が柳川組組員だった。この抗争での柳川組の戦功は、山口組内部で認められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月13日、山口組「御事始」（または、「正月事始」。通称「事始め」）の席で、柳川次郎と石井一郎の直系昇格が決定し、「御事始」終了後に山口組本部事務所で結縁の盃事が執り行われた。取持ち人は、[[倭奈良組]]舎弟の[[水谷奈良太郎]]だった。柳川次郎は、三代目山口組の直参となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 山口組直参以降から第一次頂上作戦開始まで ==&lt;br /&gt;
元々大阪を地盤にしていた柳川組は、大阪に進出してきた他の山口組系列化の団体と紛争を起こした。山口組は各組の利害を調整するために[[南道会]]・[[藤村唯夫]]会長を、大阪地区の総責任者としたが、柳川組の膨張は止まらなかった。山口組若頭・地道行雄は、柳川組を他府県に進出させることを提案し、三代目山口組・田岡一雄組長が最終的に了承した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川次郎は、他府県進出の指揮官に谷川康太郎を任命した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和36年（[[1961年]]）3月8日夜、[[都島区]]都島本通のバー「千舟」で、柳川組組員・[[李万実]]らと[[淡熊会]]系[[寺田組]]組員らが喧嘩となった。寺田組組員8人は、報復として李万実の自宅を襲ったが、李は不在だった。柳川組組員が、柳川組系[[都会]]会長宅で、寺田組への報復の準備をしているところ、全員が警察に[[凶器準備集合罪]]で検挙された。同年4月1日深夜、梅田で、柳川組組員・[[野沢義太郎]]（後の五代目山口組舎弟）、[[森安直樹]]、[[前川秋英]]、[[浜田荘郎]]と神戸市・[[松浦組]]7人との喧嘩が起こった。前川秋英は刺殺され、森安直樹も重傷を負った。松浦組組員3人も怪我を負った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年4月8日、柳川組は、[[奈良県]]下のヤクザ組織に、「貴下を大義同志会支部長に命ず」と書いた封書を送った。これを切っ掛けに[[喜多久一刺殺事件]]が発生した。{{Main|喜多久一刺殺事件}}&lt;br /&gt;
同年5月、柳川組は、[[近鉄あやめ池遊園地]]で、[[力道山]]一行のプロレス興行を行った。この興行が成功したので、柳川次郎は「柳川芸能社」を起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月、柳川次郎は、北海道札幌市で[[力道山]]一行のプロレス興行を行った。このとき、[[会津家]][[小高一家]]（組長は[[小高龍湖]]）の実子分・[[長岡宗一]]（通称:'''ジャッキー'''）は、柳川次郎と柳川組[[若頭]]・[[谷川康太郎]]と知り合った&amp;lt;ref&amp;gt;[[飯干晃一]]『柳川組の戦闘』[[角川書店]]&amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、1990年、ISBN 4-04-146425-0では、長岡宗一と[[柳川次郎]]、[[谷川康太郎]]が知り合った時期を、「昭和36年（[[1961年]]）12月」としているが、[[山平重樹]]『北海道水滸伝』[[双葉社]]&amp;amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、1999年、ISBN 4-575-50698-2では、「昭和37年（[[1963年]]）10月、長岡宗一の舎弟・[[日比野兼治]]（通称:'''ホラ兼'''）が、谷川康太郎を、長岡宗一の自宅に案内し、長岡宗一に引き合わせた。日比野兼治は[[山代温泉]]でストリップ劇場を経営しており、山代温泉で谷川康太郎と知り合った」としている&amp;lt;/ref&amp;gt;。このころ、長岡宗一は400人の若衆を抱えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和37年（[[1962年]]）1月8日午前1時ごろ、[[近畿日本鉄道|近鉄]][[布施駅]]前で、柳川組組員が、神戸市諏訪組系[[坂本組]]組員に、代紋のバッチを奪われ、踏みつけられた。柳川組組員5人が、布施市足代の坂本組組長宅に殴りこみをかけ、組長を刺殺した。[[大阪府警察|大阪府警]]は、柳川次郎をはじめ、谷川康太郎、[[加藤武義]]（本名は'''蘇武源'''）、[[石田章六]]（後の六代目山口組顧問）、[[藤原定太郎]]（後の三代目山口組若中）ら29人の柳川組組員を検挙した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年1月、柳川組は京都に進出した。しかし、[[中島会]]・[[図越利一]]会長（後の三代目[[会津小鉄会]]会長）は、武力で柳川組に対抗すると同時に、[[本多会]]・[[本多仁介]]会長を通じて、山口組に働きかけてきた。これにより、柳川組は京都進出を中止した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、柳川次郎は、[[和歌山県]]の[[小山組]]・[[小山十四郎]]組長を舎弟とした&amp;lt;ref&amp;gt;出典は、『六代目山口組　完全データBOOK』[[メディアックス]]、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.51&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、柳川組若頭の谷川康太郎が石川県の[[中沢組]]分家・[[福島三郎]]（後の四代目山口組若中）を舎弟にして、石川県に進出した。柳川組は、柳川組北陸支部を作り、支部長に福島三郎を据えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年春、柳川組が、[[松葉会]]と中島会との抗争の仲裁人となった。谷川康太郎が、柳川次郎の名代として、加藤武義と[[金田三俊]]の舎弟を連れて、[[片山津温泉]]の「矢田旅館」で行われた手打ち式に出席した。同日に、中島会が松葉会を襲撃して、手打ち破りを行った。谷川康太郎は加藤義武と金田の舎弟とともに、中島会が滞在していた「矢田旅館」に行き、手打ち式での中島会代表者と地元の中島会系組長を拉致した。谷川康太郎は、地元の中島会系組長に組を解散させ、その縄張りを福島三郎らに譲った。さらに、谷川はこの地元の中島会系組長を北陸から追放した。この追放された組長は、広島市の[[岡組]]・[[岡敏夫]]組長の元に行った。山口組[[若頭補佐]]・[[菅谷政雄]]が、この元組長を舎弟とし、北陸に復帰させようとした。菅谷政雄と谷川康太郎は、三代目山口組・田岡一雄組長に裁断を仰いだ。田岡一雄は、この元組長を北陸に復帰させ、縄張りを元に戻すことにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、柳川組は、ホットドッグ販売の[[株式会社]]「[[大名堂]]」の用心棒を請け負った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月、長岡宗一は小高竜湖に逆破門状を送った&amp;lt;ref&amp;gt;事の経緯は以下の通り。&amp;lt;br/&amp;gt;昭和36年（1961年）ころから、小高龍湖に、長岡宗一の兄弟分から長岡への讒言が相次いだ。&amp;lt;br/&amp;gt;例えば、小高龍湖に、『長岡宗一の新築の家の神棚の鳥居には「長岡」と書かれてある。本来ならば「小高」と書くべきだ」と云った話がもたらされた。長岡宗一の新築の家の神棚の鴨居には「札幌神社」と書かれていた。&amp;lt;br/&amp;gt;小高龍湖は、長岡宗一に対して「新車に乗れて、新しい家も建つのだから、子分からの上納金でとても儲かっているのだろう」と云った。&amp;lt;br/&amp;gt;この小高龍湖の発言を切っ掛けに、長岡宗一と小高龍湖は反目しあうようになった。&amp;lt;/ref&amp;gt;。長岡宗一は、舎弟や若衆が先に小高龍湖を襲撃することは、認めなかった。小高龍湖は、直ちに長岡宗一を破門し、小高龍湖と会津家宗家五代目・[[坂田浩一郎]]の連名の破門状を全国に送付した 。長岡宗一は「'''長友会'''」を結成した。長岡宗一が[[砂川市]]の[[愚連隊]]・[[谷内二三男]]を説得し、長岡宗一の実子分・[[田村武志]]が[[長沼町]]の愚連隊・[[石間春夫]]（通称:'''北海のライオン'''）を説得して、長岡宗一・石間春夫・谷内二三男の3人は、[[千歳市]]の長岡の舎弟が経営する料理屋の2階で、五分の兄弟[[盃]]を交わした。さらに、3人は「長友会」と谷内二三男の愚連隊、石間春夫の愚連隊を統合して、「[[誠友会|北海道同志会]]」を結成した。初代会長には、長岡宗一が就いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年、谷川康太郎の説得により、本多会系[[米山組]]副会長・[[紺谷久雄]]（後の四代目山口組若中）と[[曾山修]]が柳川組に寝返った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年9月1日、[[片山津温泉]]で、米山組組員と柳川組組員が喧嘩となった。同年9月3日午後5時ごろ、米山組組員12人が、[[紺谷組]]事務所を襲撃し、紺谷久雄に拳銃で二発の銃弾を命中させて、重傷を負わせた。続いて、米山組組員は[[曾山組]]事務所を襲ったが、柳川組は米山組組員[[中田勲]]を殺害し、他1人に重傷を負わせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和37年（[[1963年]]）10月、柳川組若頭・谷川康太郎は、[[日本プロレス]]の札幌興行で、力道山の用心棒として札幌市に入った。同月、長岡宗一の自宅の神棚の前で、長岡宗一と谷川康太郎とは、長友会の舎弟や若衆を見届け人として、五分の兄弟分となった。翌日、石間春夫が長岡宗一の自宅を訪ねてきた。谷川康太郎はまだ、長岡宗一の自宅に滞在中だった。長岡宗一は、石間春夫に、谷川康太郎を紹介し、長岡と谷川が五分の兄弟分になったことを報告した。長岡宗一は、石間春夫に「石間春夫も谷川康太郎と五分の兄弟分にならないか」と持ちかけた。石間春夫は返事を保留した。間もなく、石間春夫は警察に逮捕された。それから、長岡宗一は、谷川康太郎から、柳川次郎を紹介された。谷川康太郎は、長岡宗一に、柳川次郎の舎弟となることを打診してきた。長岡宗一は、石間春夫と谷内二三男と一緒に柳川次郎の舎弟になることを望み、根回しに動いた。長岡宗一は、札幌市の拘置所にいた石間春夫を訪ね、長岡と一緒に、柳川次郎の舎弟になるように説得した。石間春夫は、長岡宗一に、谷川康太郎と気が合わないことと柳川次郎の舎弟になる気はないことを告げた。その後も、長岡宗一は、何度か拘置所を訪ね、熱心に石間春夫を説得した。石間春夫は、自分なりに柳川次郎や柳川組を調べた上で、結論を出すことに決めた。石間春夫は、昭和33年（[[1958年]]）2月10日に起こった柳川一派と[[鬼頭組]]との乱闘事件や[[明友会事件]]を知り、柳川次郎の舎弟になることを決めた。石間春夫は、保釈で拘置所を出ると、長岡宗一に、柳川次郎の舎弟になることを告げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月3日夜、枚方市のマージャン店で、柳川組枚方支部長の弟[[感秀之]]と松尾組・松尾広組長らが喧嘩となり、感秀之と松尾組組員が負傷した。柳川組組員は松尾組に殴り込みをかけようとしたところを、一斉に検挙された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月16日夜、[[富山県]][[射水郡]]大門町で、[[源清田一家]]の組員が米山組組員と喧嘩になり、米山組組員を負傷させた。これに対し、米山組組員12人が、源清田一家五代目総長を襲い、総長代紋と現金3万円を奪った。柳川組富山支部は源清田一家を応援し、柳川組組員15人が、日本刀で米山組組員6人を斬った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年暮れ、長岡宗一と石間春夫と谷内二三男は、柳川次郎の舎弟となった。北海道同志会は、柳川組北海道支部の看板を掲げた。支部長には長岡宗一が就いた。長岡宗一の自宅兼事務所が、柳川組北海道支部の事務所となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年12月、柳川組は、福井県の[[倉島組]]（組長は[[倉島官司]]）を傘下に収め、柳川組福井支部の看板を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
谷川康太郎は、大垣市に[[西原組]]を作り、[[韓吉洙]]を組長に据えた。昭和38年（[[1963年]]）3月13日午後10時30分ごろ、大垣市高島町のバー「夕暮」で、柳川組西原組組員と[[本多会]]系[[河合組]]組員と喧嘩になった。同年3月14日午前0時30分、河合組組員と河合組の友誼団体[[木原組]]組員17人が、西原組組員10人の宿泊先だった大垣市高橋町の旅館「みその」を襲撃した。1人が死亡した。本多会若頭[[平田勝市]]は、自身の[[平田会]]を率いて、大垣市に入った。山口組は若頭地道行雄を大垣市に派遣した。山口組は本多会を破ったが、岐阜は地道組の直轄となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川次郎は、昭和34年に起こした債権取立てに絡んだ恐喝容疑の裁判で、[[懲役]]1年が確定し、昭和38年（[[1963年]]）3月1日から、[[大阪刑務所]]に服役した。地道行雄が三代目山口組若中[[清水光重]]（後の三代目山口組若頭補佐）を柳川組の目付役とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和38年（[[1963年]]）3月、[[警察庁]]は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・[[錦政会]]、東京・[[松葉会]]の5団体を広域暴力団と指定し、25都道府県に実態の把握を命じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年秋、長岡宗一が、長岡宗一は、[[覚醒剤取締法違反]]で[[札幌北警察署]]に逮捕され、[[罰金]]50万円・懲役2年6ヶ月の実刑判決を受けた&amp;lt;ref&amp;gt;事件の経緯は以下の通り。&amp;lt;br/&amp;gt;昭和38年（[[1963年]]）6月中旬、長岡宗一は、長岡の若衆に案内された知り合いの会社社長の訪問を受けた。&amp;lt;br/&amp;gt;知り合いの会社社長は、長岡宗一に、会社が経営危機に陥っていることを話し、150万円で[[覚醒剤]]を仕入れてくれるように懇願した。&amp;lt;br/&amp;gt;長岡宗一は、会社社長の頼みを受けることにした。&amp;lt;br/&amp;gt;長岡宗一は、[[大阪]]の[[日比野兼治]]（通称:'''ホラ兼'''）に連絡し、会社社長と長岡の若衆2人を連れて、大阪に入った。&amp;lt;br/&amp;gt;日比野兼治は150万円分の覚醒剤を用意していた。&amp;lt;br/&amp;gt;長岡宗一たちは、覚醒剤を千雀飴の缶に入れて、北海道に帰った。&amp;lt;br/&amp;gt;長岡宗一は覚醒剤を、長岡の若衆に預けた。&amp;lt;br/&amp;gt;その覚醒剤の一部を盗んだ長岡宗一の若衆がいて、密告により、その若衆が逮捕された。&amp;lt;br/&amp;gt;その若衆の自供により、長岡宗一も逮捕された。&lt;br /&gt;
&amp;lt;/ref&amp;gt;。長岡宗一は[[釧路刑務所]]に服役した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月、柳川組北海道支部・長友会[[苫小牧]]支部長・[[橋川国郎]]は、幹部・[[阿島邦春]]と幹部・[[奥山雄高]]を連れて、苫小牧市のテキヤの親分の自宅に殴り込みをかけ、テキヤの親分の若衆を日本刀で刺し、重傷を負わせた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年8月、谷川康太郎は、数人の幹部や若衆を連れて、[[洞爺湖]]に遊びに来た。洞爺湖では、毎年8月1日から3日間、[[湖水祭り]]が行われていた。谷川康太郎は、数人の幹部や若衆を連れて、湖水祭りに繰り出した。柳川組幹部が露店でトウモロコシを買おうとしたとき、露天商とどのトウモロコシにするかで揉めた。柳川組幹部や若衆らは、露店の屋台をひっくり返した。湖水祭りに来ていたテキヤ衆は、地元の世話人を中心に結束して、谷川康太郎が宿泊していた洞爺湖畔のホテルに押しかけた。谷川康太郎についていた長岡宗一の若衆2人が、ホテルを出て、地元の世話人に、ホテルの中で谷川康太郎と話し合うように勧めた。地元の世話人1人がホテルに入り、長岡宗一の若衆2人に案内されて、谷川康太郎の宿泊している部屋に入室した。谷川康太郎は、地元の世話人の脇腹に拳銃を突きつけ、両手を挙げさせて、ホテルの窓際まで移動させた。テキヤ衆は、谷川康太郎に拳銃を突きつけられた地元の世話人を目撃し、地元の世話人が人質に取られたことを悟り、その場を解散した。テキヤ衆が解散すると、谷川康太郎は地元の世話人に詫びを入れ、解放した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年9月27日昼、都島区で[[池田組]]組員が柳川組都会会員に殴られた。これに対し、池田組は都会事務所に殴り込みをかけ、都会会員[[山本道男]]を日本刀で刺殺し、[[小林菊松]]を負傷させた。柳川組は報復を開始した。同年10月30日までに計4回池田組事務所に殴り込みをかけ、[[ダイナマイト]]で池田組事務所を爆破した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、谷川康太郎は、長岡宗一に無断で、会津家小高一家の[[外田友彦]]と五分の兄弟盃を交わした。外田友彦は、長岡宗一が会津家小高一家にいた頃は、長岡宗一の格下だった。長岡宗一は、妻の将子に、谷川康太郎と話がしたい旨を伝えた。谷川康太郎は、長岡将子からの電話連絡を受けると、その日のうちに飛行機で大阪から札幌に行った。翌日、谷川康太郎は、釧路刑務所所長から特別面会の許可をもらい、長岡宗一と面会した。谷川康太郎は、長岡宗一を説得した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年11月16日夜、[[富山県]][[射水郡]]大門町で、[[源清田一家]]の組員が米山組組員と喧嘩になり、米山組組員を負傷させた。これに対し、米山組組員12人が、源清田一家五代目総長を襲い、総長代紋と現金3万円を奪った。柳川組富山支部は源清田一家を応援し、柳川組組員15人が、日本刀で米山組組員6人を斬った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
柳川次郎は、昭和32年4月大阪駅で起こしたプー屋恐喝事件、昭和33年2月10日に起こした鬼頭組との乱闘事件、他2件の併合審理事件を上告していたが、昭和39年（[[1964年]]）1月16日に棄却されることが確実となり、懲役7年の刑が決定的となった。上告棄却2日前の1月14日、柳川次郎は獄中で引退声明を出し、それを引き換えに仮出所を許された。同年2月、柳川次郎は、柳川組組員たちから、[[豊中市]]の300坪の家&amp;lt;ref&amp;gt;総工費1億円。2年5ヶ月で完成した&amp;lt;/ref&amp;gt;をプレゼントされたが、受け取らず、「レストラン・サンマテオ」とし、[[梅本昌男]]に経営させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和39年（[[1964年]]）1月、「[[暴力取締対策要綱]]」が作られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年2月、[[警察庁]]は「組織暴力犯罪取締本部」を設置し、暴力団全国一斉取締り（「[[第一次頂上作戦]]」）を開始した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 第一次頂上作戦以降 ==&lt;br /&gt;
同年3月5日、柳川次郎は大阪市北区中之島の回生病院に入院した。柳川次郎は長期の服役を余儀なくされたので、組の跡目を決定する必要に迫られた。本来なら九州時代からの舎弟・野沢義太郎だが、柳川次郎は谷川康太郎を考えた。この案に、野沢義太郎、[[加藤武義]]、[[金田三俊]]らが難色を示した。地道行雄は柳川組二代目に清水光重を推薦した。このため、柳川組幹部一同は、谷川康太郎を柳川組二代目に推挙することでまとまった。初代柳川組組長・柳川次郎の舎弟、若中をそのまま二代目組長・谷川康太郎が引き継ぐこととなった&amp;lt;ref&amp;gt;通常だと、組長が引退した場合、その舎弟もみんな引退する。若中は舎弟となり、新組長の直属だった若中は、そのまま組の若中となる&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年3月8日、谷川康太郎の二代目襲名の盃事が、[[有馬温泉]]中の坊の「グランドホテル」で行われた。見届け人は、[[大野会]]・[[芝生健]]副会長、[[誠会]]・[[川口義昌]]会長、[[谷政組]]・[[谷口政雄]]組長、[[橋本組]]・[[橋本正男]]組長だった。取持人は、大野会若頭・[[津村和麿]]。後見人は、柳川次郎だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年3月10日、大阪市[[生野区]]新今里町の料亭「山市」で、同年3月8日の二代目襲名の盃事に漏れた若中10人の盃事が、行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年3月26日、警察庁は改めて広域10大暴力団を指定した。10大暴力団は、神戸・山口組、神戸・本多会、大阪・柳川組、熱海・錦政会、東京・松葉会、東京・[[住吉会]]、東京・[[日本国粋会]]、東京・[[東声会]]、[[川崎]]・[[日本義人党]]、東京・[[北星会]]だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年3月28日、[[曽根崎警察署]]は、谷川康太郎を逮捕した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年4月7日、[[岡山東警察署]]は、谷川康太郎を、交通事故にからむ恐喝容疑で、検挙した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年4月22日、谷川康太郎の勾留期限が過ぎて、保釈された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月8日、大阪市[[南区 (大阪)|南区]]坂町の「喜楽別館」で、谷川康太郎は、柳川組若中200人と盃を交わした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月15日、谷川康太郎は、柳川組京都支部、同組和歌山支部、同組奈良支部の全員と盃を交わした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年5月20日、谷川康太郎は、柳川組北陸支部全員と盃を交わした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年6月7日、谷川康太郎は、柳川組北海道支部全員と盃を交わした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月10日、[[福岡市]]旧柳町の料亭「新三浦」で、地道行雄と谷川康太郎の兄弟[[盃]]が行われた。谷川康太郎は、地道行雄の舎弟となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月25日、山口組本家で、谷川康太郎は、三代目山口組・田岡一雄組長から、若中の盃を受けた。これで、二代目柳川組は山口組直参となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月26日、谷川康太郎の柳川組二代目襲名披露式が、兵庫県有馬温泉のホテル池の坊「満月城」で執り行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和40年（[[1965年]]）、柳川組に対する[[第一次頂上作戦#柳川組に対する第一次頂上作戦|第一次頂上作戦]]が開始された。{{main|第一次頂上作戦#柳川組に対する第一次頂上作戦}}&lt;br /&gt;
昭和44年（[[1969年]]）4月1日、大阪府警は「レストラン・サンマテオ」の経営内容を理由に、柳川次郎を名古屋刑務所から大阪の[[田辺警察署]]に移送した。ここで、田辺警察署は、柳川次郎の口から柳川組解散を引き出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年4月8日、柳川次郎は、谷川康太郎を[[大阪刑務所]]で説得し（谷川康太郎は大阪刑務所に収監されていた）、解散の同意を取り付けた。谷川康太郎が署名した「解散声明書」及び、柳川次郎が署名した「解散同意書」の日付は、昭和44年4月9日となっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年8月1日&amp;lt;ref&amp;gt;出典は、[[溝口敦]]『山口組ドキュメント　血と抗争』[[三一書房]]、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.297&amp;lt;/ref&amp;gt;、田岡一雄は、本家に無断で柳川組を解散させたと云う理由で、柳川次郎と谷川康太郎を絶縁とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和48年（[[1973年]]）、柳川次郎は右翼団体・[[亜細亜民族同盟]]を創立した。その後、柳川次郎は[[佐野一郎]]（元[[公安調査庁]]調査官）に会長を譲り、自らは名誉会長となった。また、[[日韓友愛親善会]]を設立し、日韓の親善に尽力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和49年（[[1974年]]）、柳川次郎は、[[アントニオ猪木]]らとともに、45年ぶりに祖国韓国の地を訪れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[平成]]3年（[[1991年]]）12月、柳川次郎は、大阪で死去。[[享年]]68。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==柳川次郎関連の書籍==&lt;br /&gt;
* [[飯干晃一]]『柳川組の戦闘』[[角川書店]]&amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、1990年、ISBN 4-04-146425-0&lt;br /&gt;
*[[芹沢耕二]]、[[天龍寺弦]]、[[北村永吾]]『実録　死闘ヤクザ伝　山口組直参柳川組　柳川次郎　二人の殺し屋編』[[竹書房]]、2008年、ISBN 978-4-8124-6654-4&lt;br /&gt;
*芹沢耕二、天龍寺弦、北村永吾『実録　死闘ヤクザ伝　山口組直参柳川組　柳川次郎　殺しの軍団結成編』竹書房、2008年、ISBN 978-4-8124-6680-3&lt;br /&gt;
*芹沢耕二、天龍寺弦、北村永吾『実録　死闘ヤクザ伝　山口組直参柳川組　柳川次郎　柳川組解散編』竹書房、2008年、ISBN 978-4-8124-6915-6&lt;br /&gt;
*[[木村勝美]]『殺しの軍団 柳川組 山口組全国制覇の先兵たち』[[メディアックス]]、2008年、ISBN 978-4-86201-617-1&lt;br /&gt;
*[[真樹日佐夫]]、[[マグナム元気]]『実録柳川組　柳川次郎暴力史「殺しの軍団」血と骨編』[[コアマガジン]]、2006年、ISBN 4-87734-957-X&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『実録柳川組　伝説のヤクザ100人斬り編』コアマガジン、2006年、ISBN 4-86252-004-9&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『実録柳川組　殺しの軍団vsドクロ刺青愚連隊編』コアマガジン、2006年、ISBN 4-86252-086-3&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『実録　柳川組　血みドロドロ！復讐鬼　柳川次郎の首狩り抗争編』コアマガジン、2007年、ISBN 4-86252-090-1&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『実録　柳川組　神戸巨大暴力団、大阪制圧編』コアマガジン、2007年、ISBN 4-86252-192-4&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『新実録柳川組　殺しの軍団全国制覇への道編』コアマガジン、2007年、ISBN 4-86252-254-8&lt;br /&gt;
*真樹日佐夫、マグナム元気『新実録柳川組　無敵の尖兵・柳川次郎奈良侵略戦争編』コアマガジン、2008年、ISBN 4-86252-336-6&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==柳川次郎関連の映画・オリジナルビデオ==&lt;br /&gt;
*『[[山口組外伝　九州進攻作戦]]』（[[1974年]]、東映）、大東武司のモデルは、柳川次郎。大東武司役は、[[室田日出男]]&lt;br /&gt;
*『[[日本暴力列島　京阪神殺しの軍団]]』（[[1975年]]、[[東映]]）、主人公・花木勇のモデルは、柳川次郎。花木勇役は、[[小林旭]]&lt;br /&gt;
*『[[実録外伝　大阪電撃作戦]]』（[[1976年]]、東映）、大東武司のモデルは、柳川次郎。大東武司役は、[[成田三樹夫]]&lt;br /&gt;
*『[[北陸代理戦争]]』（[[1977年]]、東映）、金井八郎のモデルは、柳川次郎。金井八郎役は、[[JJサニー千葉|千葉真一]]&lt;br /&gt;
*『[[実録 柳川組 大阪戦争百人斬り]]」（[[2002年]]、[[タキコーポレーション]]）、主人公・柳川次郎役は[[竹内力]]&lt;br /&gt;
*『[[実録 柳川組2 西日本征圧　報復]]』（[[2003年]]、タキコ-ポレ-ション）、主人公・柳川次郎役は竹内力&lt;br /&gt;
*『[[実録 柳川組 柳川次郎伝説　-完結-]]」（2003年、タキコ-ポレ-ション）、主人公・柳川次郎役は竹内力&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 参考文献 ==&lt;br /&gt;
* [[飯干晃一]]『柳川組の戦闘』[[角川書店]]&amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、1990年、ISBN 4-04-146425-0&lt;br /&gt;
* [[猪野健治]]『やくざ外伝 柳川組二代目―小説・谷川康太郎』[[筑摩書房]]&amp;amp;lt;ちくま文庫&amp;amp;gt;、2001年、ISBN 4-480-03687-3&lt;br /&gt;
* 『山口組50の謎を追う』[[洋泉社]]2004年 ISBN 4-89691-796-0&lt;br /&gt;
* [http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/101/1380/10104091380019c.html 「国会会議録・第101回国会予算委員会第19号・昭和59年4月9日（月）」]&lt;br /&gt;
* [[本堂淳一郎]]『兇健と呼ばれた男』[[幻冬舎]]&amp;amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、2001年、ISBN 4-344-40128-X&lt;br /&gt;
* 1991年12月11日付「[[毎日新聞]]」夕刊&lt;br /&gt;
* 『愚連隊伝説』[[洋泉社]]、1999年、ISBN 4-89691-408-2&lt;br /&gt;
* [[溝口敦]]『撃滅 山口組VS一和会』[[講談社]]&amp;amp;lt;講談社+α文庫&amp;amp;gt;、2000年、ISBN 4-06-256445-9&lt;br /&gt;
* [[山平重樹]]『北海道水滸伝』[[双葉社]]&amp;amp;lt;文庫&amp;amp;gt;、1999年、ISBN 4-575-50698-2&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:やなかわしろう}}&lt;br /&gt;
[[Category:ヤクザ]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の右翼活動家]]&lt;br /&gt;
[[Category:1923年生]]&lt;br /&gt;
[[Category:1991年没]]&lt;br /&gt;
[[Category:在日韓国・朝鮮人の人物]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%8D%B1%E6%A9%9F&amp;diff=43425</id>
		<title>韓国通貨危機</title>
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				<updated>2008-12-21T14:06:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''韓国通貨危機'''（かんこくつうかきき）は、[[世界金融危機 (2007年-)]]が発端となって[[2008年]]に[[大韓民国]]の通貨[[ウォン]]の価値が大幅に下落したことに伴う[[通貨]]危機。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[1997年]]に起きた通貨危機は'''[[アジア通貨危機#韓国|アジア通貨危機]]'''の項目で扱う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]、その前年より燻り続けていたアメリカの[[サブプライムローン|サブプライムローン問題]]が表面化して、[[リーマンブラザース]]が破綻し、その余波を受ける形で急激に[[AIG]]などの金融機関が経営危機に陥った。それに伴い[[金融市場]]が信用収縮に見舞われると市場からアメリカの通貨の[[ドル]]の流通が滞り、[[インターバンク市場]]ではドル不足を招くこととなった。その煽りを受けて最もドル不足の影響を受けたのが韓国の通貨「ウォン」であった。この理由として、韓国の[[国際収支]]が[[2006年]]頃より悪化しており、特に[[資本収支]]における短期対外[[債務]]の比率が急速に高くなっていたことがあげられる。その短期対外債務の多くが償還時期を迎えた2008年9月に、先述のドル不足と相まってウォン相場は急落し、韓国のメディアでは「9月危機」との報道がなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月]]に入ると、韓国の金融市場における外貨の需給関係はさらに逼迫し、[[10月12日]]には韓国政府は企業の海外投資の自粛など厳しい外貨規制を敷くようになった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105876 「銀行のドル借金償還資金を全額支援」] [[中央日報]] 2008年10月13日7時38分配信&amp;lt;/ref&amp;gt; しかしその後もウォン相場の下落は止まらず、[[10月28日]]には終値が1ドル＝1465.9ウォンと[[アジア通貨危機]]以来の安値を記録している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 派生問題 ===&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]。ウォンが大幅に下落するに伴い、韓国の[[中小企業]]のなかで「KIKO(ノックイン・ノックアウト)」と呼ばれる[[オプション取引]]を契約していた企業のうち6割以上が多額の損失を被ることが明るみとなった。特に１ドルが1200ウォンを超えた辺りからそれは[[社会問題]]化し、韓国政府はその救済に8兆3000億ウォンもの金融支援を行うこととなった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20081002000035 【社説】8兆ウォンの中小企業支援、対象の厳選を] [[朝鮮日報]] 2008年10月2日10時49分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt; &amp;lt;references /&amp;gt; &amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[世界金融危機 (2007年-)]]&lt;br /&gt;
* [[アジア通貨危機]] (1997年-)&lt;br /&gt;
* [[保守主義]]&lt;br /&gt;
* [[ハンナラ党]]&lt;br /&gt;
* [[グローバルコリア]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/korea/data.html 大韓民国 - 外務省]　&lt;br /&gt;
*[http://www.mofa.go.jp/Mofaj/area/korea/cv/r_lee_mb.html 李明博（イ・ミョンバク）大統領略歴 - 外務省]&lt;br /&gt;
*[http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/chiiki-kyoryoku.html アジア域内における金融協力 - 財務省]&lt;br /&gt;
*[http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/times/2008/1215/07.html 移民政策に関する考えを説明－自民党外国人材交流推進議連に／外国人材受け入れや定着のあり方で - 日本経団連タイムス No.2932 (2008年12月15日)]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんこくつうかきき}}&lt;br /&gt;
[[Category:大韓民国]]&lt;br /&gt;
[[Category:経済]]&lt;br /&gt;
[[Category:経済現象]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E9%80%9A%E8%B2%A8%E5%8D%B1%E6%A9%9F&amp;diff=43387</id>
		<title>韓国通貨危機</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: /* 関連項目 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''韓国通貨危機'''（かんこくつうかきき）は、[[世界金融危機 (2007年-)]]が発端となって[[2008年]]に[[大韓民国]]の通貨[[ウォン]]の価値が大幅に下落したことに伴う[[通貨]]危機。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[1997年]]に起きた通貨危機は'''[[アジア通貨危機#韓国|アジア通貨危機]]'''の項目で扱う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]、その前年より燻り続けていたアメリカの[[サブプライムローン|サブプライムローン問題]]が表面化して、[[リーマンブラザース]]が破綻し、その余波を受ける形で急激に[[AIG]]などの金融機関が経営危機に陥った。それに伴い[[金融市場]]が信用収縮に見舞われると市場からアメリカの通貨の[[ドル]]の流通が滞り、[[インターバンク市場]]ではドル不足を招くこととなった。その煽りを受けて最もドル不足の影響を受けたのが韓国の通貨「ウォン」であった。この理由として、韓国の[[国際収支]]が[[2006年]]頃より悪化しており、特に[[資本収支]]における短期対外[[債務]]の比率が急速に高くなっていたことがあげられる。その短期対外債務の多くが償還時期を迎えた2008年9月に、先述のドル不足と相まってウォン相場は急落し、韓国のメディアでは「9月危機」との報道がなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月]]に入ると、韓国の金融市場における外貨の需給関係はさらに逼迫し、[[10月12日]]には韓国政府は企業の海外投資の自粛など厳しい外貨規制を敷くようになった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105876 「銀行のドル借金償還資金を全額支援」] [[中央日報]] 2008年10月13日7時38分配信&amp;lt;/ref&amp;gt; しかしその後もウォン相場の下落は止まらず、[[10月28日]]には終値が1ドル＝1465.9ウォンと[[アジア通貨危機]]以来の安値を記録している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 派生問題 ===&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]。ウォンが大幅に下落するに伴い、韓国の[[中小企業]]のなかで「KIKO(ノックイン・ノックアウト)」と呼ばれる[[オプション取引]]を契約していた企業のうち6割以上が多額の損失を被ることが明るみとなった。特に１ドルが1200ウォンを超えた辺りからそれは[[社会問題]]化し、韓国政府はその救済に8兆3000億ウォンもの金融支援を行うこととなった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20081002000035 【社説】8兆ウォンの中小企業支援、対象の厳選を] [[朝鮮日報]] 2008年10月2日10時49分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt; &amp;lt;references /&amp;gt; &amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[世界金融危機 (2007年-)]]&lt;br /&gt;
* [[アジア通貨危機]] (1997年-)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんこくつうかきき}}&lt;br /&gt;
[[Category:大韓民国]]&lt;br /&gt;
[[Category:経済]]&lt;br /&gt;
[[Category:経済現象]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<title>韓国通貨危機</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: 新しいページ: ''''韓国通貨危機'''（かんこくつうかきき）は、世界金融危機 (2007年-)が発端となって2008年に大韓民国の通貨ウォンの価...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''韓国通貨危機'''（かんこくつうかきき）は、[[世界金融危機 (2007年-)]]が発端となって[[2008年]]に[[大韓民国]]の通貨[[ウォン]]の価値が大幅に下落したことに伴う[[通貨]]危機。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、[[1997年]]に起きた通貨危機は'''[[アジア通貨危機#韓国|アジア通貨危機]]'''の項目で扱う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経緯 ==&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]、その前年より燻り続けていたアメリカの[[サブプライムローン|サブプライムローン問題]]が表面化して、[[リーマンブラザース]]が破綻し、その余波を受ける形で急激に[[AIG]]などの金融機関が経営危機に陥った。それに伴い[[金融市場]]が信用収縮に見舞われると市場からアメリカの通貨の[[ドル]]の流通が滞り、[[インターバンク市場]]ではドル不足を招くこととなった。その煽りを受けて最もドル不足の影響を受けたのが韓国の通貨「ウォン」であった。この理由として、韓国の[[国際収支]]が[[2006年]]頃より悪化しており、特に[[資本収支]]における短期対外[[債務]]の比率が急速に高くなっていたことがあげられる。その短期対外債務の多くが償還時期を迎えた2008年9月に、先述のドル不足と相まってウォン相場は急落し、韓国のメディアでは「9月危機」との報道がなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[10月]]に入ると、韓国の金融市場における外貨の需給関係はさらに逼迫し、[[10月12日]]には韓国政府は企業の海外投資の自粛など厳しい外貨規制を敷くようになった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105876 「銀行のドル借金償還資金を全額支援」] [[中央日報]] 2008年10月13日7時38分配信&amp;lt;/ref&amp;gt; しかしその後もウォン相場の下落は止まらず、[[10月28日]]には終値が1ドル＝1465.9ウォンと[[アジア通貨危機]]以来の安値を記録している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 派生問題 ===&lt;br /&gt;
2008年[[9月]]。ウォンが大幅に下落するに伴い、韓国の[[中小企業]]のなかで「KIKO(ノックイン・ノックアウト)」と呼ばれる[[オプション取引]]を契約していた企業のうち6割以上が多額の損失を被ることが明るみとなった。特に１ドルが1200ウォンを超えた辺りからそれは[[社会問題]]化し、韓国政府はその救済に8兆3000億ウォンもの金融支援を行うこととなった。&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.chosunonline.com/article/20081002000035 【社説】8兆ウォンの中小企業支援、対象の厳選を] [[朝鮮日報]] 2008年10月2日10時49分配信&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div class=&amp;quot;references-small&amp;quot;&amp;gt; &amp;lt;references /&amp;gt; &amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[世界金融危機 (2007年-)]]&lt;br /&gt;
* [[アジア通貨危機]] (1997年-)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんこくつうかきき}}&lt;br /&gt;
[[Category:大韓民国]]&lt;br /&gt;
[[Category:韓国の経済]]&lt;br /&gt;
[[Category:経済現象]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%BE%8C%E8%97%A4%E7%B5%84&amp;diff=43296</id>
		<title>後藤組</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''後藤組'''（ごとうぐみ）は、[[静岡県]][[富士宮市]]に本拠を置く[[日本]]の[[暴力団]]で、[[指定暴力団]]・六代目[[山口組]]の2次団体。 &amp;lt;!-- 後藤組 --&amp;gt;直参全50団体。構成員&amp;lt;!-- 数 --&amp;gt;は2006年2月末現在で準構成員を含めて約&amp;lt;!-- 1200 --&amp;gt;1150人。&amp;lt;!-- 山口組において四代目[[山健組]]、二代目[[弘道会]]に次ぐ規模である。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[組長]]・[[後藤忠政]]は、三代目[[山口組]]時代のボンノこと[[菅谷政雄]]が興した[[菅谷組]]の幹部で「北陸の帝王」と呼ばれた[[川内弘|川内 弘]]が率いる[[川内組]]の幹部だった。 [[菅谷組]]の&amp;lt;!-- 内戦 --&amp;gt;内紛から川内が射殺され、[[伊堂組]]（組長・[[伊堂敏雄]]）舎弟を経て四代目[[山口組]][[直参]]に昇格する。 [[一和会]]との「[[山一抗争]]」の時には、[[一和会]]会長・[[山本広|山本 広]]宅に[[ダイナマイト]]を持参して[[ダンプカー|ダンプ]]で突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五代目[[山口組]]の[[東京]]進出時には、いち早く行動を起こし、確固たる地盤を築いた。 [[1990年]]2月に起きた「[[八王子抗争]]」の後、[[八王子市|八王子]]に[[正東会]]会長・[[古橋勝利]]（後に後藤組舎弟頭補佐）が地位を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、世間を騒がせた[[武富士]]問題の結果、[[日本航空]]の個人[[筆頭株主]]になった。後藤組傘下[[企業舎弟]]及び[[フロント企業]]は、東京都内に多数 進出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後藤組の名は、1992年の映画「[[ミンボーの女]]」をめぐる[[伊丹十三]]監督襲撃事件で、武闘派暴力団として報道された。[[伊丹十三]]監督襲撃事件とは、「ミンボーの女」で地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描いた伊丹監督が、同年5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った五人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負った事件である。伊丹監督は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より[[山口組]]系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧[[極東桜井總家連合会]]から加わった[[大石会]]、[[高山組 (後藤組)|高山組]]、[[柿畑組]]、[[高山会]]、[[斉藤組]]等が直参に昇格し、構成員も約300人増えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==テナントビル「真珠宮ビル」を巡る虚偽登記事件==&lt;br /&gt;
[[2006年]][[5月8日]]、[[東京都]][[渋谷区]][[代々木]]2丁目の真珠宮ビル（12階）所有権を勝手に移転させたとして、[[警視庁]]組織犯罪対策4課が、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで組長[[後藤忠正]]を逮捕。同様の容疑で[[不動産会社]]「菱和ライフクリエイト」社長ら10人も逮捕。午前中には[[静岡県]][[富士宮市]]の後藤組本部の家宅捜索を受けた。2日後の[[5月10日]]には不動産ブローカーの男が電磁的公正証書原本不実記録などの容疑で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==最高幹部==&lt;br /&gt;
* 組長・[[後藤忠政]]（六代目山口組舎弟、旧[[伊堂組]]舎弟、元[[川内組]]若頭補佐兼静岡支部長）&lt;br /&gt;
* 若頭・[[良知政志]]（[[良知組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[山口勝美]]（[[山勝組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[石原英也]]（[[政竜会]]会長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[篠原誠|篠原 誠]]（[[忠誠会]]会長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[日高丈昌]]（[[日高組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[深沢正志]]（[[深澤組]]組長）&lt;br /&gt;
* 特別相談役・[[渡辺宏|渡辺 宏]]（[[渡辺組]]組長）&lt;br /&gt;
* 特別相談役・[[石川和一]]（[[石川組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭・[[佐野宏好]]（三代目[[大石会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭補佐・[[坂本剛志]]（[[坂本組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭補佐・[[古橋勝利]]（[[正東会]]会長）&lt;br /&gt;
* 総本部長・[[塚本修正]]（[[志太宗家]]十代目）&lt;br /&gt;
* 副本部長・[[池田満|池田 満]]（二代目[[東駿会]]会長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の組員==&lt;br /&gt;
===舎弟===&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[庄子喬|庄子 喬]]（二代目[[東京盛代]][[庄子組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[鴻池隆|鴻池 隆]]（[[鴻池組 (後藤組)|鴻池組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[早川正|早川 正]]（[[早川組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[佐野明義]]（[[藤友会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[太田茂昭]]（[[太田組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[中村政治]]（[[會津家]]七代目組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[永持昌男]]（[[永昌会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[高山勲|高山 勲]]（三代目[[高山会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[柿畑務|柿畑 務]]（[[柿畑組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[長澤城二]]（大石会会長代行）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幹部===&lt;br /&gt;
* 事務局長・[[惟村邦歳]]（[[惟村組]]組長）&lt;br /&gt;
* 風紀委員長・[[佐野光男]]（[[佐野会]]会長）&lt;br /&gt;
* 懲罰委員長・[[加藤正道]]（[[加藤組]]組長）&lt;br /&gt;
* 慶弔委員長・[[諸田芳雄]]（[[諸田組]]組長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ===若中=== --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[創価学会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ことうくみ}}&lt;br /&gt;
[[Category:中部地方の暴力団]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組]]&lt;br /&gt;
[[Category:後藤組|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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		<title>後藤組</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;偶然くじら: 新しいページ: ''''後藤組'''（ごとうぐみ）は、静岡県富士宮市に本拠を置く日本の暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団...'&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''後藤組'''（ごとうぐみ）は、[[静岡県]][[富士宮市]]に本拠を置く[[日本]]の[[暴力団]]で、[[指定暴力団]]・六代目[[山口組]]の2次団体。 &amp;lt;!-- 後藤組 --&amp;gt;直参全50団体。構成員&amp;lt;!-- 数 --&amp;gt;は2006年2月末現在で準構成員を含めて約&amp;lt;!-- 1200 --&amp;gt;1150人。&amp;lt;!-- 山口組において四代目[[山健組]]、二代目[[弘道会]]に次ぐ規模である。 --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==概要==&lt;br /&gt;
[[組長]]・[[後藤忠政]]は、三代目[[山口組]]時代のボンノこと[[菅谷政雄]]が興した[[菅谷組]]の幹部で「北陸の帝王」と呼ばれた[[川内弘|川内 弘]]が率いる[[川内組]]の幹部だった。 [[菅谷組]]の&amp;lt;!-- 内戦 --&amp;gt;内紛から川内が射殺され、[[伊堂組]]（組長・[[伊堂敏雄]]）舎弟を経て四代目[[山口組]][[直参]]に昇格する。 [[一和会]]との「[[山一抗争]]」の時には、[[一和会]]会長・[[山本広|山本 広]]宅に[[ダイナマイト]]を持参して[[ダンプカー|ダンプ]]で突入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
五代目[[山口組]]の[[東京]]進出時には、いち早く行動を起こし、確固たる地盤を築いた。 [[1990年]]2月に起きた「[[八王子抗争]]」の後、[[八王子市|八王子]]に[[正東会]]会長・[[古橋勝利]]（後に後藤組舎弟頭補佐）が地位を確立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、世間を騒がせた[[武富士]]問題の結果、[[日本航空]]の個人[[筆頭株主]]になった。後藤組傘下[[企業舎弟]]及び[[フロント企業]]は、東京都内に多数 進出している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
後藤組の名は、1992年の映画「[[ミンボーの女]]」をめぐる[[伊丹十三]]監督襲撃事件で、武闘派暴力団として報道された。[[伊丹十三]]監督襲撃事件とは、「ミンボーの女」で地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描いた伊丹監督が、同年5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った五人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負った事件である。伊丹監督は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より[[山口組]]系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
旧[[極東桜井總家連合会]]から加わった[[大石会]]、[[高山組 (後藤組)|高山組]]、[[柿畑組]]、[[高山会]]、[[斉藤組]]等が直参に昇格し、構成員も約300人増えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==テナントビル「真珠宮ビル」を巡る虚偽登記事件==&lt;br /&gt;
[[2006年]][[5月8日]]、[[東京都]][[渋谷区]][[代々木]]2丁目の真珠宮ビル（12階）所有権を勝手に移転させたとして、[[警視庁]]組織犯罪対策4課が、電磁的公正証書原本不実記録・同供用の疑いで組長[[後藤忠正]]を逮捕。同様の容疑で[[不動産会社]]「菱和ライフクリエイト」社長ら10人も逮捕。午前中には[[静岡県]][[富士宮市]]の後藤組本部の家宅捜索を受けた。2日後の[[5月10日]]には不動産ブローカーの男が電磁的公正証書原本不実記録などの容疑で逮捕されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==最高幹部==&lt;br /&gt;
* 組長・[[後藤忠政]]（六代目山口組舎弟、旧[[伊堂組]]舎弟、元[[川内組]]若頭補佐兼静岡支部長）&lt;br /&gt;
* 若頭・[[良知政志]]（[[良知組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[山口勝美]]（[[山勝組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[石原英也]]（[[政竜会]]会長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[篠原誠|篠原 誠]]（[[忠誠会]]会長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[日高丈昌]]（[[日高組]]組長）&lt;br /&gt;
* 若頭補佐・[[深沢正志]]（[[深澤組]]組長）&lt;br /&gt;
* 特別相談役・[[渡辺宏|渡辺 宏]]（[[渡辺組]]組長）&lt;br /&gt;
* 特別相談役・[[石川和一]]（[[石川組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭・[[佐野宏好]]（三代目[[大石会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭補佐・[[坂本剛志]]（[[坂本組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟頭補佐・[[古橋勝利]]（[[正東会]]会長）&lt;br /&gt;
* 総本部長・[[塚本修正]]（[[志太宗家]]十代目）&lt;br /&gt;
* 副本部長・[[池田満|池田 満]]（二代目[[東駿会]]会長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他の組員==&lt;br /&gt;
===舎弟===&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[庄子喬|庄子 喬]]（二代目[[東京盛代]][[庄子組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[鴻池隆|鴻池 隆]]（[[鴻池組 (後藤組)|鴻池組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[早川正|早川 正]]（[[早川組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[佐野明義]]（[[藤友会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[太田茂昭]]（[[太田組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[中村政治]]（[[會津家]]七代目組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[永持昌男]]（[[永昌会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[高山勲|高山 勲]]（三代目[[高山会]]会長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[柿畑務|柿畑 務]]（[[柿畑組]]組長）&lt;br /&gt;
* 舎弟・[[長澤城二]]（大石会会長代行）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===幹部===&lt;br /&gt;
* 事務局長・[[惟村邦歳]]（[[惟村組]]組長）&lt;br /&gt;
* 風紀委員長・[[佐野光男]]（[[佐野会]]会長）&lt;br /&gt;
* 懲罰委員長・[[加藤正道]]（[[加藤組]]組長）&lt;br /&gt;
* 慶弔委員長・[[諸田芳雄]]（[[諸田組]]組長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!-- ===若中=== --&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{people-stub}}&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ことうくみ}}&lt;br /&gt;
[[Category:中部地方の暴力団]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口組]]&lt;br /&gt;
[[Category:後藤組|*]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>偶然くじら</name></author>	</entry>

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