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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-08T09:40:59Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2014-05-09T18:18:50Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
*黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]（すでに退会済み）&lt;br /&gt;
**ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
**自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]（バレてビビったらしく退会）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
**男性　36歳　誕生日11月28日 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*バサラ（新アカウント）　[http://www.pixiv.net/member.php?id=9183705]&lt;br /&gt;
**男性　『戦国時代、南北朝時代が好きです』とのことだが、某荒らしも同じことを言っていた。　&lt;br /&gt;
**フィードのページを見ると分かるが、ブックマークの項目にあるイラストはどれも今日（3月2日現在）から11日前のもの。2月19日に喰らった修正を見て慌てて新しいアカウントを作ったものと思われる。&lt;br /&gt;
***その後、「きらきっき☆」と改名。これはニコニコ大百科で彼を論破した相手のアカウント名と酷似している。憎い相手の名前を騙ることにより、自分の罪をなすりつけたいらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体バレを怖れているからだろうか、どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
さっそく捏造を並べ立てる。&lt;br /&gt;
ちなみに、こいつのいう「人の話を聞かない」は''「俺の命令に従わない」''という意味である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この手のガキにありがちな言い換えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
言葉づかいが感情的、かつ独善的。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
自分以外の人間から見てどうかという視点はこいつにない、という事が分かるだろう。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、元に戻ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
当然の批判である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
 身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
誰も書かなくなる恐れがあることに答えずに逃げている。&lt;br /&gt;
また、「自分が良いと思うものは絶対的に良いものだ」と思い込んでいる。（子供にありがち）&lt;br /&gt;
ちなみに「というより～」の後には「～というべき」といった言い回しがくるはずだが、全く別の文章につなげている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうやら中学生程度の国語力もないらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
 複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
 http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
 どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
 削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
 ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
 削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 アカウントはこれか&lt;br /&gt;
 ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
 言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
 複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
 そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
 書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
 こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
 その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
 「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
 （森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
 まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
 関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
 俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
;なぜ『「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事』を想定したのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
おそらく、森長可の記事は彼の身内ルールに合致する内容だったのだろう。&lt;br /&gt;
もちろん、部外者にそんな事がわかるはずもないのだが、身勝手な彼にはそんな事は分からず、ひたすら自分に都合のいい脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）をして話を進めていく。&lt;br /&gt;
（それが自分に都合のいい仮定だとは、彼は気づいていない）&lt;br /&gt;
;森長可は以前に1度も作成されたことのない、完全新規ページである。よって「厳密には書き直し記事ではない」は誤り。&lt;br /&gt;
;「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語も、精神年齢の幼さをうかがわせる。&lt;br /&gt;
;彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由を聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが理由を聞く事は出来ていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも頭はあまり良くないようである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一応指摘しておくと、上で自分で言っているように「森長可では書いてある」のに、なぜかその事を数行で忘却している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「豊臣秀次でも書いてある」ことは、なぜかカッコ書きにしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
上2つの事実があるにも関わらず、なぜか最終的には「書いていない」ことにするという、自己矛盾した発言をしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
 信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
これまた自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
 お疲れ様です。&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
 編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
 クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
 鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
;織田有楽斎の記事はまったく改善されていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
元いた荒らしの書き込みを真に受けたバカがそのまま記事に書いただけである。&lt;br /&gt;
;日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
 要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
 悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
 １．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
 ２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
 ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
 つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
 少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
まあ別に苦労するのはどうでもいいが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
 何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
 自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
 そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
 これが身内ルール。&lt;br /&gt;
またも丁寧に叱られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
 俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
 でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
 つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
 だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
 解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
 なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
;狭く、自分勝手で、独善的で、感情的で、頭の悪い内容である。&lt;br /&gt;
:ページ作成者が&amp;gt;&amp;gt;158を見ている前提になっている。　←証明不可能&lt;br /&gt;
:他の記事を参考にしたようなかたち　←あいまい、かつ主観的&lt;br /&gt;
:出来かけ感のないもの　←感情的&lt;br /&gt;
:つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている　←推測。しかも上のように前提条件が成り立ってない&lt;br /&gt;
:ただ聞きたいだけなら素直に聞けばよろしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうでないことは「食い散らかす」「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語を使ってしまったことでバレているが。&lt;br /&gt;
:良いと思わないから従わないのだろう。もっとも「身内ルール」であるなら、従わないのに理由など必要はあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
プレミアム会員でなければページを編集することはできない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり彼はページを作ったことは1度もなく、他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯ということである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=221539</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2014-03-01T20:43:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* ニコニコ動画のアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
*黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]（すでに退会済み）&lt;br /&gt;
**ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
**自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]（バレてビビったらしく退会）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
**男性　36歳　誕生日11月28日 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*バサラ（新アカウント）　[http://www.pixiv.net/member.php?id=9183705]&lt;br /&gt;
**男性　『戦国時代、南北朝時代が好きです』とのことだが、某荒らしも同じことを言っていた。　&lt;br /&gt;
**フィードのページを見ると分かるが、ブックマークの項目にあるイラストはどれも今日（3月2日現在）から11日前のもの。2月19日に喰らった修正を見て慌てて新しいアカウントを作ったものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体バレを怖れているからだろうか、どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
さっそく捏造を並べ立てる。&lt;br /&gt;
ちなみに、こいつのいう「人の話を聞かない」は''「俺の命令に従わない」''という意味である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この手のガキにありがちな言い換えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
言葉づかいが感情的、かつ独善的。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
自分以外の人間から見てどうかという視点はこいつにない、という事が分かるだろう。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、元に戻ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
当然の批判である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
 身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
誰も書かなくなる恐れがあることに答えずに逃げている。&lt;br /&gt;
また、「自分が良いと思うものは絶対的に良いものだ」と思い込んでいる。（子供にありがち）&lt;br /&gt;
ちなみに「というより～」の後には「～というべき」といった言い回しがくるはずだが、全く別の文章につなげている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうやら中学生程度の国語力もないらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
 複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
 http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
 どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
 削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
 ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
 削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 アカウントはこれか&lt;br /&gt;
 ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
 言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
 複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
 そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
 書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
 こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
 その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
 「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
 （森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
 まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
 関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
 俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
;なぜ『「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事』を想定したのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
おそらく、森長可の記事は彼の身内ルールに合致する内容だったのだろう。&lt;br /&gt;
もちろん、部外者にそんな事がわかるはずもないのだが、身勝手な彼にはそんな事は分からず、ひたすら自分に都合のいい脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）をして話を進めていく。&lt;br /&gt;
（それが自分に都合のいい仮定だとは、彼は気づいていない）&lt;br /&gt;
;森長可は以前に1度も作成されたことのない、完全新規ページである。よって「厳密には書き直し記事ではない」は誤り。&lt;br /&gt;
;「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語も、精神年齢の幼さをうかがわせる。&lt;br /&gt;
;彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由を聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが理由を聞く事は出来ていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも頭はあまり良くないようである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一応指摘しておくと、上で自分で言っているように「森長可では書いてある」のに、なぜかその事を数行で忘却している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「豊臣秀次でも書いてある」ことは、なぜかカッコ書きにしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
上2つの事実があるにも関わらず、なぜか最終的には「書いていない」ことにするという、自己矛盾した発言をしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
 信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
これまた自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
 お疲れ様です。&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
 編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
 クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
 鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
;織田有楽斎の記事はまったく改善されていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
元いた荒らしの書き込みを真に受けたバカがそのまま記事に書いただけである。&lt;br /&gt;
;日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
 要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
 悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
 １．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
 ２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
 ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
 つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
 少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
まあ別に苦労するのはどうでもいいが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
 何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
 自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
 そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
 これが身内ルール。&lt;br /&gt;
またも丁寧に叱られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
 俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
 でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
 つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
 だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
 解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
 なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
;狭く、自分勝手で、独善的で、感情的で、頭の悪い内容である。&lt;br /&gt;
:ページ作成者が&amp;gt;&amp;gt;158を見ている前提になっている。　←証明不可能&lt;br /&gt;
:他の記事を参考にしたようなかたち　←あいまい、かつ主観的&lt;br /&gt;
:出来かけ感のないもの　←感情的&lt;br /&gt;
:つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている　←推測。しかも上のように前提条件が成り立ってない&lt;br /&gt;
:ただ聞きたいだけなら素直に聞けばよろしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうでないことは「食い散らかす」「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語を使ってしまったことでバレているが。&lt;br /&gt;
:良いと思わないから従わないのだろう。もっとも「身内ルール」であるなら、従わないのに理由など必要はあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
プレミアム会員でなければページを編集することはできない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり彼はページを作ったことは1度もなく、他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯ということである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=221538</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2014-03-01T20:40:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* PIXIVのアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]（バレてビビったらしく退会）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
**男性　36歳　誕生日11月28日 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*バサラ（新アカウント）　[http://www.pixiv.net/member.php?id=9183705]&lt;br /&gt;
**男性　『戦国時代、南北朝時代が好きです』とのことだが、某荒らしも同じことを言っていた。　&lt;br /&gt;
**フィードのページを見ると分かるが、ブックマークの項目にあるイラストはどれも今日（3月2日現在）から11日前のもの。2月19日に喰らった修正を見て慌てて新しいアカウントを作ったものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
正体バレを怖れているからだろうか、どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
さっそく捏造を並べ立てる。&lt;br /&gt;
ちなみに、こいつのいう「人の話を聞かない」は''「俺の命令に従わない」''という意味である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この手のガキにありがちな言い換えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
言葉づかいが感情的、かつ独善的。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
自分以外の人間から見てどうかという視点はこいつにない、という事が分かるだろう。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、元に戻ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
当然の批判である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
 身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
誰も書かなくなる恐れがあることに答えずに逃げている。&lt;br /&gt;
また、「自分が良いと思うものは絶対的に良いものだ」と思い込んでいる。（子供にありがち）&lt;br /&gt;
ちなみに「というより～」の後には「～というべき」といった言い回しがくるはずだが、全く別の文章につなげている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうやら中学生程度の国語力もないらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
 複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
 http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
 どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
 削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
 ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
 削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 アカウントはこれか&lt;br /&gt;
 ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
 言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
 複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
 そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
 書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
 こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
 その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
 「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
 （森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
 まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
 関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
 俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
;なぜ『「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事』を想定したのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
おそらく、森長可の記事は彼の身内ルールに合致する内容だったのだろう。&lt;br /&gt;
もちろん、部外者にそんな事がわかるはずもないのだが、身勝手な彼にはそんな事は分からず、ひたすら自分に都合のいい脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）をして話を進めていく。&lt;br /&gt;
（それが自分に都合のいい仮定だとは、彼は気づいていない）&lt;br /&gt;
;森長可は以前に1度も作成されたことのない、完全新規ページである。よって「厳密には書き直し記事ではない」は誤り。&lt;br /&gt;
;「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語も、精神年齢の幼さをうかがわせる。&lt;br /&gt;
;彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由を聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが理由を聞く事は出来ていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも頭はあまり良くないようである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一応指摘しておくと、上で自分で言っているように「森長可では書いてある」のに、なぜかその事を数行で忘却している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「豊臣秀次でも書いてある」ことは、なぜかカッコ書きにしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
上2つの事実があるにも関わらず、なぜか最終的には「書いていない」ことにするという、自己矛盾した発言をしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
 信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
これまた自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
 お疲れ様です。&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
 編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
 クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
 鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
;織田有楽斎の記事はまったく改善されていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
元いた荒らしの書き込みを真に受けたバカがそのまま記事に書いただけである。&lt;br /&gt;
;日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
 要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
 悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
 １．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
 ２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
 ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
 つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
 少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
まあ別に苦労するのはどうでもいいが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
 何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
 自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
 そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
 これが身内ルール。&lt;br /&gt;
またも丁寧に叱られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
 俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
 でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
 つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
 だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
 解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
 なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
;狭く、自分勝手で、独善的で、感情的で、頭の悪い内容である。&lt;br /&gt;
:ページ作成者が&amp;gt;&amp;gt;158を見ている前提になっている。　←証明不可能&lt;br /&gt;
:他の記事を参考にしたようなかたち　←あいまい、かつ主観的&lt;br /&gt;
:出来かけ感のないもの　←感情的&lt;br /&gt;
:つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている　←推測。しかも上のように前提条件が成り立ってない&lt;br /&gt;
:ただ聞きたいだけなら素直に聞けばよろしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうでないことは「食い散らかす」「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語を使ってしまったことでバレているが。&lt;br /&gt;
:良いと思わないから従わないのだろう。もっとも「身内ルール」であるなら、従わないのに理由など必要はあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
プレミアム会員でなければページを編集することはできない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり彼はページを作ったことは1度もなく、他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯ということである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=221537</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=221537"/>
				<updated>2014-03-01T20:36:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* PIXIVのアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]（バレてビビったらしく退会）&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]　男性　36歳　誕生日11月28日 &lt;br /&gt;
**バサラ（新アカウント）　[http://www.pixiv.net/member.php?id=9183705]&lt;br /&gt;
男性　『戦国時代、南北朝時代が好きです』とのことだが、某荒らしも同じことを言っていた。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
さっそく捏造を並べ立てる。&lt;br /&gt;
ちなみに、こいつのいう「人の話を聞かない」は''「俺の命令に従わない」''という意味である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この手のガキにありがちな言い換えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
言葉づかいが感情的、かつ独善的。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
自分以外の人間から見てどうかという視点はこいつにない、という事が分かるだろう。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、元に戻ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
当然の批判である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
 身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
誰も書かなくなる恐れがあることに答えずに逃げている。&lt;br /&gt;
また、「自分が良いと思うものは絶対的に良いものだ」と思い込んでいる。（子供にありがち）&lt;br /&gt;
ちなみに「というより～」の後には「～というべき」といった言い回しがくるはずだが、全く別の文章につなげている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうやら中学生程度の国語力もないらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
 複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
 http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
 どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
 削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
 ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
 削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 アカウントはこれか&lt;br /&gt;
 ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
 言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
 複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
 そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
 書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
 こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
 その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
 「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
 （森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
 まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
 関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
 俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
;なぜ『「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事』を想定したのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
おそらく、森長可の記事は彼の身内ルールに合致する内容だったのだろう。&lt;br /&gt;
もちろん、部外者にそんな事がわかるはずもないのだが、身勝手な彼にはそんな事は分からず、ひたすら自分に都合のいい脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）をして話を進めていく。&lt;br /&gt;
（それが自分に都合のいい仮定だとは、彼は気づいていない）&lt;br /&gt;
;森長可は以前に1度も作成されたことのない、完全新規ページである。よって「厳密には書き直し記事ではない」は誤り。&lt;br /&gt;
;「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語も、精神年齢の幼さをうかがわせる。&lt;br /&gt;
;彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由を聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが理由を聞く事は出来ていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも頭はあまり良くないようである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一応指摘しておくと、上で自分で言っているように「森長可では書いてある」のに、なぜかその事を数行で忘却している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「豊臣秀次でも書いてある」ことは、なぜかカッコ書きにしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
上2つの事実があるにも関わらず、なぜか最終的には「書いていない」ことにするという、自己矛盾した発言をしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
 信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
これまた自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
 お疲れ様です。&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
 編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
 クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
 鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
;織田有楽斎の記事はまったく改善されていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
元いた荒らしの書き込みを真に受けたバカがそのまま記事に書いただけである。&lt;br /&gt;
;日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
 要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
 悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
 １．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
 ２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
 ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
 つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
 少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
まあ別に苦労するのはどうでもいいが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
 何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
 自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
 そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
 これが身内ルール。&lt;br /&gt;
またも丁寧に叱られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
 俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
 でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
 つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
 だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
 解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
 なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
;狭く、自分勝手で、独善的で、感情的で、頭の悪い内容である。&lt;br /&gt;
:ページ作成者が&amp;gt;&amp;gt;158を見ている前提になっている。　←証明不可能&lt;br /&gt;
:他の記事を参考にしたようなかたち　←あいまい、かつ主観的&lt;br /&gt;
:出来かけ感のないもの　←感情的&lt;br /&gt;
:つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている　←推測。しかも上のように前提条件が成り立ってない&lt;br /&gt;
:ただ聞きたいだけなら素直に聞けばよろしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうでないことは「食い散らかす」「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語を使ってしまったことでバレているが。&lt;br /&gt;
:良いと思わないから従わないのだろう。もっとも「身内ルール」であるなら、従わないのに理由など必要はあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
プレミアム会員でなければページを編集することはできない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり彼はページを作ったことは1度もなく、他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯ということである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E3%82%86%E3%83%BC%E3%81%8D%E3%82%93&amp;diff=206097</id>
		<title>利用者・トーク:ゆーきん</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E3%82%86%E3%83%BC%E3%81%8D%E3%82%93&amp;diff=206097"/>
				<updated>2013-10-08T13:45:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: ページの作成：「== アンサイクロペディアの実情== *ユーモアがどうとかほざいているが、アンサイクロペディアの記事にユーモアらしきものは...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;== アンサイクロペディアの実情==&lt;br /&gt;
*ユーモアがどうとかほざいているが、アンサイクロペディアの記事にユーモアらしきものは見当たらない。ガキが考えるようなかなり低レベルのギャグ？や、ただの悪口をブラックジョークだと言い張っている勘違い記事はたまに見られるが、まあとにかくクソである。記事を作った本人はおもしろいと思っているのだろうか？&lt;br /&gt;
*'''サーバーが落ちすぎる。'''。重すぎる。'''ほんっと何やってんだ!ユーザーの気持ちわかっとんか?'''&lt;br /&gt;
*明らかに[[著作権]]の侵害と思しき記事や画像などが多く使われている。&lt;br /&gt;
*侮辱罪や名誉毀損に当たるような記事や、ユーモアと全く関係ない完全な個人的見解を堂々と保護しているにも関わらず、俺ルールや管理者の意思を優先（新規ユーザーによる新規ページ作成はイチャモンを付けて積極的に削除するなど）。&lt;br /&gt;
*「免責テンプレート」を貼れば、誹謗中傷がある程度許容される。&lt;br /&gt;
*[[野比のび太]]を悪く書いているが、仮管理者はのび太君と呼ばれている。&lt;br /&gt;
*[[アドルフ・ヒトラー]]と[[金正日]]を美化して書いている。&lt;br /&gt;
*[[ウィキペディア|本家]]顔負けの非常に厳しい[[検閲]]がある。&lt;br /&gt;
*近年大手検索サイトにおけるヒット率の上昇及びそれによる利用者の増加が見られるが、それとともに管理者&amp;amp;特定投稿人が権力を振りかざすようになり、理不尽な新記事の削除や、そういった姿勢に対し批判するユーザーへのブロックなど、まるで本家[[wikipedia]]と同様の様態を呈するようになって来た。&lt;br /&gt;
*事実を皮肉った[[ポケモン板]]の記事はチラシの裏にでも書いてろとすぐ削除するくせに、明らかにユーモアが欠けまくっている[[鴨厨(ポケモン)|鴨厨]]が書いた悪口だらけのカスミとヒカリの記事は削除しない。&lt;br /&gt;
*データが幾度となく予告なく消失する。&lt;br /&gt;
*管理者権限の付与や剥奪が[[Asakaze|こういう奴]]や[[Muttley|天皇]]の一存にゆだねられており、半ば独裁。&lt;br /&gt;
*知名度が急上昇してるのか、外国からも意味不明な投稿や荒らし行為が行われている。&lt;br /&gt;
**更に暴走を抑えようと[[投稿ブロック]]で誤爆すると、相手の荒らし行為を棚に上げて更にあらゆる言いがかりをつけて逆に投稿ブロックにする。&lt;br /&gt;
*自分が作成した記事を後日改修しても「荒らし」と判断され、その日のうちに無期限の編集停止などの措置も行われているほどであり[[ウィキペディア|本家]]よりも厳しく独裁的かつ規制の基準が不明である。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=205079</id>
		<title>利用者:訂正</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=205079"/>
				<updated>2013-09-20T00:39:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;この世の正義を実現すべく活躍する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
== 今後の予定 ==&lt;br /&gt;
;[[オラン・ペンデク]]&lt;br /&gt;
:[[カテジナ・ルース]]の項をエゴ丸出しの編集で荒らしていた[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:近頃は書き込み回数が極度に減っている模様。最も新しいものは2013年3月。あと2～3年様子見。&lt;br /&gt;
:本日修正。俺の大勝利である。長かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[ラッツ]]&lt;br /&gt;
:[[斬鉄]]（月華の剣士）の項を荒らしていたヴァカ。まともにプレイしたこともない。&lt;br /&gt;
:2012年を最後に編集しなくなっていたので、本日修正をかました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[MURMUR4040]]&lt;br /&gt;
:[[豊臣秀吉]]が近世への転換を成し遂げたという脳内妄想をそのまま妄言としてネット公共地に垂れ流している[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:しばらくは様子見。編集しなくなったところで処刑する。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=203717</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=203717"/>
				<updated>2013-09-05T12:24:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 同罪の人間 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
さっそく捏造を並べ立てる。&lt;br /&gt;
ちなみに、こいつのいう「人の話を聞かない」は''「俺の命令に従わない」''という意味である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この手のガキにありがちな言い換えである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
言葉づかいが感情的、かつ独善的。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
自分以外の人間から見てどうかという視点はこいつにない、という事が分かるだろう。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、元に戻ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
当然の批判である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
 身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
誰も書かなくなる恐れがあることに答えずに逃げている。&lt;br /&gt;
また、「自分が良いと思うものは絶対的に良いものだ」と思い込んでいる。（子供にありがち）&lt;br /&gt;
ちなみに「というより～」の後には「～というべき」といった言い回しがくるはずだが、全く別の文章につなげている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうやら中学生程度の国語力もないらしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
 151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
 複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
 http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
 どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
 削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
 ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
 削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 アカウントはこれか&lt;br /&gt;
 ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
 言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
 複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
 そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
 書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
 こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
 その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
 「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
 （森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
 まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
 関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
 俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
;なぜ『「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事』を想定したのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
おそらく、森長可の記事は彼の身内ルールに合致する内容だったのだろう。&lt;br /&gt;
もちろん、部外者にそんな事がわかるはずもないのだが、身勝手な彼にはそんな事は分からず、ひたすら自分に都合のいい脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）をして話を進めていく。&lt;br /&gt;
（それが自分に都合のいい仮定だとは、彼は気づいていない）&lt;br /&gt;
;森長可は以前に1度も作成されたことのない、完全新規ページである。よって「厳密には書き直し記事ではない」は誤り。&lt;br /&gt;
;「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語も、精神年齢の幼さをうかがわせる。&lt;br /&gt;
;彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由を聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
だが理由を聞く事は出来ていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
どうも頭はあまり良くないようである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;一応指摘しておくと、上で自分で言っているように「森長可では書いてある」のに、なぜかその事を数行で忘却している。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
また、「豊臣秀次でも書いてある」ことは、なぜかカッコ書きにしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
上2つの事実があるにも関わらず、なぜか最終的には「書いていない」ことにするという、自己矛盾した発言をしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
;彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
 信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
これまた自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
 お疲れ様です。&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
 編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
 クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
 鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
;織田有楽斎の記事はまったく改善されていない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
元いた荒らしの書き込みを真に受けたバカがそのまま記事に書いただけである。&lt;br /&gt;
;日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
 要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
 悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
 １．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
 ２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
 ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
 つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
 少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
まあ別に苦労するのはどうでもいいが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
 何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
 自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
 そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
 これが身内ルール。&lt;br /&gt;
またも丁寧に叱られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
 俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
 でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
 つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
 だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
 解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
 なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
;狭く、自分勝手で、独善的で、感情的で、頭の悪い内容である。&lt;br /&gt;
:ページ作成者が&amp;gt;&amp;gt;158を見ている前提になっている。　←証明不可能&lt;br /&gt;
:他の記事を参考にしたようなかたち　←あいまい、かつ主観的&lt;br /&gt;
:出来かけ感のないもの　←感情的&lt;br /&gt;
:つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている　←推測。しかも上のように前提条件が成り立ってない&lt;br /&gt;
:ただ聞きたいだけなら素直に聞けばよろしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
そうでないことは「食い散らかす」「トラップ」「釣れる」「立て逃げ」「放置」といった単語を使ってしまったことでバレているが。&lt;br /&gt;
:良いと思わないから従わないのだろう。もっとも「身内ルール」であるなら、従わないのに理由など必要はあるまい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
プレミアム会員でなければページを編集することはできない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
つまり彼はページを作ったことは1度もなく、他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯ということである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=203202</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=203202"/>
				<updated>2013-08-31T14:46:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、譜代重用と新参国人の没落 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、&lt;br /&gt;
 全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、&lt;br /&gt;
 一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が'''野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）'''、南半分が'''三好康長（不明）'''である。&lt;br /&gt;
**伊賀は織田信雄、織田信包。（ともに親族衆）&lt;br /&gt;
**備前は'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**美作も'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が'''宮部継潤（近江）'''に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしい。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後には周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 伊賀　織田信雄（尾）、織田信包（尾）&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている体制が、&lt;br /&gt;
 家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな動機からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に従おうとするのが人間の自然な感情である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E7%94%B2%E9%99%BD%E8%BB%8D%E9%91%91&amp;diff=202475</id>
		<title>甲陽軍鑑</title>
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				<updated>2013-08-27T17:31:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''甲陽軍鑑'''（こうようぐんかん）は、[[江戸時代]]の[[軍学書]]。著者は[[小幡景憲]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 概要 ==&lt;br /&gt;
甲斐[[武田氏]]の戦略・戦術を記した軍学書とされる。全59品（章）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[武田信虎]]の甲斐統一～武田家滅亡までの合戦や逸話、事跡、刑法などで雑然と構成されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 歴史 ==&lt;br /&gt;
江戸幕府を開いた[[徳川家康]]は武田家の領地を支配し、武田家臣を多く従えていたため、武田家に好意的な姿勢を取っていた。このため、江戸時代に出版された本書は江戸時代の日本で読み物として大いに親しまれた。軍学者の間では、[[甲州流軍学]]の聖典とされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、本書から『甲陽軍鑑評判』『武田三代軍記』などの派生本も出版された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
江戸期の[[講談]]や[[歌舞伎]]をはじめ、明治以後の[[演劇]]や[[小説]]、[[映画]]、テレビドラマ、[[漫画]]など武田氏を題材とした創作世界にも取り込まれ、現代に至るまで多大な影響力を持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作者 ==&lt;br /&gt;
[[武田信玄]]・[[武田勝頼|勝頼]]期に仕えた武将・[[高坂昌信|香坂弾正忠虎綱]]（高坂昌信）が（勝頼在世中の）天正3年・5年に書いた実録を香坂の甥・[[春日惣次郎]]らが書き継いだ、という体裁になっており、天正14年5月の日付で終っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
近代以降の史料批判により、香坂の実録ではなく、[[小幡景憲]]（甲州流軍学の創始者）が香坂らの名を借りて作成したもの、という説が有力視されてきた。近年、[[国語学]]者の[[酒井憲二]]によって、語法などの分析がなされ、江戸時代以前の用法が見られることから、春日惣次郎の下書きを小幡景憲が編纂した可能性が高いという説も唱えられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 史料価値 ==&lt;br /&gt;
*偽書ではない。&lt;br /&gt;
*間違いは多い。特に年代。&lt;br /&gt;
*明らかな創作が混じっている。&lt;br /&gt;
*武田氏関係のことを当たる場合、それなりに参考にするべき史料である。史料批判は欠かせない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
*[[武田信虎]]　甲斐を統一した功労者。しかし息子に・・・&lt;br /&gt;
*[[武田信玄]]　場当たり的国家経営で国を傾かせた愚者&lt;br /&gt;
*[[武田勝頼]]　信玄の負の遺産をどうにか清算しようとして力尽きた苦労人&lt;br /&gt;
*[[山本勘助]]　甲陽軍鑑に登場する軍師&lt;br /&gt;
*[[高坂昌信]]　信玄の愛人♂。ｱｯ-&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=200771</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=200771"/>
				<updated>2013-08-21T06:52:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、譜代重用と新参国人の没落 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、&lt;br /&gt;
 全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、&lt;br /&gt;
 一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が'''野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）'''、南半分が'''三好康長（不明）'''である。&lt;br /&gt;
**備前は'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**美作も'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が'''宮部継潤（近江）'''に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしい。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後には周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている体制が、&lt;br /&gt;
 家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな動機からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に従おうとするのが人間の自然な感情なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=200770</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:44:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、譜代重用と新参国人の没落 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、&lt;br /&gt;
 全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、&lt;br /&gt;
 一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が'''野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）'''、南半分が'''三好康長（不明）'''である。&lt;br /&gt;
**備前は'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**美作も'''宇喜多直家'''。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が'''宮部継潤（近江）'''に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしい。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後には周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=200769</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:39:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 二、武田信玄動く */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、&lt;br /&gt;
 全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、&lt;br /&gt;
 一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:38:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、公家・寺社領安堵政策 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる気もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、&lt;br /&gt;
 全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=200767</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:37:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 二、幕府再興 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、&lt;br /&gt;
 信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:37:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 五、信長の人柄 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、&lt;br /&gt;
 そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、&lt;br /&gt;
 狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-08-21T06:36:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* はしがき */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、&lt;br /&gt;
 私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、&lt;br /&gt;
 ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力像を描く立場もある。&lt;br /&gt;
 そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。&lt;br /&gt;
 それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、&lt;br /&gt;
 民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=191140</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-24T21:11:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第8章　家臣団と知行制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
*2行目について、3版では次のように修正がくわえられている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『この両国出身者を'''仮に譜代家臣と呼んで'''、その他と比較してみよう。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　この文自体は正しくなるが、これでは後の文と全く意味がつながらない。&lt;br /&gt;
　　著者自ら、この章には読む価値がないと認めたようなものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 右に列挙した人々のうち、尾張・美濃出身者で信長に離反した者はいない。&lt;br /&gt;
 信長との強い主従の絆が形成されていたからであろうか。&lt;br /&gt;
 逆に離反したのは松永久秀・荒木村重そして光秀と、いわゆる外様である。&lt;br /&gt;
 別所長治の抵抗も、村重の抵抗と相まって、信長に総力戦に近い形を余儀なくさせるほど強力だった。&lt;br /&gt;
 彼らを離反に踏み切らせた要因の一つに譜代重用があったのではないか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*'''[[斉藤利三]]は美濃出身である。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　また、明智光秀も美濃の土岐氏出身という説がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 天正三年（一五七五）九月、信長は村重に対し、播磨奥郡に出陣し、国人を味方につけ人質をとるよう命じた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 ところが、村重は粉骨もむなしく、その地位を秀吉にとって代わられるのである。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 このような信長のやり方に村重が心穏やかでいられるはずはない。&lt;br /&gt;
 村重の離反はこの翌年のことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*荒木村重は特に戦功もなく、ただタイミング良く寝返ってきたというだけの理由で、いち国人から大名に取り立てられた人間である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　その当時、織田家にはまだ、一国を任された人間はいなかった。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　これだけでも破格の扱いなのに、新参の身で、村重はそれ以上を望んだというのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　さすがに同意できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 領域支配者＝大名に取り立てられたのはほとんどが譜代直臣であり、現地の中小武士はその給人に編成されることによってのみ生き残ることができた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 容赦のない殺戮戦を展開し、そのあとに信長譜代の直臣を大名にすえる。&lt;br /&gt;
 信長の分国とは信長と譜代直臣の領域支配体制である。&lt;br /&gt;
 戦国代用らの地域権力は信長のもとで生き残ることはできないから必死の抵抗を試みる。&lt;br /&gt;
 荒木村重や光秀のように信長に取り立てられても、譜代重用の中でいつまでその地位を保てるかわからない不安がつきまとう。&lt;br /&gt;
 かすかな勝算に賭けて謀反に走るしかなくなる。&lt;br /&gt;
 謀反と頑強な抵抗は、信長の戦争、分国支配のあり方が生み出したものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*すでに書いた3版の改文により、意味が通じなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 戦功を積み重ねても、謀反の心をもたなくても、信長の心一つでいつ失脚するか抹殺されるかわからない不安定な状態に、家臣たちは置かれていた。&lt;br /&gt;
 一門と譜代重視のもと、譜代でない家臣にはより強い不安感があった。&lt;br /&gt;
 独断専行的で、合議の仕組みもなく、弁明・弁護の場も与えられず、家臣に連帯がなく孤立的で、信長への絶対服従で成り立っている耐性が、家臣の将来への不安感を強め、謀反を生むのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どうも日本の歴史学者は思想が偏っていて困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　反乱というのものは不安感などというあいまいな感情からは生まれない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　それは欲望や誇り、怒りから生まれるのである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　'''もし独裁者を恐れているならば、よりその意に沿おうとするのが自然な人間心理なのである。'''&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　著者は独裁者を憎み、独裁者は必ず滅びると言いたいのであろうが、個人の思想は自由であっても、私情を学問に持ち込んではいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-24T20:33:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* おわりに */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備は民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-24T20:32:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* おわりに */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 ちなみに、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　 後北条氏の研究者の方々には、信長研究者への僻みは捨てて、公平な研究をするよう期待したい。&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備や民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　『吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。』&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　（『信長の天下所司代』谷口克広）&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　こういった'''印象操作'''は'''卑怯'''だと思うのだが。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　もっとも、タネが分かってしまえば「な～んだ」である。&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　常識で考えてみてほしい。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-24T20:25:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 書評 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、京都を山城と分けるのは煩雑なので統一した方がいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 山城　'''村井貞勝（近江？）・明智光秀・細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===おわりに===&lt;br /&gt;
 信長の発給文書をみて気づくことは、信長自身は百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力なのではないかということである。&lt;br /&gt;
 郷村宛の禁制以外に村や百姓支配にかかわって発給した文書はほとんどないのである。&lt;br /&gt;
 信長は領主に対し当知行安堵状や知行宛行状を発給するが、あくまで領主にしか目が注がれてはいない。&lt;br /&gt;
 それをうけて、村や百姓に対するのは奉行人や領主自身である。&lt;br /&gt;
 信長には農政・民政がないのである。&lt;br /&gt;
 戦争遂行には築城、道路整備、兵粮等の運搬のために百姓らの夫役・陣夫等が不可欠である。&lt;br /&gt;
 信長は村・百姓の負担の実情に思いを致すことはなかったし、その年間の負担数量を規定することもなかった。&lt;br /&gt;
 道普請でも信長は家臣に命令を発するだけである。&lt;br /&gt;
 それを受けた家臣は自分の才覚で人足や資材等を集めて速やかに遂行し結果を出さなければならない。&lt;br /&gt;
 百姓らの負担がどれだけ過重かに信長は関知しない。&lt;br /&gt;
 『兼見卿記』をみると、村井貞勝はたびたび兼見に人足等の負担を頼み込んでいる。&lt;br /&gt;
 兼見は渋りながらも結局それに応じる。&lt;br /&gt;
 信長にとって戦争と政権運営は家臣・領主との関係において遂行されるものであり、結果だけを評価する。&lt;br /&gt;
 彼らの存在基盤をなす百姓らに直接向き合うことはなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「正面から向き合う」とは具体的に何を指すのか。詩を書くのは歴史学者の仕事ではない。&lt;br /&gt;
**ちなみに著者は普段、'''後北条氏の研究をしている。'''この点には留意しなければならない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 後北条氏には「村に直接、多くの書状を出していた」という特徴があるからだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 もっとも、後北条氏の研究者の中にはこれを「後北条氏の権力が強かったから村の統治にまで介入できたのだ」などとほざいている輩がいるが、そんな勝手な推測をされても困る。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 細かい事まで指示しなければ言う事を聞いてもらえないほど権力が弱かったのかもしれないし、単にそういう方針をとっていただけかもしれないのだから。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 まあいずれにせよ、村にいちいち書状を出すというのはかなり特異なことなので、これをやっていないからという理由で信長のことをどうこう言うのは見当違いである。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
*関所の廃止や道路整備や民政ではないとでも言うつもりなのだろうか？　上京焼き討ちの後の地下銭免除は？　「百姓から本年貢以外とってはならない」と記してある甲斐の国掟は？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 妄想で話を組み立てないでほしい。&lt;br /&gt;
*なぜ百姓の負担が「過重」であることが確定しているのだろう？　そういう史料でもあるのだろうか？&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　 ちなみにこの時代、領主の権力は基本的に弱く、家臣や村に対して絶対的な権力を振るえる人間は少なかった。&lt;br /&gt;
*兼見卿記の話について、誤解のないように書いておこう。&lt;br /&gt;
 吉田兼和は、これまで貞勝との縁故を頼って、常にこうした負担を逃れようとしてきた。&lt;br /&gt;
 この時も、免除を願い出たが、許可は下りなかった。（『信長の天下所司代』谷口克広）&lt;br /&gt;
*津島で踊りを興行した際、信長は村の長老に茶を出し、自ら扇で彼らを仰いだという信長公記の記事がある。&lt;br /&gt;
*だいたい、信長はもとは尾張の守護代の家老という低い身分の出身である。それが百姓に全く目を向けないなどという事がありえるだろうか？&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-22T10:40:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、譜代重用と新参国人の没落 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか朝倉旧臣'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=190963</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-22T10:40:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第8章　家臣団と知行制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 一門の子供や弟を用いた伊勢・尾張・美濃を除いて～&lt;br /&gt;
*なんで伊勢が除かれるのか。北伊勢が滝川一益に与えられていた事実は無視なのか。&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
さて、いよいよ問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*加賀がその後、柴田勝家に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*摂津がその後、池田恒興（尾）に与えられた事が抜けている。&lt;br /&gt;
*国ごと存在しない国がある。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆（尾）。&lt;br /&gt;
**河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
**備前は宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**美作も宇喜多直家。&lt;br /&gt;
**但馬国は秀吉指揮下、大名は不明。うち二郡が宮部継潤（近江）に与えられている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これらを踏まえた正しい表は以下である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 伊勢　'''滝川一益（近江）'''・織田信雄（尾）ほか親族衆&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''・柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''&lt;br /&gt;
 越前　'''前波吉継（越前）ほか旧・朝倉家臣団'''・柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光治（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）、柴田勝家（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城？）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''、池田恒興（尾）&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 和泉　蜂屋頼隆（尾）&lt;br /&gt;
 河内　'''野間長前（河内）・池田教正（河内）・多羅尾常陸介（河内）・三好康長（不明）'''&lt;br /&gt;
 備前　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 美作　'''宇喜多直家（備前）'''&lt;br /&gt;
 但馬　'''宮部継潤（近江）'''&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
 三河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 遠江　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 駿河　'''徳川家康（三河）'''&lt;br /&gt;
 相模　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 伊豆　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 武蔵　'''北条氏政（相模）'''&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 ※ほか、志摩の九鬼嘉隆などもいるが、小さすぎるため除いた。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=190960</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-22T10:11:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第8章　家臣団と知行制 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*山城に明智光秀が抜けている。&lt;br /&gt;
*和泉、河内が存在しない。&lt;br /&gt;
**和泉は蜂屋頼隆、河内は北半分が野間長前・池田教正・多羅尾常陸介（すべて河内）、南半分が三好康長（不明）である。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''、備前などを宇喜多直家（備前）など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=190930</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-21T10:05:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 書評 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第4章　一揆を殲滅し、右大将に===&lt;br /&gt;
====四、安土城を築く====&lt;br /&gt;
 信長の王権構想は日本と天皇とを超えんとするところにあった。&lt;br /&gt;
どうでもいいが私はこの意見には反対である。&lt;br /&gt;
どうでもいいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第6章　絶頂期へ高揚===&lt;br /&gt;
====四、本能寺の変====&lt;br /&gt;
 これに関してはガスパル・コエリョの一五八八年度日本年報の中の文が興味深い。&lt;br /&gt;
 （少略）&lt;br /&gt;
 　統率権の大部分は、特に都の周辺に位置する五畿内なる五つの領国を占領した武将と領主の手中に帰するのが常である。&lt;br /&gt;
 　（中略）&lt;br /&gt;
 また、「天下とは日本の主権のことである。都および周辺の支配権を握ることをそう称する」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*第2章の四での「天下」もこれと同じ解釈で問題ないはずである。京を含む畿内の支配が、他の地域の支配に優越するのは当たり前だろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第8章　家臣団と知行制===&lt;br /&gt;
====三、譜代重用と新参国人の没落====&lt;br /&gt;
 また、信長が分国支配や京都支配で重用した顔ぶれを見ると、尾張出身者が圧倒的に多く、美濃出身者は少しだけいる。&lt;br /&gt;
 この両国出身者を譜代家臣と規定してよいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ぜんぜん良くない。なんで美濃が譜代なの？&lt;br /&gt;
**ならば武田信玄にとって信濃衆は譜代なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、問題の表である。&lt;br /&gt;
 近江　佐久間信盛（尾）・丹羽長秀（尾）・羽柴秀吉（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 越前　柴田勝家（尾）・前田利家（尾）・佐々成政（尾）・'''不破光敗（濃）'''・'''金森長近（濃）'''・'''原長頼（濃）'''&lt;br /&gt;
 若狭　丹羽長秀（尾）&lt;br /&gt;
 加賀　簗田広正（尾）&lt;br /&gt;
 能登　前田利家（尾）&lt;br /&gt;
 越中　佐々成政（尾）&lt;br /&gt;
 丹波　'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 丹後　'''細川藤孝'''&lt;br /&gt;
 京都　村井貞勝（尾）・'''明智光秀'''&lt;br /&gt;
 山城　'''細川藤孝'''・塙直政（尾）&lt;br /&gt;
 大和　'''松永久秀（山城）'''・塙直政（尾）・'''筒井順慶（大和）'''&lt;br /&gt;
 摂津　'''荒木村重（摂津）'''&lt;br /&gt;
 播磨　羽柴秀吉（尾）&lt;br /&gt;
 甲斐　川尻秀隆（尾）・'''穴山梅雪（甲斐）'''&lt;br /&gt;
 信濃　森長可（尾）・毛利長秀（尾）・'''滝河一益（近江）'''・'''木曽義昌（信濃）'''&lt;br /&gt;
 上野　'''滝川一益（近江）'''&lt;br /&gt;
太字が外様（譜代でない家臣）。&lt;br /&gt;
しかしこの表には間違いがいくつもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*村井貞勝の出身は尾張じゃない。少なくとも尾張に村井という苗字の領主はいない（谷口克広「信長の天下所司代」）。唯一の史料は「太閤記」の'''近江'''説。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 よって村井は外様として扱う。&lt;br /&gt;
*近江に柴田勝家（尾）・中川重政（尾）・'''磯野員昌（近江）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*越前に'''前波吉継（越前）'''が抜けている。&lt;br /&gt;
*いったいいつ、松永久秀の出身が山城ということになったのか。まあ松永は譜代でないのが明らかだからどうでもいいが。&lt;br /&gt;
*著者はこの譜代重用が荒木村重の謀反の一因になったと言うのだが、荒木村重の謀反は1578（天正6）年である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時点では「能登　前田利家」や「越中　佐々成政」はまだ存在しない。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 村重の謀反のことを語るのに本能寺の変直前のデータをもってくるのは、時期的におかしいのである。&lt;br /&gt;
*もし本能寺の変直前までを時間的範囲とするというなら、実質的に家臣同然である'''徳川家康（三河）'''・'''北条氏政（相模）'''も含めて良いはずである。&lt;br /&gt;
**さらに言うと、本能寺の変後にでは周防・長門を'''大友義鎮（豊後）'''、備前などを宇喜多直家（備前）など、他国者にいくつもの国をあてがう事が予定されていた。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=190928</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-21T09:30:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 三、反信長連合を解体 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この点については他の研究者も同罪だが、いい加減どうにかならないものか。&lt;br /&gt;
*文言が曖昧すぎる。「信長の代は持たない」とは、「高転び」とはいったい何を指しているのか。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
**「高転び」というのが[[本能寺の変]]の事を言っているのなら、年数がハズレている。（3年5年ではなく9年）&lt;br /&gt;
**揚げ足取りレベルでいいなら、信長の代は2年後に確かに終わった。信忠に家督を譲って。&lt;br /&gt;
***さらに、あまり知られていないが、恵瓊は数年後に織田家との和睦を毛利家に進言するのである。高転びはどこへ行った？？？&lt;br /&gt;
*秀吉が「さりとてはの者」と言うが、どの程度の者なのか。&lt;br /&gt;
**恵瓊は公家になる事を否定的なニュアンスで記しているが、彼の言う「さりとてはの者」＝秀吉は、今更言うまでもなく、公家になることで天下を取ったのである。&lt;br /&gt;
**恵瓊が「[[周公旦]]・[[太公望]]などのごとく」と絶賛した[[朝山日乗]]は、数年後に失脚した。&lt;br /&gt;
**のちの関ヶ原の戦いで、恵瓊は西軍について敗北し、斬首された。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 この時、西軍の敗因となったのは、吉川広家と小早川秀秋の内通である。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 つまり恵瓊は、毛利家中の人間といってよいこの2人の動向を、見極めることができなかったのだ。&lt;br /&gt;
*そもそも、たった1回会っただけで相手の事がどこまで分かるというのだろう。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　 それもこれだけ人物眼のない人間が。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=190926</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-21T09:16:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 書評 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第3章　反信長同盟の結成と戦い===&lt;br /&gt;
====一、浅井・朝倉・本願寺の同盟====&lt;br /&gt;
 比叡山焼き討ちにしても、古い体制を象徴する宗教勢力を否定するという目的のために破壊・殺戮をおこなったのではない。&lt;br /&gt;
 信長に味方せず敵方を利して、信長を窮地に陥れたから、敵を徹底的に破砕する信長流の報復戦をしたのである。&lt;br /&gt;
 もちろん、そこには計算があった。&lt;br /&gt;
 天皇・都の鎮護を担って公武の手厚い保護をうけ、信仰の対象でもある比叡山でさえ容赦なく攻め滅ぼすというメッセージである。&lt;br /&gt;
 わが身と言えの存続をひたすら願う天皇・公家らは信長の期限を損ねないようにつとめるしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*要するに単なる見せしめだというのだ。いくらなんでも理解の仕方が低レベルすぎないか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、武田信玄動く====&lt;br /&gt;
 正月、六角承禎父子が一向一揆と組んで蜂起し、南近江の金森・三宅の両城に立て籠もった。&lt;br /&gt;
 この地域を支配する佐久間信盛は、信長の命令をうけて、一向宗の僧や荘・郷村の指導者である「地士長」らに、一味内通をしない旨の起請文を提出させた。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 もし敵方になれば手ごわい人々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*どこが手ごわいのか。この後の一向一揆に対する処置を知らないのか。事実、信長にあっさり起請文を提出しているではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、反信長連合を解体====&lt;br /&gt;
（末尾）&lt;br /&gt;
*相変わらず安国寺恵瓊の書状を予言扱いしている。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
この点については他の研究者も同罪だが、どうにかならないものか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=190925</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2013-06-21T09:06:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
 ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
 この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
 ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
 書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
 書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 &amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
 概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
 最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにコイツの過去の書き込みは、こうだ。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;　&lt;br /&gt;
 9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
 お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
これはまあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
 三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
 でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
 主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
 文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
 みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&lt;br /&gt;
ちなみにコイツは、自分では何も書いた形跡がない。&lt;br /&gt;
『他人のふんどしで相撲を取る』とは、まさにこのこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
 河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
 要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
上のレス以来のレス。&lt;br /&gt;
どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
アカウントはこれか&lt;br /&gt;
ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 アレとはなんだろうか？&lt;br /&gt;
 クレーマーみたいな感じのするである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特に&lt;br /&gt;
そう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「って言うよりは」の後には「～と言うべき」といった言い回しがくるはずだが、&lt;br /&gt;
　全く別の文章につなげている。中学生程度の国語力もないらしい。&lt;br /&gt;
　で、誰も書かなくなる恐れがあることについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/ &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
（森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 トラップという精神年齢の幼い単語は置いといて・・・&lt;br /&gt;
 彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由が聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&lt;br /&gt;
 だが理由を聞く事は出来ていない。&lt;br /&gt;
 つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&lt;br /&gt;
 どうも頭はあまり良くないようである。&lt;br /&gt;
 その後の脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）の自分勝手さも、精神年齢の幼さを窺わせる。&lt;br /&gt;
 一応指摘しておくと、上で自分で言っているように森長可では書いてあるのに、なぜかその事を数行で忘却し、&lt;br /&gt;
 また豊臣秀次でも書いてあることは、カッコ書きにすることによって書いていないことにし、&lt;br /&gt;
 自己矛盾した発言をしている。&lt;br /&gt;
 彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 166 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 これまだ自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
１．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあ別に苦労するのはどうでもいいが。嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
170 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
これが身内ルール。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ＞ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いもの&lt;br /&gt;
 他のページを「良い物」と規定した感じ方。&lt;br /&gt;
 これが&amp;gt;&amp;gt;171の言った「俺が良い物と思った物を押し付ける」行為でなくてなんであろう。&lt;br /&gt;
 もっとも誰も彼に同意していないので、身内ルールというより「俺ルール」というべきだが。&lt;br /&gt;
 そして彼はさらに「マナーと言うかルールみたいなものを知っている」と論理を飛躍させる。&lt;br /&gt;
 自分の感覚や気分を真実と誤解する人間とは、議論する事は不可能である。&lt;br /&gt;
 最後の2行は、身内ルールを押し付ける気はないが、なぜ身内ルールを守らないか理由が聞きたかったということだろうか？&lt;br /&gt;
 今までの「前科」からしてにわかには信じがたいが、仮にそれを聞いてどうするのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞「今、記事を書き直してる編集者もアレ」&lt;br /&gt;
＞「食い散らかしたような状況」&lt;br /&gt;
＞「釣れるとは思わなかった」&lt;br /&gt;
＞「その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 彼のレス内には、悪意に満ちた単語・言い回しが並んでいる。&lt;br /&gt;
 たとえ相手がなんと答えようが、やはり「俺のルールに従え」と言うのではないだろうか。&lt;br /&gt;
 もしくは単なる自己満足のためという事も考えられるが、やはりこれはちょっと信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 173 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:44:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;169&lt;br /&gt;
すまん。なんで依頼記事やスレを通さなきゃいけないのか解らん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁以外の編集者さん達は、こちらから何も言う必要な無い状態で復旧してくれているので、&lt;br /&gt;
そういった人達まで含めてそういう風にまとめるのはどうでしょうかね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁は、元々織田関係の記事で黒ずくめの人と編集合戦してた人なんで、&lt;br /&gt;
今回ご新規にでてきた方ではないですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
174 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
175 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&lt;br /&gt;
要するに他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯、「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。--&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189668</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189668"/>
				<updated>2013-06-13T04:18:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: まあねー。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--　&lt;br /&gt;
9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&lt;br /&gt;
 ちなみにコイツは自分では何も書いた形跡がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 上のレス以来のレス。&lt;br /&gt;
 どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
アカウントはこれか&lt;br /&gt;
ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 アレとはなんだろうか？&lt;br /&gt;
 クレーマーみたいな感じのするである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特に&lt;br /&gt;
そう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「って言うよりは」の後には「～と言うべき」といった言い回しがくるはずだが、&lt;br /&gt;
　全く別の文章につなげている。中学生程度の国語力もないらしい。&lt;br /&gt;
　で、誰も書かなくなる恐れがあることについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/ &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
（森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 トラップという精神年齢の幼い単語は置いといて・・・&lt;br /&gt;
 彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由が聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&lt;br /&gt;
 だが理由を聞く事は出来ていない。&lt;br /&gt;
 つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&lt;br /&gt;
 どうも頭はあまり良くないようである。&lt;br /&gt;
 その後の脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）の自分勝手さも、精神年齢の幼さを窺わせる。&lt;br /&gt;
 一応指摘しておくと、上で自分で言っているように森長可では書いてあるのに、なぜかその事を数行で忘却し、&lt;br /&gt;
 また豊臣秀次でも書いてあることは、カッコ書きにすることによって書いていないことにし、&lt;br /&gt;
 自己矛盾した発言をしている。&lt;br /&gt;
 彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 166 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 これまだ自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
１．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあ別に苦労するのはどうでもいいが。嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
170 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
これが身内ルール。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ＞ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いもの&lt;br /&gt;
 他のページを「良い物」と規定した感じ方。&lt;br /&gt;
 これが&amp;gt;&amp;gt;171の言った「俺が良い物と思った物を押し付ける」行為でなくてなんであろう。&lt;br /&gt;
 もっとも誰も彼に同意していないので、身内ルールというより「俺ルール」というべきだが。&lt;br /&gt;
 そして彼はさらに「マナーと言うかルールみたいなものを知っている」と論理を飛躍させる。&lt;br /&gt;
 自分の感覚や気分を真実と誤解する人間とは、議論する事は不可能である。&lt;br /&gt;
 最後の2行は、身内ルールを押し付ける気はないが、なぜ身内ルールを守らないか理由が聞きたかったということだろうか？&lt;br /&gt;
 今までの「前科」からしてにわかには信じがたいが、仮にそれを聞いてどうするのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞「今、記事を書き直してる編集者もアレ」&lt;br /&gt;
＞「食い散らかしたような状況」&lt;br /&gt;
＞「釣れるとは思わなかった」&lt;br /&gt;
＞「その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 彼のレス内には、悪意に満ちた単語・言い回しが並んでいる。&lt;br /&gt;
 たとえ相手がなんと答えようが、やはり「俺のルールに従え」と言うのではないだろうか。&lt;br /&gt;
 もしくは単なる自己満足のためという事も考えられるが、やはりこれはちょっと信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 173 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:44:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;169&lt;br /&gt;
すまん。なんで依頼記事やスレを通さなきゃいけないのか解らん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁以外の編集者さん達は、こちらから何も言う必要な無い状態で復旧してくれているので、&lt;br /&gt;
そういった人達まで含めてそういう風にまとめるのはどうでしょうかね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁は、元々織田関係の記事で黒ずくめの人と編集合戦してた人なんで、&lt;br /&gt;
今回ご新規にでてきた方ではないですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
174 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
175 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&lt;br /&gt;
要するに他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯、「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--とまあ散々ガキの所業を指弾してきはしたが、俺もたいがいバカではある。こんなカスが他人の言う事に耳を貸すわけがないのは自明の理。いくら言い聞かせたところで馬の耳に念仏、時間と労力の無駄というものだ。--&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189659</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189659"/>
				<updated>2013-06-12T15:11:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--　&lt;br /&gt;
9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&lt;br /&gt;
 ちなみにコイツは自分では何も書いた形跡がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 上のレス以来のレス。&lt;br /&gt;
 どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
アカウントはこれか&lt;br /&gt;
ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 アレとはなんだろうか？&lt;br /&gt;
 クレーマーみたいな感じのするである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特に&lt;br /&gt;
そう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「って言うよりは」の後には「～と言うべき」といった言い回しがくるはずだが、&lt;br /&gt;
　全く別の文章につなげている。中学生程度の国語力もないらしい。&lt;br /&gt;
　で、誰も書かなくなる恐れがあることについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/ &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
（森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 トラップという精神年齢の幼い単語は置いといて・・・&lt;br /&gt;
 彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由が聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&lt;br /&gt;
 だが理由を聞く事は出来ていない。&lt;br /&gt;
 つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&lt;br /&gt;
 どうも頭はあまり良くないようである。&lt;br /&gt;
 その後の脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）の自分勝手さも、精神年齢の幼さを窺わせる。&lt;br /&gt;
 一応指摘しておくと、上で自分で言っているように森長可では書いてあるのに、なぜかその事を数行で忘却し、&lt;br /&gt;
 また豊臣秀次でも書いてあることは、カッコ書きにすることによって書いていないことにし、&lt;br /&gt;
 自己矛盾した発言をしている。&lt;br /&gt;
 彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 166 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 これまだ自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
１．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあ別に苦労するのはどうでもいいが。嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
170 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
これが身内ルール。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ＞ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いもの&lt;br /&gt;
 他のページを「良い物」と規定した感じ方。&lt;br /&gt;
 これが&amp;gt;&amp;gt;171の言った「俺が良い物と思った物を押し付ける」行為でなくてなんであろう。&lt;br /&gt;
 もっとも誰も彼に同意していないので、身内ルールというより「俺ルール」というべきだが。&lt;br /&gt;
 そして彼はさらに「マナーと言うかルールみたいなものを知っている」と論理を飛躍させる。&lt;br /&gt;
 自分の感覚や気分を真実と誤解する人間とは、議論する事は不可能である。&lt;br /&gt;
 最後の2行は、身内ルールを押し付ける気はないが、なぜ身内ルールを守らないか理由が聞きたかったということだろうか？&lt;br /&gt;
 今までの「前科」からしてにわかには信じがたいが、仮にそれを聞いてどうするのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞「今、記事を書き直してる編集者もアレ」&lt;br /&gt;
＞「食い散らかしたような状況」&lt;br /&gt;
＞「釣れるとは思わなかった」&lt;br /&gt;
＞「その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 彼のレス内には、悪意に満ちた単語・言い回しが並んでいる。&lt;br /&gt;
 たとえ相手がなんと答えようが、やはり「俺のルールに従え」と言うのではないだろうか。&lt;br /&gt;
 もしくは単なる自己満足のためという事も考えられるが、やはりこれはちょっと信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 173 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:44:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;169&lt;br /&gt;
すまん。なんで依頼記事やスレを通さなきゃいけないのか解らん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁以外の編集者さん達は、こちらから何も言う必要な無い状態で復旧してくれているので、&lt;br /&gt;
そういった人達まで含めてそういう風にまとめるのはどうでしょうかね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁は、元々織田関係の記事で黒ずくめの人と編集合戦してた人なんで、&lt;br /&gt;
今回ご新規にでてきた方ではないですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
174 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
175 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;br /&gt;
ちなみに、掲示板がプレムアム会員限定になった瞬間に書き込みが途絶えたので、プレミアムではないらしい（重要）。&lt;br /&gt;
要するに他人の書き込みにクレームを付けて楽しむ愉快犯、「他人のふんどしで相撲を取る」「同人作家が著作権を主張する」といった行為を平然と、しかも自分が正しいと信じて行う、社会のダニのような人間である。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189657</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189657"/>
				<updated>2013-06-12T12:46:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: xY8RMfNjK/　の人物像について。&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;人物像&lt;br /&gt;
:高校生、年がいっててもせいぜい大学2年生、といったところだろうか？&lt;br /&gt;
:自分の口のうまさにはちょっと自信がある。（実際は口下手だが、周囲に指摘された事はないため、うまいと'''勘違いしている'''）&lt;br /&gt;
:何か言わないと気が済まない、いわゆる「一言多い」性格。&lt;br /&gt;
:'''頭はあまり良くない。'''特に国語力。&lt;br /&gt;
:自分が何も持っていないため、なんらかのコミュニティのお仲間になることを欲している。&lt;br /&gt;
:そしてその一員になった（と思い込む）事によって、自分がいっぱしの人間になったと勘違いしている。&lt;br /&gt;
:このため大きな態度を取っている。&lt;br /&gt;
:実際の自分は何も変わっていない事からは必死に目を逸らしている。&lt;br /&gt;
:自分にとって不愉快な事実からは逃げ、絶対に目に入れないようにしている。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--　&lt;br /&gt;
9 ： ななしのよっしん：2009/02/18(水) 01:08:50 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
上杉や島津やホンダムの記事が大百科っぽい内容すぎて、&lt;br /&gt;
お館様や独眼竜や姫若子の記事が不憫に思えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあどうでもいい書き込みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
41 ： ななしのよっしん：2010/04/04(日) 01:39:15 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
三国も戦国も約一名が量産したようなもんだから仕方ない。マイナー好きって言ってたし。&lt;br /&gt;
でも、去年ぐらいのペースでまだ量産が続いてたら、今頃浅井の記事もできてたんじゃないかな。&lt;br /&gt;
主要な家臣のは出来てるし。&lt;br /&gt;
文句言うだけな連中の無思慮な発言がなければなぁ・・・三好家なんて長慶以外ほぼ揃ってるのに。&lt;br /&gt;
みんなでお願いしたら復帰してくれるかな &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 後に自分がその「文句言うだけな連中」と化し、「無思慮な発言」をしようとは。&lt;br /&gt;
 ちなみにコイツは自分では何も書いた形跡がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
147 ： ななしのよっしん：2013/04/18(木) 18:57:37 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
河内長門守って編集者が作成した記事のほとんどが、著作権違反で削除依頼だされてるんだが、&lt;br /&gt;
要編集コピペ記事の一覧が機能してないので、ここに要編集記事の欄をつくった方が良いのではなかろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 上のレス以来のレス。&lt;br /&gt;
 どうも人のアラ探しが趣味になってしまったらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
151 ： 削除しました：削除しました ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
152 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 11:55:54 ID: 5UdkHW30WY &lt;br /&gt;
複数アカウントがバレたのは河内長門守じゃなく、↓の「黒ずくめの人」な。&lt;br /&gt;
http://dic.nicovideo.jp/u/24904511%7C&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに今、ピクシブ百科事典にほぼ同じ内容の記事が投稿されてる。&lt;br /&gt;
どうやらそっちで続きやってるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 153 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:11:19 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;152&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;148にはそのことを書いてたんだがね。&lt;br /&gt;
削除された記事とあわせて報告レス書いたらなぜか運営が消してしまった。&lt;br /&gt;
ここは大丈夫みたいだったが、他の記事では別の編集者が上書きしたリビジョンまでまるごと&lt;br /&gt;
削除とかしてたから、何かあったのかもしれんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あと、Pixiv百科事典は、運営が管理放棄してるからこういう奴の居場所に丁度良いだろうね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか裏事情に詳しいな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
154 ： ななしのよっしん：2013/05/17(金) 12:16:50 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
アカウントはこれか&lt;br /&gt;
ttp://www.pixiv.net/member.php?id=862016&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と言うかすでに「ニコニコ大百科から流れてきた荒らしの編集を排除」とか&lt;br /&gt;
言われてるようだ。Pixiv百科事典の利用者のみなさんすいませんね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
155 ： ななしのよっしん：2013/05/29(水) 06:04:45 ID: JsilvEHi3w &lt;br /&gt;
複数アカウントは許しちゃならんが、そいつ以降のリビジョン全部削除されちゃうと記事修復がめんどくて萎える&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 156 ： ななしのよっしん：2013/06/02(日) 20:41:12 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;153&lt;br /&gt;
そうだったのか、すまん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところで消された記事のうちの多くが編集禁止になってるね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 157 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 01:24:01 ID: iUkGpS6WEX &lt;br /&gt;
書いていた内容が三英雄でとにかく秀吉を持ち上げて秀吉が一番でなくては気がすまないという人だったっけ&lt;br /&gt;
こういうとアレだがこの人といいい天地人の脚本家といい大阪人に歴史語らせるべきではないと思ったね &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 アレとはなんだろうか？&lt;br /&gt;
 クレーマーみたいな感じのするである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特に&lt;br /&gt;
そう感じてしまうのかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
161 ： ななしのよっしん：2013/06/08(土) 01:41:25 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
身内ルールを作ってると誰も書かなくなるぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
162 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 02:56:18 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;161&lt;br /&gt;
身内ルールって言うよりは、なんで他の記事参考にして良いところを学ばないのだろうかってところ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」なんて立て逃げレベルだし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 「って言うよりは」の後には「～と言うべき」といった言い回しがくるはずだが、&lt;br /&gt;
　全く別の文章につなげている。中学生程度の国語力もないらしい。&lt;br /&gt;
　で、誰も書かなくなる恐れがあることについては？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
163 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
164 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 18:47:31 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
信長包囲網って記事が酷すぎるな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なんだか自演臭い1行レスだが、まあスルーしておこう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
165 ： ななしのよっしん：2013/06/10(月) 19:10:40 ID: xY8RMfNjK/ &amp;gt;&amp;gt;163&lt;br /&gt;
その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本人が「森長可」の記事はちゃんとしてるだろって言ってくる事を想定して&lt;br /&gt;
「今、記事を書き直してる」と限定するように書いたんだが&lt;br /&gt;
（森長可の記事は厳密には書き直し記事ではない）、&lt;br /&gt;
まさか外部サイトが釣れるとは思わなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信長包囲網」は前記の通り立て逃げ同然状態だし、&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」「豊臣秀次」は、概要（と秀次は関連項目も）だけ書いて&lt;br /&gt;
関連動画やら他の項目は埋めずに放置したあげくクロスリンクもしていない。&lt;br /&gt;
俺の言ってる事のどこが間違ってるのやら。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 トラップという精神年齢の幼い単語は置いといて・・・&lt;br /&gt;
 彼いわく、この’トラップ’は「なぜ身内ルールを守らないか理由が聞く」目的で設置したものであるらしい。（後述）&lt;br /&gt;
 だが理由を聞く事は出来ていない。&lt;br /&gt;
 つまりこのトラップは失敗したというべきなのだが、なぜか彼は「ものの見事にトラップにひっかかった」と勝ち誇っている。&lt;br /&gt;
 どうも頭はあまり良くないようである。&lt;br /&gt;
 その後の脳内シミュレーション（本人いわく「想定」）の自分勝手さも、精神年齢の幼さを窺わせる。&lt;br /&gt;
 一応指摘しておくと、上で自分で言っているように森長可では書いてあるのに、なぜかその事を数行で忘却し、&lt;br /&gt;
 また豊臣秀次でも書いてあることは、カッコ書きにすることによって書いていないことにし、&lt;br /&gt;
 自己矛盾した発言をしている。&lt;br /&gt;
 彼の言ってる事のどこが間違ってるのか？　その答えは彼自身のレスの中にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 166 ： 削除しました：削除しました ID: bVdx7WXBqX 削除しました &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
167 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 00:06:42 ID: f36a1suFdb&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 勝頼の記事を書いた人が頑張ってるみたいだね&lt;br /&gt;
信長包囲網が凄く改善されてた &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 これまだ自演臭いレスだが、放置。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
168 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:28:38 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「織田有楽斎」の記事も一般ユーザーの方と編集者さんのおかげで改善されてました。&lt;br /&gt;
お疲れ様です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;166&lt;br /&gt;
編集してる人が例の御人とは別の方なので。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
例の御人は織田信雄の記事でもあまり変わってないみたいですね。&lt;br /&gt;
クロスリンクするようになっただけマシかもしれないですけど。&lt;br /&gt;
鬼武蔵の記事はまっとうに出来てるからこそよけいに手抜きに見えてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 日本語訳→「俺から手抜きに見える記事は叩く！徹底的にな！！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
169 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 08:50:10 ID: 4msM3RUGri&lt;br /&gt;
要編集記事って見出しがまずかったんじゃないの&lt;br /&gt;
悪質ユーザーのせいで消えた→復旧させたいって願望が先に出すぎてる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
本来なら復旧させたい人の取る手立てとしては&lt;br /&gt;
１．他人の意見を募る、もしくは独力で書く&lt;br /&gt;
２．自分で書けない人のための記事作成依頼か要望版の一般会員記事作成記事編集依頼スレで依頼する&lt;br /&gt;
ってのが筋、そもそも復旧を急ぐ理由もないわけだし&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一度荒れた記事をまた作ることの危険性や、規制内容を規制記事一覧で確認するようにって注意文も足りてない&lt;br /&gt;
つまり安売りするから変なのが寄ってくるし、それで苦労するユーザーも増えるってこと&lt;br /&gt;
少し注意文増やしてハードル上げたらいいよ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 まあ別に苦労するのはどうでもいいが。嫌なら来なけりゃいいレベルのページだし、ニコニコ大百科なんて。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
170 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
171 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:08:41 ID: 5UdkHW30WY&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;162&lt;br /&gt;
何を良いと思うかは人それぞれ。&lt;br /&gt;
自分が良いと思っている物を、他人にも「俺はこれは良い物だと思うからお前もそう思え。&lt;br /&gt;
そして同じ通りにしろ」と言って押し付ける。&lt;br /&gt;
これが身内ルール。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
172 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:39:08 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;171&lt;br /&gt;
俺が&amp;gt;&amp;gt;158を書き込んだ時点で、例の御人は「森長可」の記事を新規に作ってる。&lt;br /&gt;
でこの記事は、ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いものになっている。&lt;br /&gt;
つまりこの編集者は記事をつくる時のマナーと言うかルールみたいなものを知っている。&lt;br /&gt;
だけどその後に全削除から復旧した記事（当時の織田有楽斎や豊臣秀次）ではそれができていない。&lt;br /&gt;
解ってるはずなのになぜやらないのか？と聞きたかったんだよね。&lt;br /&gt;
なので、身内ルールを押し付けると言うより、身内ルール解っててちゃんと出来るのになんでやらないのって事だったんですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 ＞ちゃんと他の記事を参考にしたようなかたちで出来かけ感の無いもの&lt;br /&gt;
 他のページを「良い物」と規定した感じ方。&lt;br /&gt;
 これが&amp;gt;&amp;gt;171の言った「俺が良い物と思った物を押し付ける」行為でなくてなんであろう。&lt;br /&gt;
 もっとも誰も彼に同意していないので、身内ルールというより「俺ルール」というべきだが。&lt;br /&gt;
 そして彼はさらに「マナーと言うかルールみたいなものを知っている」と論理を飛躍させる。&lt;br /&gt;
 自分の感覚や気分を真実と誤解する人間とは、議論する事は不可能である。&lt;br /&gt;
 最後の2行は、身内ルールを押し付ける気はないが、なぜ身内ルールを守らないか理由が聞きたかったということだろうか？&lt;br /&gt;
 今までの「前科」からしてにわかには信じがたいが、仮にそれを聞いてどうするのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＞「今、記事を書き直してる編集者もアレ」&lt;br /&gt;
＞「食い散らかしたような状況」&lt;br /&gt;
＞「釣れるとは思わなかった」&lt;br /&gt;
＞「その外部サイトの奴、ものの見事にトラップにひっかかってくれたなって感じ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 彼のレス内には、悪意に満ちた単語・言い回しが並んでいる。&lt;br /&gt;
 たとえ相手がなんと答えようが、やはり「俺のルールに従え」と言うのではないだろうか。&lt;br /&gt;
 もしくは単なる自己満足のためという事も考えられるが、やはりこれはちょっと信用できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 173 ： ななしのよっしん：2013/06/11(火) 15:44:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;169&lt;br /&gt;
すまん。なんで依頼記事やスレを通さなきゃいけないのか解らん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁以外の編集者さん達は、こちらから何も言う必要な無い状態で復旧してくれているので、&lt;br /&gt;
そういった人達まで含めてそういう風にまとめるのはどうでしょうかね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そもそも例の御仁は、元々織田関係の記事で黒ずくめの人と編集合戦してた人なんで、&lt;br /&gt;
今回ご新規にでてきた方ではないですよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
174 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO 削除しました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
175 ： 削除しました：削除しました ID: KLXBngb6BO &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189655</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189655"/>
				<updated>2013-06-12T12:31:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* ニコニコ動画のアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
**またもや自演がバレ、レスが削除。こんな短期間のうちに2度同じ間違いを繰り返すとは、本物のアホのようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189654</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189654"/>
				<updated>2013-06-12T12:29:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* ウィキペディアのアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend|黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511|大百科の黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189653</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189653"/>
				<updated>2013-06-12T12:22:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* PIXIVのアカウント */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0|利用者:ポテンシャル0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend|黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511|大百科の黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自演用アカウントいくつか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*ＲＯＭ専　[http://www.pixiv.net/member.php?id=862016]&lt;br /&gt;
*ぴく支部　[http://www.pixiv.net/member.php?id=7196466]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どれもグーグルなどで検索されにくい単語になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189616</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2013-06-11T18:28:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0|利用者:ポテンシャル0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend|黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511|大百科の黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*近頃、またニコニコに戻ってきた。しかしやっている事はといえば、自分が出した削除依頼を自分で持ち出すなど（運営には相手にされなかった）、かなりマヌケである。いくらニコニコが厨房の巣窟とはいえ、流石にこんなのに騙されるほどのアホはいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660|Mya]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=189615</id>
		<title>利用者:訂正</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=189615"/>
				<updated>2013-06-11T18:21:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;この世の正義を実現すべく活躍する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--&lt;br /&gt;
== 今後の予定 ==&lt;br /&gt;
;[[オラン・ペンデク]]&lt;br /&gt;
:[[カテジナ・ルース]]の項をエゴ丸出しの編集で荒らしていた[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:近頃は書き込み回数が極度に減っている模様。最も新しいものは2013年3月。あと2～3年様子見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[ラッツ]]&lt;br /&gt;
:[[斬鉄]]（月華の剣士）の項を荒らしていたヴァカ。まともにプレイしたこともない。&lt;br /&gt;
:2012年を最後に編集しなくなっていたので、本日修正をかました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[MURMUR4040]]&lt;br /&gt;
:[[豊臣秀吉]]が近世への転換を成し遂げたという脳内妄想をそのまま妄言としてネット公共地に垂れ流している[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:しばらくは様子見。編集しなくなったところで処刑する。&lt;br /&gt;
--&amp;gt;&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E5%B3%B6%E8%B2%B4%E5%BE%B3&amp;diff=189287</id>
		<title>星島貴徳</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E6%98%9F%E5%B3%B6%E8%B2%B4%E5%BE%B3&amp;diff=189287"/>
				<updated>2013-06-07T18:41:40Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''星島 貴徳'''（ほしじま たかのり）は、変質者兼殺人犯である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==人物==&lt;br /&gt;
*[[岡山県]][[岡山市]]出身。&lt;br /&gt;
*[[2008年]][[4月18日]]、当時住んでいた[[東京都]][[江東区]]のマンションで同じマンションの別の部屋に住む女性を殺害。&lt;br /&gt;
**その後、平然とインタビューに答えていた。&lt;br /&gt;
*同年[[5月25日]]に逮捕される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[江東マンション神隠し殺人事件]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:ほししまたかのり}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0%EF%BC%9D%E9%BB%92%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%82%81%E3%81%AE%E4%BA%BA%EF%BC%9DMya&amp;diff=189286</id>
		<title>ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya</title>
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				<updated>2013-06-07T18:23:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''ポテンシャル0＝黒ずくめの人＝Mya'''とは、秀吉厨の捏造自演野郎である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアのアカウント==&lt;br /&gt;
利用者:ポテンシャル0　[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB0|利用者:ポテンシャル0]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は'''美術系'''です。」&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''ハンコ作り'''をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*「この利用者は関東地方の東京都在住です。」&lt;br /&gt;
**→追記3・2011年1月半ばから2ヶ月程入院してました。（中略）これから数ヶ月は体調の事や '''転居'''などで忙しい為～&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」は'''愛知県在住。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''ニコニコ動画を利用しています'''。&lt;br /&gt;
**ニコニコの「黒ずくめの人」がニコニコ大百科の『小牧長久手の戦い』などに書いた文章（すでに削除ずみ）、PIXIVの「Mya」がPIXIV百科事典の『小牧長久手の戦い』に書いた文章はほとんど同じ。&amp;lt;br&amp;gt;その内容のポイント「これは織田家の派閥争いであって秀吉の陰謀ではない」「織田信孝は独裁を目論んでいた」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*この利用者は'''猫が好き'''です。&lt;br /&gt;
**PIXIVの「Mya」の'''プロフ画像は猫。'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ニコニコ動画のアカウント==&lt;br /&gt;
黒ずくめの人　[http://www.nicovideo.jp/user/24904511/friend|黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
ニコニコ大百科の方はこちら　[http://dic.nicovideo.jp/u/24904511|大百科の黒ずくめの人]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介は&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　　　　　　 　人&lt;br /&gt;
 　　　　　　 （＿_）　　　 ｳﾝｺｰ&lt;br /&gt;
 　　　　　　（＿＿）　　　　　(´⌒(´⌒&lt;br /&gt;
 　　　　　　(・∀・ )　　　　(´⌒(´≡&lt;br /&gt;
 　　　　 　 O┬O ノ｀　　≡≡≡(´⌒;;;&lt;br /&gt;
 　　　　　 ◎┴し-◎　(´⌒(´⌒;;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*コイツのフレンドに登録されてる3人は自演用サブアカウント。&lt;br /&gt;
**うち、「4代目」の自己紹介は上のと同じ「ｳﾝｺｰ」。&lt;br /&gt;
**コイツもおそらくそう。　[http://www.nicovideo.jp/user/21134542]&lt;br /&gt;
*どのアカウントも動画は1つも投稿していない。大百科に記事を作るためだけのものと思われる。&lt;br /&gt;
*コイツが作った記事や行った編集、掲示板にしたコメは全部削除されたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==PIXIVのアカウント==&lt;br /&gt;
Mya　[http://www.pixiv.net/member.php?id=1135660|Mya]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*パーソナルタグ　'''判子''' 東方 '''石彫''' '''篆刻'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*住所 '''愛知県'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*自己紹介　至って平凡な輩です。本当に器用貧乏なだけです。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 曰く「犬みたいな臭いがする」とは友人御子息談。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　 '''判子の製作、請け負います。'''お気軽にメッセージやコメントにて御依頼下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*石彫判子の技術向上の為に色々な判子を彫っております。&lt;br /&gt;
**邪な心では良い作品は作れんぞ？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==同罪の人間==&lt;br /&gt;
このxY8RMfNjK/（&amp;gt;&amp;gt;158と&amp;gt;&amp;gt;160）も同罪。&lt;br /&gt;
なぜなら捏造自演野郎の記事を正しく修正した人間を誹謗中傷し、その記事をも貶めているからである。&lt;br /&gt;
「概要以外はまったく書かない」「クロスリンクもしない」など、捏造情報を広めようとしている。&lt;br /&gt;
（実際は概要以外も書いているし、ちゃんとクロスリンクしている）&lt;br /&gt;
類は友を呼ぶ、と言うべきだろうか？まったく困ったものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
158 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 12:17:17 ID: xY8RMfNjK/&lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;157&lt;br /&gt;
ただ・・・今、記事を書き直してる編集者もアレなんだよね。&lt;br /&gt;
概要以外はまったく書かないから作りかけ感が強いし、&lt;br /&gt;
この一覧とクロスリンクもしないし、&lt;br /&gt;
ユーザーページに意見具申しに行って掲示板みたら、人の話を聞かないなこりゃと思ったし。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
159 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:26:18 ID: zDrGXEGmCa &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
書き直しに期待ができないなら、自分で書くしかないよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というか、既存の記事のレベルが高すぎて、新しく書いてそれに並べる勇気が湧かないよ('A`)&lt;br /&gt;
書く奴がいるだけマシだと思うんだよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
160 ： ななしのよっしん：2013/06/07(金) 13:32:55 ID: xY8RMfNjK/ &lt;br /&gt;
&amp;gt;&amp;gt;159&lt;br /&gt;
概要部分は別にいいんだけど、それ以外が食い散らかしたような状況なのがアレなんだよね。&lt;br /&gt;
最近はそうでもなくなってるけど、武将記事って体裁の面でもきちんとしてるのが多いから特にそう感じてしまうのかも。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=188936</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=188936"/>
				<updated>2013-06-03T12:31:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 四、天下と分国 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも&lt;br /&gt;
 「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。&lt;br /&gt;
 ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、&lt;br /&gt;
 「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=188935</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-03T12:29:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第二章　幕府の再興と天下 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
 それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」&lt;br /&gt;
 あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、&lt;br /&gt;
 すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
 都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
 以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。&lt;br /&gt;
 もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
 しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
 （中略）&lt;br /&gt;
 三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
 それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
 これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
 逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
 （かなり中略）&lt;br /&gt;
 そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、&lt;br /&gt;
 天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
 天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*天下という単語に2つの意味があったことは否定しないが、もっと単純に考えていいだろう。&amp;lt;br&amp;gt;つまり我々は、国政と地方行政が区別されている環境に慣れているせいで、戦国時代もそうだったと思い込んでいるのである。&amp;lt;br&amp;gt;実際は違う。天皇にしろ将軍にしろ、自分の直轄領というのがあった。&amp;lt;br&amp;gt;つまり当時の「天下人」とは、京都府知事が内閣総理大臣の両方の権利を持った役職である、ということである。&amp;lt;br&amp;gt;こう考えれば矛盾がない。&lt;br /&gt;
*それを抜きにしても「全国を意味する語へと飛躍していった」はおかしい。&amp;lt;br&amp;gt;回帰していった、なら分かるが。&lt;br /&gt;
*どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=188933</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-06-03T12:20:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 四、天下と分国 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
一五八二年十一月五日付ルイス・フロイス書簡は信長の死を報じる中で「後には公方さえも都から放逐して日本の君主国、すなわち天下と称する近隣諸国の征服に乗り出した」とあり、同人の一五八四年一月二日付書簡にも「天下、すなわち、都に隣接する諸国からなる君主国」とある。&lt;br /&gt;
都に隣接する諸国とは五畿内のことと考えてまちがいないだろう。それが「天下」の範囲とされている。&lt;br /&gt;
以上の史料は「天下」が日本全国を意味するものではないことを示している。もちろん、この時代に「天下」の語に日本全国を意味する用例がなかったわけではない。ことに朝廷や寺社・幕府関係者には伝統的に全国を意味する用法が観念上存在したであろう。&lt;br /&gt;
しかし、現実の政治的状況の中では、信長と信長を取りまく人々や大名において、「天下」の語は通常右に述べた意味内容で意識され使われていたといってよい。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
三好三人衆とその与同者、敵対者の城を攻略し、あるいは制札銭・矢銭などを賦課することで、それらの国を平定したという形をとった。&lt;br /&gt;
それから京都にもどって義昭が将軍になった。&lt;br /&gt;
これを『公記』は「畿内の逆徒ら」を退散させて「天下御存分に属し」たと書いた。&lt;br /&gt;
逆徒らを追い払い平定すべき範囲は畿内であり、それが「天下」でもあったことを示している。&lt;br /&gt;
（かなり中略）&lt;br /&gt;
そうして、天正元年の義昭追放を機に「天下」であった五畿内が分国になった段階を経て、さらに分国が拡大していくと、天下は全国を意味する語へと飛躍していった。&lt;br /&gt;
天正八年三月に本願寺の屈服が確定してまもなく、柴田勝家は「天下一統」といって全国平定を展望した（補208、これについては後述）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どうでもいいが、ずいぶん文章が安っぽい箇所がある。自分の主張にあまり関係ないところはどうでもいいのか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-05-25T09:04:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第二章　幕府の再興と天下 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;br /&gt;
 神田千里氏は「中世末の『天下』について」で、天下の意味や範囲についてくわしく述べている。&lt;br /&gt;
それによれば、天下が京都あるいは京都と五畿内をさす場合、将軍をさす場合、「将軍が握っている幕府政治」あるいは「将軍というものに象徴される秩序」をさす場合などがあるという。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=187866</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=187866"/>
				<updated>2013-05-25T08:12:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第二章　幕府の再興と天下 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====三、公家・寺社領安堵政策====&lt;br /&gt;
 なぜなら、信長は京都を本拠地にする気はなく、みずからが将軍になる木もなかった。&lt;br /&gt;
 将軍になっても、それだけでは全国の大名を従えることはできないことをわかっていたからである。&lt;br /&gt;
 天下布武によって天下静謐を実現した後は幕府に静謐維持を担わせ、みずからは分国支配・分国拡大戦に邁進し、全国を平定しようと考えていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*もっともな考え方だが、1つ上で指摘した通り、自分の主張同士で矛盾している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====四、天下と分国====&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=187865</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-05-25T08:05:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* 第二章　幕府の再興と天下 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====二、幕府再興====&lt;br /&gt;
 ただし、信長が幕府・守護体制とか、義満が樹立した、室町将軍を頂点とする公武一統政権をつくることをめざしていたと私は考えない。&lt;br /&gt;
 信長自身が義昭から分国の守護に任じられてはいないし、幕府が守護を任命する体制はすでにない。&lt;br /&gt;
 信長は京都・畿内の秩序維持機能を幕府に期待したにすぎない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*恒例の信長sage。&lt;br /&gt;
*「信長は守護に任じられてはいない」というが、上の『一、義昭を奉じて上洛』にはこう書いてある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 なお、「古今消息集」には同日付で義昭が信長を主筋の管領家斯波氏の家督とし、武衛（左兵衛督）に任じるとした文書写も載っているが、信長はこれを辞退したようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
任じられているではないか。任じられたのに（著者の解釈によれば）信長が断ったのである。&lt;br /&gt;
*「幕府が守護を任命する体制はすでにない」ことと、信長が何を目指すかは全く別の話である。前者は現状、後者は未来の話だからだ。&lt;br /&gt;
*幕府に秩序維持機能があるなら、信長が上洛し、幕府の役人に様々な指示を与える必要はなかったはずである。&amp;lt;br&amp;gt;信長が期待したのは自身が天下を支配するという大義名分だ。この「天下」は従来通り「日本国」という解釈でいいだろう。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=187864</id>
		<title>人物叢書 織田信長</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%A2%E6%9B%B8_%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7&amp;diff=187864"/>
				<updated>2013-05-25T07:57:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>人物叢書 織田信長</title>
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				<updated>2013-05-25T07:53:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
織田信長 (人物叢書)とは、左翼偏向学者・池上裕子が書いたトンデモ歴史本である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 書評 ==&lt;br /&gt;
=== はしがき ===&lt;br /&gt;
※五木寛之は小説家である。だから文章がうまい。そこのところを警戒してから読んでほしい。&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;br&amp;gt;&lt;br /&gt;
 信長と敵対者について、作家の五木寛之さんが『朝日新聞』に連載の「みみずくの夜メール」で興味深い記述をされているのに出会い、私は強く惹かれた。&lt;br /&gt;
 少し長いが、みなさんにぜひ伝えたいと思うところを引用してみよう。&lt;br /&gt;
 （以下引用）&lt;br /&gt;
 ……ところが東京中心のジャーナリズムには、その違和感がない。日本全国みんな一定の物の見方をしているように思い込んでいるふしがある。……&lt;br /&gt;
 たとえば、織田信長という人物は、だれでもが英雄氏していると決めこんでいるような気配がある。……しかし私が日本各地で出会った人たちの中には、&lt;br /&gt;
 「信長許すまじ」&lt;br /&gt;
 と、平成のいまでも眉をつりあげ、言葉が激する人びとが少なくなかった。いや、むしろ松代まで信長を憎み続けると公言する人たちがたくさんいたのだ。&lt;br /&gt;
 北陸、東海、近畿、中国地方など、ことにその傾向がつよかったように思う。&lt;br /&gt;
 瀬戸内の島々の人びとのなかには、信長勢と戦う一向宗の応援に水軍としてはせ参じた船の民の末裔があちこちにいて、ご先祖の船乗りたちがいかに水上戦で信長軍を翻弄したかを、&lt;br /&gt;
 きのうのことのように唾をとばして語ってくれる人たちがいた。&lt;br /&gt;
 （引用おわり）&lt;br /&gt;
 私はこの文章に深く共感し安堵の思いを持った。近年は、平和が勝者＝権力者も含めて多数の希求していた絶対的な価値であるかのようにみなして、&lt;br /&gt;
 平和のために統一をめざし実現したから民衆に支持されたという権力象を描く立場もある。そうなると、信長や統一政権に抵抗した人々の立つ瀬がないのである。&lt;br /&gt;
 五木さんの文章からは、誰もが権力による「平和」を待望し、統一政権の戦争をそのための戦争と称賛していたわけではなかったことがわかる。&lt;br /&gt;
 命を懸けて戦った人々には、抵抗し戦うべき立場があったからこそ闘ったのである。それなくして、どうして四００年以上もの間、「許すまじ」意識が生き続けてこられようか。&lt;br /&gt;
 私はこれまで「英雄」の歴史を書きつつ、敗者・抵抗者の思いを気にかけてきたが、その思いを描き出せたわけではなかった。&lt;br /&gt;
 そしてこの先は、信長の側に立って天正十年六月一日までの勝者の歴史を描くことになるのだが、私の立場は、民衆のために平和＝統一をめざしたかのごとき権力像を描こうとするものではなく、&lt;br /&gt;
 また、敗者・抵抗者を歴史の「進歩」を見誤った愚者のように扱うものでは決してないことを表明しておきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====評論====&lt;br /&gt;
*五木寛之は'''「蓮如物語」「親鸞」'''という小説を書いている。一向宗（＝浄土真宗）側に偏った視点になっているのではないか。&lt;br /&gt;
*北陸、中国地方はまあ分かる。近畿は数年でほぼ制圧されてしまったが、まだ分からんでもない。しかし東海は信長（と家康）の本拠地である。信長を憎んでいる人が多くいるとは全く思えない。&lt;br /&gt;
*「末代まで信長を憎み続ける」・・・日本人が本当にこんな事を言うものだろうか？　朝鮮人や中国人ではあるまいし、400年前の人間を恨み続けるなど、およそ日本人の価値観とはかけ離れている。&amp;lt;br&amp;gt;もし本当に憎んでいるとしても、それはおそらく実際の信長ではなく、江戸時代以降に創作によって作り上げられた信長像ではないのか。&lt;br /&gt;
*抵抗した人々の立つ瀬がないと、著者にとってなにか不都合なことでもあるのだろうか。&lt;br /&gt;
*「平和を待望していた人々」に抵抗し、命を賭けて戦うことはむしろ不名誉なことではないのか。&lt;br /&gt;
*「信長許すまじという意識」は、本当に400年間生きてきたものなのか。江戸時代200年の平和、そして明治維新後の激動の中、特に目的も無くそんな意識を持ち続けていられるとは。ちょっと思えない。&lt;br /&gt;
*要は「自分は反・信長の立場から本書を著す」と宣言しているのである。これではとても中立的な内容は期待できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第一章　尾張・美濃平定===&lt;br /&gt;
====一、大うつけ信長　～　四、稲葉山城攻略====&lt;br /&gt;
*初めっから史料の丸写しのような文章が目立つ。「武者始」くらい現代語訳したらどうなのか。（初陣のこと）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
====五、信長の人柄====&lt;br /&gt;
 このように絶対君主のような性格の人はどの時代にもどこでも大なり小なり存在すると思うが、信長は時代の波に乗って、そうした面を抑制することなく人々に君臨することができ、大きな成果をあげたといえようか。&lt;br /&gt;
 信長は敵を討った後、戦果を誇示する手紙の中で、「近年の鬱憤を散じ候」のように書くことが少なくない。&lt;br /&gt;
 本音であろう。&lt;br /&gt;
 逆らう者、抵抗を続ける者に憎しみ、怒りをつのらせ、徹底的に叩くとか、根切り、なで切りの殲滅戦をするとか、狂気のような沙汰に走ってしまうところがあった。&lt;br /&gt;
 まことに多くの人を殺したのであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*なんとも時代遅れの信長評である。これは一体いつの時代の本なのだろう？&lt;br /&gt;
*信長の行った事績を性格に帰している。さすがに幼稚すぎるだろう。&lt;br /&gt;
*ちなみに戦国時代に、権力強化を図って失敗した大名は何人かいる。有名なのは[[武田信虎]]、[[斎藤道三]]。&amp;lt;br&amp;gt;信長は彼らと比べ自分を抑えてうまくやったから成功したのだ、と推測できる。&lt;br /&gt;
*敵を徹底的に叩くことが狂気の沙汰？？？わけがわからない。ちなみに敵を殺してその数を減らせば、味方は安全になる。&lt;br /&gt;
*この項はたった3ページ未満しかない。'''人物'''叢書・・・？&lt;br /&gt;
*上に書いた部分以外は、全てフロイス日本史と信長公記からの抜き書きである。あまりにも貧相である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===第二章　幕府の再興と天下===&lt;br /&gt;
====一、義昭を奉じて上洛====&lt;br /&gt;
 だから信長は美濃平定が終わらないうちから、上洛供奉の意向を積極的に表明して、義昭を自分に引きつけておこうとした。&lt;br /&gt;
 将軍家の者を擁立しなくては、京都に入って軍勢を動かしても、その正当性を認められないのが現実であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
*まったくの事実である。しかし、この著者はあとで「信長は全国統一を目指したのではなく、ただ自分の領地を拡大しようとしただけ」などと書くのである。&amp;lt;br&amp;gt;だったらなんで信長は京都に入ることを目指したのか？この時点での京都は、信長の領地からは国1個を隔てた場所にある。&amp;lt;br&amp;gt;自分の領国拡大以上の意図がなければおかしいではないか。完全に矛盾している。&amp;lt;br&amp;gt;自分の頭の中身を整理してから書いてもらいたいものである。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84&amp;diff=187842</id>
		<title>葵龍雄</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84&amp;diff=187842"/>
				<updated>2013-05-24T17:11:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''葵 龍雄'''（あおい たつお、き りゅうゆう、キ ロンウ）は、[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]の管理人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
自称アジア人で、台湾でホームページを運営しているが、国籍は明らかにしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「キ・ロンウ」「あおいたつお」「きりゅうゆう」「あおいりゅうゆう」と読み方は自由と本人が発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==葵のまだ甘い点==&lt;br /&gt;
*「ジェントルハートプロジェクト」というNPO法人が行ったアンケート結果からもわかるように、小中高生というのが如何にいじめ問題についての考えが軽々しい生き物かを理解もせずに「いじめ事件のあった学校の関係者なら皆、加害者を恥と思うだろう。」と言っている&amp;lt;ref&amp;gt;ならば一体何なんだ、[http://blog.goo.ne.jp/chikushikan/m/200909 このブログ]や神奈川県民の[[神奈川県立野庭高等学校]]の（モロに事件があった）吹奏楽部に対するチヤホヤぶりは。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*成人しているからとの理由で史上最低のクソガキ（[[亀田興毅]]・[[亀田大毅]]・[[沢尻エリカ]]・[[高橋祐也]]）をホームページ上で取り上げていない。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*ホームページで取り上げた加害者の入学を許可している学校&amp;lt;ref&amp;gt;[[神奈川県立橋本高等学校]]や[[埼玉県立浦和高等学校]]、[[早稲田大学]]など。また、[[岐阜県立土岐紅陵高等学校]]についても加害者が事件後、通学していることを指摘しているものの、入学を許可した同校を批判していない。&amp;lt;/ref&amp;gt;をスルーしている。&lt;br /&gt;
**[[瑞浪市立瑞浪中学校|瑞浪中]]の件の加害者の一人・[[安藤里穂]]については事件後、高校を満喫していることやその安藤と何も知らずに付き合っている友人がいる&amp;lt;ref&amp;gt;ってか、知ってても付き合うぞ、ああいう奴らは。あの世代はもろ「ジェントルハートプロジェクト」によるアンケート結果で…（以下略&amp;lt;/ref&amp;gt;ことに大激怒したり、身の毛もよだつ思いだと言ってはいた[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/mizunamiijimejisatsu_riho.htm]が&amp;lt;ref&amp;gt;'''ってか、そう思うならその友人や彼氏も名前や顔ばらして叩いたらいいだろうに。'''&amp;lt;/ref&amp;gt;、そのわりに他の奴らについては…&lt;br /&gt;
*[[山口県立光高等学校]]の件について「報復を受けても結局、命拾いした加害者は逮捕された被害者を笑ってんだろうな。」と怒りを露にしているわりにはこの加害者らの実名を暴露せずにスルーしている。&lt;br /&gt;
*[[栃木県]]で[http://b4103042.blog103.fc2.com/blog-entry-449.html こんな酷い事件]があったのをはなっから取り上げていない。&lt;br /&gt;
*[[川口市立芝中学校|芝中]]の件の加害者の一人・[[竹越充]]がその後も剣道で名を轟かせているのを叩かずにスルーしている。&lt;br /&gt;
*[[埼玉県]][[北埼玉郡]][[北川辺町]]（現：[[加須市]]）のリンチ殺人の[[市澤主税]]が妻子を儲けていることや市澤の両親の暴言にキレているそばから妻子については「こんな夫じゃ妻子がかわいそうだ」と妙に同情的である&amp;lt;ref&amp;gt;そんな男を結婚相手に選んだりしているのはお構いなしか。ガキだって将来、悪者に育つってことも葵だったら簡単に想像できるはずだろが。[[DQNスパイラル]]ってものを知らんのか?&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
しかし、これらの指摘をメール等で行ったとしても、最近の葵は挨拶や情報更新がおろそかになってきているので、すぐには返事が期待できないのが現状になってしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 葵に粘着する池沼 ==&lt;br /&gt;
困ったことに一部では葵を「このようなことをして被害者の為になるのか。」などと叩いたり、「興味本位な人間を扇動したいだけ」と切り捨てたりする恩知らずも見受けられるのも事実なのである。これらの恩知らずは[[反日]]的な[[自虐史観]]を信奉する[[左翼]]であり、「[[皇室|天皇制]]打倒」を掲げる[[共産主義|共産主義者]]である。更には[[2ちゃんねる]]とかでは成人による犯罪は普通にバッシングするのに葵のこととなると「いじめられっ子」呼ばわりして笑い者にするなどという、感覚が矛盾した馬鹿まで出てくる始末である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[畠山育人|知的廃頽者]]が葵氏に粘着してくだらない中傷をしているが、当然、低能の戯れ言として処理される。葵氏にメールを送り、喧嘩を売って敗れた低能がいるが、こいつは2ちゃんねるに葵批判のスレを立て、自作自演の書き込みを行うが、すぐに見破られてその愚かさが顕わにされてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアでの扱い==&lt;br /&gt;
ウィキペディアでも、葵のページが彼の善意に散々ケチをつける書き込みで埋め尽くされていたが、違いのわかる利用者によって「個人的に気にすることを書く場じゃない」「場違いだ」「論評すんな」とこてんぱんに蹴散らされた。そして、「百科事典的でない」と記事自体が削除された。'''ざまあみろ、現状知らずのマヌケどもが!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:葵龍雄]] - [[Yourpedia]]における葵の利用者ページ。&lt;br /&gt;
*[[クソガキの一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/no1.html クソガキどもを糾弾するホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あおいたつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウェブサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで削除された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:天才]]&lt;br /&gt;
[[Category:畠山育人]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84_(210.88.243.214%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A6%84%E6%83%B3)&amp;diff=187803</id>
		<title>葵龍雄 (210.88.243.214による妄想)</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84_(210.88.243.214%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%A6%84%E6%83%B3)&amp;diff=187803"/>
				<updated>2013-05-23T14:44:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: 葵龍雄へのリダイレクト&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#REDIRECT[[葵龍雄]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84&amp;diff=187802</id>
		<title>葵龍雄</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E8%91%B5%E9%BE%8D%E9%9B%84&amp;diff=187802"/>
				<updated>2013-05-23T14:43:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: 松葉裕子によって荒らされる前に差し戻し&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;{{ウィキペディア削除}}&lt;br /&gt;
'''葵 龍雄'''（あおい たつお、き りゅうゆう、キ ロンウ）は、[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]の管理人である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物 ==&lt;br /&gt;
自称アジア人で、台湾でホームページを運営しているが、国籍は明らかにしていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「キ・ロンウ」「あおいたつお」「きりゅうゆう」「あおいりゅうゆう」と読み方は自由と本人が発言している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ホームページ上で取り上げた事件による被害者の被害感情を真剣に考えていることに変わりはないのであるが、困ったことに一部では葵を「このようなことをして被害者の為になるのか。」などと叩いたり、「興味本位な人間を扇動したいだけ」と切り捨てたりする恩知らずも見受けられるのも事実なのである。これらの恩知らずは[[反日]]的な[[自虐史観]]を信奉する[[左翼]]であり、「[[皇室|天皇制]]打倒」を掲げる[[共産主義|共産主義者]]である。更には[[2ちゃんねる]]とかでは成人による犯罪は普通にバッシングするのに葵のこととなると「いじめられっ子」呼ばわりして笑い者にするなどという、感覚が矛盾した馬鹿まで出てくる始末である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===葵のまだ甘い点===&lt;br /&gt;
葵は世の中の事件の加害者及びその関係者に対する見解が100%完璧かと言われると案外そうでもない。いや、むしろ思っていたよりはまだまだお人好しである。&lt;br /&gt;
*少年によるいじめ事件やリンチ事件があった場合、「少年によるこのような行為は親の責任でもある。」と発言するなど（一部事件では加害者の両親の名前も公開している）、「この親にしてこの子あり」ということを人一倍理解していながら、ホームページ上で取り上げた加害者がやがて結婚して子供ができた場合、「子供には罪はない」と発言している。&amp;lt;ref&amp;gt;ってか、'''ホームページで取り上げた加害者の結婚にあれだけ立腹できるくらいだったら流産祈願するぐらいできんワケぇ'''?&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
*「ジェントルハートプロジェクト」というNPO法人が行ったアンケート結果からもわかるように小中高生というのが如何にいじめ問題についての考えが軽々しい生き物かを理解もせずに「いじめ事件のあった学校の関係者なら皆、加害者を恥と思うだろう。」と言い張っている&amp;lt;ref&amp;gt;ならば一体何なんだ、[http://blog.goo.ne.jp/chikushikan/m/200909 このブログ]や神奈川県民の[[神奈川県立野庭高等学校]]の（モロに事件があった）吹奏楽部に対するチヤホヤぶりは。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&amp;lt;!--*成人しているからとの理由で史上最低のクソガキ（[[亀田興毅]]・[[亀田大毅]]・[[沢尻エリカ]]・[[高橋祐也]]）をホームページ上で取り上げていない。--&amp;gt;&lt;br /&gt;
*ホームページで取り上げた加害者の入学を許可している学校&amp;lt;ref&amp;gt;[[神奈川県立橋本高等学校]]や[[埼玉県立浦和高等学校]]、[[早稲田大学]]など。また、[[岐阜県立土岐紅陵高等学校]]についても加害者が事件後、通学していることを指摘しているものの、入学を許可した同校を批判していない。&amp;lt;/ref&amp;gt;をスルーしている。&lt;br /&gt;
**[[瑞浪市立瑞浪中学校|瑞浪中]]の件の加害者の一人・[[安藤里穂]]については事件後、高校を満喫していることやその安藤と何も知らずに付き合っている友人がいる&amp;lt;ref&amp;gt;ってか、知ってても付き合うぞ、ああいう奴らは。あの世代はもろ「ジェントルハートプロジェクト」によるアンケート結果で…（以下略&amp;lt;/ref&amp;gt;ことに大激怒したり、身の毛もよだつ思いだと言ってはいた[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/mizunamiijimejisatsu_riho.htm]が&amp;lt;ref&amp;gt;'''ってか、そう思うならその友人や彼氏も名前や顔ばらして叩いたらいいだろうに。'''&amp;lt;/ref&amp;gt;、そのわりに他の奴らについては…&lt;br /&gt;
*[[山口県立光高等学校]]の件について「報復を受けても結局、命拾いした加害者は逮捕された被害者を笑ってんだろうな。」と怒りを露にしているわりにはこの加害者らの実名を暴露せずにスルーしている。&lt;br /&gt;
*[[栃木県]]で[http://b4103042.blog103.fc2.com/blog-entry-449.html こんな酷い事件]があったのをはなっから取り上げていない。&lt;br /&gt;
*[[川口市立芝中学校|芝中]]の件の加害者の一人・[[竹越充]]がその後も剣道で名を轟かせているのを叩かずにスルーしている。&lt;br /&gt;
*[[埼玉県]][[北埼玉郡]][[北川辺町]]（現：[[加須市]]）のリンチ殺人の[[市澤主税]]が妻子を儲けていることや市澤の両親の暴言にキレているそばから妻子については「こんな夫じゃ妻子がかわいそうだ」と妙に同情的である&amp;lt;ref&amp;gt;そんな男を結婚相手に選んだりしているのはお構いなしか。ガキだって将来、悪者に育つってことも葵だったら簡単に想像できるはずだろが。[[DQNスパイラル]]ってものを知らんのか?&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
しかし、これらの指摘をメール等で行ったとしても、最近の葵は挨拶や情報更新がおろそかになってきているので、すぐには返事が期待できないのが現状になってしまっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 葵に粘着する池沼 ==&lt;br /&gt;
[[畠山育人|知的廃頽者]]が葵氏に粘着してくだらない中傷をしているが、当然、低能の戯れ言として処理される。葵氏にメールを送り、喧嘩を売って敗れた低能がいるが、こいつは2ちゃんねるに葵批判のスレを立て、自作自演の書き込みを行うが、すぐに見破られてその愚かさが顕わにされてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==ウィキペディアでの扱い==&lt;br /&gt;
ウィキペディアでも、葵のページが彼の善意に散々ケチをつける書き込みで埋め尽くされていたが、違いのわかる利用者によって「個人的に気にすることを書く場じゃない」「場違いだ」「論評すんな」とこてんぱんに蹴散らされた。そして、「百科事典的でない」と記事自体が削除された。'''ざまあみろ、現状知らずのマヌケどもが!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==脚注==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関連項目==&lt;br /&gt;
*[[クソガキどもを糾弾するホームページ]]&lt;br /&gt;
*[[利用者:葵龍雄]] - [[Yourpedia]]における葵の利用者ページ。&lt;br /&gt;
*[[クソガキの一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
*[http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/no1.html クソガキどもを糾弾するホームページ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:あおいたつお}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウェブサイト]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアで削除された記事]]&lt;br /&gt;
[[Category:インターネットの人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:天才]]&lt;br /&gt;
[[Category:畠山育人]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=Q%EF%BD%9EZ%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=187801</id>
		<title>Q～Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=Q%EF%BD%9EZ%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&amp;diff=187801"/>
				<updated>2013-05-23T14:32:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: /* M */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;==数字==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|2B}}===&lt;br /&gt;
{{警}}初登場以来、記事の差し戻し以外をせず再三の問いかけにも全く応えない[[自警]]。海獺のソックパペット。指摘を受けたとたんに鳴りを潜めたので確実。[[自由民主党]]インターネット工作グループ「チーム世耕」の一員。警察・[[自衛隊]]・[[自由民主党]]・[[産経新聞]]・[[ネットウヨ]]に都合の悪い事（[[防衛不祥事]]や[[警察不祥事]]、産経の誤報・捏造への事項追加）を書かれようものなら猛然とリバートを行ない、相手を荒らし申告する。[[ウィキペディア日本語版の管理者|管理者]]達の共有アカウントの疑いあり（普通なら対話拒否だけでブロック相当）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|5816K}}===&lt;br /&gt;
差別主義者。創価という言葉を聴くだけで徹底的に荒らしを行う悪質ユーザー。また、嫌韓派であり中国人・韓国人に対しても反感的な態度を取る（ユーザーページを見てもそれが窺える）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==その他==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Σ64}}===&lt;br /&gt;
年に10～20回も山に登る登山ヲタク・写真ヲタク（でも機種は安物）の高校生。少しも学業に励まないから、どうせエスカレーターで大学まで行く気なのだろう。利用者ページの中に「未編集記事」とか言って大量の山についての未編集記事があるが、'''全部執筆できるんならしてみやがれ'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ПРУСАКИН}}===&lt;br /&gt;
署名には'''PRUSAKiN'''を使ってる東ヨーロッパの歴史や軍事を主な執筆分野とする編集者。インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派の言語に精通しており特に東スラブ語群のロシア語、ウクライナ語あたりはネイティブに使えるらしい。ノートページでは長文を書くことで有名。[[wiki:利用者:Alex K|Alex K]]というウクライナ人の手下がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==A==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Abcde}}===&lt;br /&gt;
[[バーニングプロダクション]]の工作員で、同じく[[バーニンググループ]]に有利な編集をしている[[wiki:利用者:Tanto|Tanto]]も同一人物。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|AF-08}}===&lt;br /&gt;
{{2ch}}{{ネットサヨ}}極度の'''反日主義者'''である。[[朝鮮]]人の可能性もある。こういった利用者は、いつか長期ブロックを食らうと思われる。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自分のトリップに因むと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|akane700}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ウィキペディアを無期限ブロックされた人物。化学の記事、保護依頼、ブロック依頼の記事によく出没する。上から目線の注意が多い上に口が悪く、内容に過失があればきついツッコミをすることも欠かさない。[[Nekosuki600]]曰く浅薄で、思慮に欠けた行動をする。'''Bakane'''（バカネ）という蔑称がある。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=27448324&amp;amp;oldid=27436508 ある利用者のページ]で文句を言い[[Wiki:Wikipedia‐ノート:管理者解任の投票/はるひ 20091231|はるひの管理者解任の投票]]で賛成者を挑発していたことから、[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]に'''口先だけで行動の伴わない人'''と言われた。口の悪さが災いし、[[wiki:利用者:黒田んぼ|黒田んぼ]]に嫌がらせに遭い、またIPユーザーによる荒らしのため、会話ページが半保護になった。また真相は不明だが住吉会系ホームページがAkane700によって荒らされたらしく、住吉会のメンバーに目を付けられてしまった。似たような名前の[[Wiki:利用者:Akanen700|Akanen700]]と[[wiki:利用者:Akene700|akene700]]の仕業という説もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[Wiki:Wikipedia:管理者への立候補|管理者への立候補]]を理解しているとは言いがたく現管理者であるTietewとの対立の末、'''本人の内諾がないまま'''[[wiki:Wikipedia:管理者への立候補/Tietew 20100620|Wikipedia:管理者への立候補/Tietew 20100620]]を提出するという暴虐的な行動に出たためSerugei 1207に3日のブロックを受けるが、その際に「互助会の存在が公になった」という捨て台詞を残した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
解除依頼が提出されたものの、対処される前にブロックが自動解除された。その後は毎日のように[[海獺]]と言い争いをしている。その後コミュニティを疲弊させるユーザーとしてOhgiによって[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Akane700|投稿ブロック依頼]]が提出される。賛否両論ではあったが、Akane700の行動に失望したユーザーは多かった。1ヶ月か半年を求める意見があったが、結果として2週間の投稿ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後[[wiki:Category:Akane700の操り人形だと疑われるユーザー]]が作られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アカウント登録時期が[[wiki:利用者:端くれの錬金術師|利用者:端くれの錬金術師]]の休眠時期と一致しており、自警的行動パターンと自称専門分野の一致からみて同一人物に違いない。また[[Wiki:利用者:Alljal|Alljal]]と同一人物の可能性が濃厚。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Album}}===&lt;br /&gt;
マラソン好きの体育馬鹿。大酒飲みでもある。誰かに批判されるたびに「今日はもう＊＊で疲れちゃいました」とのみ繰り返す、対話拒否の常習犯として有名。翌日になれば真面目に返信するかといえば、そんなことはない。強硬的フェミニストであり、ジェンダー関連の記事を思うがままに荒らしまくる。文体から推測する限りでは、本職は学校教師。子持ちの男である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Aotake}}===&lt;br /&gt;
{{警}}日本語が不自由なのに、一生懸命日本語版を管理したがるアカウントの1つ。操っているユーザーが複数いると思われるが、全員日本人ではない。音楽担当。メインで操っている者のなかに、大学職員がいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドナトーニの記事について指摘したユーザーに向かって「あなたは野田憲太郎さんですね!」と逆切れ後、CUしてみたらIPホストが別人のものであることが発覚。この失態の責任を取ってウィキブレイクした馬鹿者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後'''わずか3日で'''ウィキブレイクを解除。WP関係者にはうそつきが多い。どうやら、パスワードを譲渡して他人に管理してもらっているらしい（当然違法）。ここをRVする馬鹿がいるので、どうやら本当の話なのだね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Aphaia}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}WPきっての超優良利用者であったが、三悪の筆頭であるYassieに難癖をつけられ、理不尽にも追い出された。[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Arawodas}}===&lt;br /&gt;
{{警}}四国征伐の戦犯の一人である三国、戦国オタク。改名を巡って薔薇騎士団やMachine gunとその愉快なソックパペット達と壮絶な抗争を繰り広げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Arpeggio}}===&lt;br /&gt;
高知警察署にログを提出された後に活動終了。警察のお世話になっているのに、なぜか投稿ブロックされなかった不思議なアカウント。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Arufarufa}}===&lt;br /&gt;
{{無}}名前の由来と編集傾向から[[wiki:利用者:あるふぁるふぁ|あるふぁるふぁ]]の靴下だと思われる。迷言は「ネットストーカー」（[[wiki:利用者:Chatama|Chatama]]に対して）。方針を'''完全無敵'''に理解している、他人にアドバイスできると言っておきながらブロックされた際は'''憲法違反'''と完全に方針を誤解していた。しかも表現の自由を20条と間違えていたので憲法すら理解しているとは言い難い。[[Wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Arufarufa 延長|投稿ブロック依頼]]が出され、'''たったの3時間'''で無期限ブロックになった。[[wiki:利用者:210.227.243.221|210.227.243.221]]として復活し、しいたけやあるふぁるふぁに忠告を行っていたことから2ちゃんねるユーザーでもあると思われる。「ってみんな言ってます」が口癖だが、この場合の「みんな」は2ちゃんねらーのことである。その後ブロック破りを行う荒らしとして覚醒した。2ちゃんねるでも活動している真珠王子と同一人物の可能性が高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Avanzare}}===&lt;br /&gt;
35歳の無職ニート。広島県在住。知能指数は80前後。自身と違う意見はすべて荒らし報告、これを真に受ける管理者も結局は低知能なのだろう。まさしく社会のゴミ・ダニ・エタである。こいつが死んでも祝杯を上げる人間はいても悲しむ人間は皆無であろう。平日の昼間から編集を行なうことが多く、利用者ページで35歳と公表している。この2つで自ら正常な人間でないと公言しているに等しいのだが、そのとおり低知能のためそのような理解ができないようである。このような知能水準ゆえ、2ちゃんねるの関連サイトではAhonzare（アホンザレ）の愛称で蔑まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==B==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Badboy}}===&lt;br /&gt;
まさに名前の通り、良識人のためにならぬダメダメ野郎である。[[ライフ (漫画)|この残酷漫画及びドラマ]]を支持する読者及び視聴者、制作スタッフ、[[すえのぶけいこ|原作者]]の真の魂胆はただの興味本位で都合のいい時だけ「悪事はダメだ」の言葉で誤魔化しているだけだってのにそれらを見抜けぬばかりかわざとそれらを美化して悦に浸る'''ケダモノ美化かつ良識人の感情逆なで並びに現実捻じ曲げ狂'''である。明らかに変なふざけた宗教に入っている分際で自身の利用者ページで無宗教だとか言ってすっとぼけている。会話ページに意見を言おうにもいつまでもウィキブレイクかましてやがるクソ身勝手マンである。こいつにあだ名をつけるとしたらまさに「'''Wikipediaの[[冨樫義博]]'''」と言ったところか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==C==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Call Tenderas}}===&lt;br /&gt;
自分が気に入らない投稿があるとすぐにリバートをかけたり、削除したりする。彼が原因となって、リバート合戦が開始される。現在は雑草取り中心。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cave cattum}}===&lt;br /&gt;
大人しく執筆に専念していればそれなりに高い評価を得られたのに各地の議論ページで的外れな持論を展開しノートページや会話ページ、投稿ブロック依頼などでは粘着質な姿勢と余計な行動を露見させ煙たがられている。かつては「猪山人」と名乗っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Chiba ryo}}===&lt;br /&gt;
ウィキペディア自警団の一員。他人の迷惑を考慮しない、古参の「削除依頼中毒者」である。バレーボールのマニアらしい。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Chichiii}}===&lt;br /&gt;
{{警}}日本に人種・民族差別が厳然として存在する事実を認めたがらない[[嫌韓]][[ネット右翼]]（救う会ブルーリボンを利用者ページに掲げる）。[[#Nakata88|Nakata88]]を舎弟とする。韓国人、中国人に対するネガキャンを目的としてウィキペディアに参加している目的外利用者で、左翼はおろか普通のユーザーからも忌避されている。これだけ問題を起こしておきながら一回もブロックされたことがないが、遠からず追放されるのは目に見えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Clapon}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ナチス･ドイツ構成員のように、気に食わない投稿は容赦なく修正するヤクザとして有名。ウィキペディアにおける'''削除主義者'''としても有名であるが、自身の利用者ページで削除主義者を自称していない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Clarin}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自分に刃向かう利用者なら総て野田憲太郎の靴下と決め付けるアカウント。小西規勝のアカウントの可能性もありえる。ゴリ押しが大好きであり、意見が異なるものを排除する為には不純な手段も平気で使うと悪評高い。報復依頼の常習犯であり、[[wiki:利用者:Yonoemon|Yonoemon]]との喧嘩は最早ウィキペディアの名物となりつつある。天敵はYonoemon、[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]、[[wiki:利用者:Himetv|Himetv]]。この他にも[[wiki:利用者:Volfgang|Volfgang]]、[[wiki:利用者:PSIA|PSIA]]、[[wiki:利用者:あばさー|あばさー]]などからも反感を買っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように問題行為の多いClarinだが一方で彼を放逐しようとする派閥の旗頭であるYonoemonもまたゴリ押し大好きな問題児であり、Clarinと似通った問題行為を起こしてかげろんなどから叱責されているので2人は似たもの同志なのかもしれない。似た者同志ゆえにその内結婚する可能性があり、挙式にはYassieやHimetvなども祝辞を寄せてくれるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cross-j}}===&lt;br /&gt;
aka:Junichi Watanabe. ほとんどが漫画作品の編集しかない[[オタク]]。漫画作品の記事を私物化している節があり基本的に自分に気に入らない編集や議論は何かと理由を付けいちいちそのユーザーに嫌味なメッセージを送るなど、腕ずくで解決しようとする傾向がある。簡単に言えば極度の自治厨。[[wiki:NARUTO -ナルト-|NARUTO -ナルト-]]関連は非常にうるさく、コメントアウトさえも極度な嫌悪感を抱く。他のユーザーから「ここは自分だけのページではない」と指摘されようが、すぐに理由を付けてはぐらかす。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自ら編集をせず除去の積み重ね分割提案では反対ばかりで、加筆記事については著作権を脅かす丸写しが多い。参加当初は過去にある[[Lonicera|管理者]]がブロックされたから保護を解除しようという提案をし、他のユーザーから反感を買ったという問題児だった。理由あってIPで活動しているユーザーにアカウント作成を強要してくる傾向があり、受け入れられなかったら[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:60.68.133.22#.E3.82.A2.E3.82.AB.E3.82.A6.E3.83.B3.E3.83.88.E4.BD.9C.E6.88.90.E3.81.AE.E3.81.8A.E9.A1.98.E3.81.84 ブロック依頼を提出している]など様々な問題を引き起こす傾向がある。長きに渡って[[wiki:ノート:D.Gray-manの登場人物|ノート:D.Gray-manの登場人物]]で議論をしているが、相手に対して個人攻撃している傾向もうかがえる。コメント依頼を通して第三者を募集しているが、効果は全くない。内容に目を通していたとしても、第三者が交われる隙はなかったためと思われる。基本的に自分がそのページの管理者でなければ気が済まないようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Cronu}}===&lt;br /&gt;
{{警}}こいつもケーブルテレビ関連の記事を私物化している節があり基本的に自分に気に入らない編集や議論は何かと理由を付けいちいちそのユーザーに嫌味なメッセージを送るなど、腕ずくで解決しようとする傾向がある。草取り程度やプロジェクトに従った編集でも「荒らし」として、また、たとえ重要な情報であってもすぐに必要ではないと考えたらすぐに削除して戻してしまう。ログインせずに[[wiki:利用者:114.185.213.204|114.185.213.204]]としてもクズな差し戻しをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつも同じく基本的に自分がそのページの管理者でなければ気が済まないようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==D==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|DEN助}}===&lt;br /&gt;
{{警}}勤務先よりwikipediaのアニメ・声優関連への荒らしを行なった。なおIPを抜かれて、交通新聞社を解雇された。[[2007年]]10月下旬より活動なし。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Dojo}}===&lt;br /&gt;
{{警}}泥鰌なのか道場なのかは不明。一部の管理者がWPを私物化していると勝手に妄想して懸念を抱いており、管理者が少しでもミスを犯すと執拗に追及するその姿勢はマスコミや野党を彷彿とさせる。管理者への立候補で立候補者への圧迫面接が問題視されることが多いが、Dojoはその圧迫面接を率先して行っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|doripoke}}===&lt;br /&gt;
{{警}}、アンサイクロペィアでも極楽丸、Lindwurm、doripoke、Hresvelgrという多重アカウントで堂々と靴下人形使活動をおこなうと同時にウィキペディアンとしては管理者[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]] のしもべとして多重アカウントを使用し靴下人形使活動（[[wiki:利用者:大和屋敷|大和屋敷]]、[[wiki:利用者:doripoke|doripoke]]、[[wiki:利用者: Hyolee2 | Hyolee2 ]]多重アカウント使い・ソックパペット）を継続中。おそらく靴下人形使いはwikipediaで覚え、編集活動などに敗れた相手をアンサイクロペィアで記事にして憂さ晴らしをするくそ。自宅、職場等の端末からアカウントを取得している。アンサイクロペィアで4つのアカウントを持つことが確認できるので、ウィキぺディアでも同数以上を使いこなすバカヤロウ。まあ、こんな奴等がウィキぺディアの住人であり、これを知りながら野放しにしている管理人達。ウィキペディアはすでに終わったってことでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==E==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Emil Sinclair}}===&lt;br /&gt;
高校生を名乗っているが、実は40歳近い男性と目されていた。改名願いを出したり露骨に野田憲太郎を攻撃する投稿があるのに、高校生と名乗れる根性からして腐っている。改名願いを出す利用者は、WP日本語版の管理の犬であることがほぼ100%。有名な共有靴下アカウント。こりないおばさん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[利用者:松葉裕子|松葉裕子]]も使っていた。どっちにせよおばさんじゃないか。がっかり。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|EULE}}===&lt;br /&gt;
{{警}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==F==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|FOZ}}===&lt;br /&gt;
[[岐阜県]]出身のウィキペディアン。'''主に岐阜県・[[香川県]]関連の記事において身勝手極まりない編集を継続して行っている。ただ、未だに長期ブロック依頼が提出されない不思議なユーザーである'''。年齢は40歳近いオヤジである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|FREEZA}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{無}}{{Y無}}大阪府出身の大学生。本名は[[永田裕介]]。[[wiki:利用者:Sushisushi|Sushisushi]]を野田と決め付けた張本人。両者とも別人であることをMLで主張しているのに、一切無視を決め込む不思議な利用者。編集責任のテンプレートを貼る前に、野田に謝罪するのが先ではないだろうか?韓国・中国・台湾の鉄道ヲタクらしく、それらに関する記事ばかりに編集している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
複数人で操作しており1人は鉄道関係、もう1人は荒らしアカウント関係と役割が決まっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者気どりの言動や鉄道関係の記事への粘着ぶりなど[[project]]と共通点も多く、そのソックパペットの可能性も否定できない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
質の悪い生体botでたびたびその行動にクレームがついていたが、そのまま&amp;lt;s&amp;gt;突っ走った&amp;lt;/s&amp;gt;暴走したためブロック依頼が出されて無期限ブロックと相成った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしFREEZAのブロック逃れの疑いとして[[wiki:利用者‐会話:219.114.220.197|IP:219.114.220.197]]が挙げられており、編集内容やブロック依頼で挙げられた問題点と一致している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Fromm}}===&lt;br /&gt;
''詳細は[[fromm (利用者)]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch|トリップ：UnKOysSmOI・pzUNkOF/.k}}jawpの中でも特に有名な'''削除主義者'''のウィキペディアン。どんなに判りづらい転載でも片っ端から見つけ出して削除依頼に提出することや、スパムと判断した外部リンクを片っ端から除去してまわること、自分の目で見たことよりどこかのウェブページを信用することで知られる。しかし無知であるのに多分野にわたって編集を行うため特に問題の無い記述をも削除してしまうことが多く、迷惑な自警団の一人に数えられている。また、自警団のほとんどがそうであるようにまともに記事を書いたことが無い。自分の非は全く認めない管理者気取りの、古参風を吹かせるウィキペディホリックとしても有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
利用者ページでそれなりに英語が理解できる（自称）と主張しているが実際はそうではない。要するにバカ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみに井戸端における[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/%E6%80%A7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 この議論]を見ればわかる通り、熱心な[[ジェンダーフリー]]支持者（つまり左翼活動家）でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
YPで政治家・芸能人の画像を著作権・パブリシティ権を無視して大量にアップする{{User2|Fromm}}は別人。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2ちゃんねるのスレで[[wiki:利用者:Goki|利用者:Goki]]のソックパペットである事を見破られた。一時多重アカウントとして無期限ブロックされたが、疑惑が晴れ解除。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|fuji-77}}===&lt;br /&gt;
[[ドラゴンクエスト]][[オタク]]。その証拠として履歴のほとんどがドラゴンクエストしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==G==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Gakupon}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Game-M}}===&lt;br /&gt;
殆どのウィキペディアンから「余計な編集しかしない有害人物」「無能な働き者」だと認定されている。自分を煙たがっているウィキペディアンがたむろしているちくり板のスレに常駐し出て来る度に煩わしい、死ねと忌避されながらも立ち去る気配を一向に見せないので自分のどこがまずいのか本人は理解できていないものと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あまりにも迷惑行動が多すぎてブロック依頼を提出され無期限ブロック確実かと思われたが、おはぐろ蜻蛉が慈悲をくれてやったことにより3ヶ月ブロックで許して貰えたが少しも懲りていない様子。自分が干渉すると議論が紛糾してしまうので議論には参加しませんと確約しておきながら、実は[[wiki:利用者:プロト1|プロト1]]という[[Yourpedia:多重アカウント|多重アカウント]]を使って各所の議論に積極的に関与していたことが発覚した。これに対しては[[Yourpedia:多重アカウント#多重アカウントの使用が禁止されている行為|ソックパペット行為]]を行っていないことと[[wiki:利用者:海獺|海獺]]に命じられたとおり謹慎することにより、現在の所ブロックを免れている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユアペディアのGame-Mは編集傾向から同一人物と思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|GcG}}===&lt;br /&gt;
{{無}}管理者&amp;amp;自警に反抗しないと死んじゃう病に罹患してしまった可哀想なユーザー。旧名femtowaros。[[2008年]]以降、海獺を筆頭とする管理者&amp;amp;自警達との「チキンレース（Cproの弁）」を繰り返し2年に渡る抗争の後、[[2010年]]3月、とうとう引導を渡された。Nekosuki600、Yassieとはかつて暴君Aphaiaに毅然と反抗した同志であり2chの趣味一般板のスレで桃園の誓いを交した程の仲。しかし最後はその2人にも見捨てられた。合掌。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Geogie}}===&lt;br /&gt;
ドジでのろまで競馬脳の速報爺。行動様式からは70 - 80歳と推定されるが、[[1962年]]生まれを公言している。訃報テンプレ等に常駐。情報に乗り遅れる上に編集内容が間違いだらけなので断じて野放しには出来ず、本人以上に周囲が病的に疲弊させられ続けている。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Geogie&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=31281976 極度のネッツ中毒]なのでいつもウィキペディアを徘徊している厄介な粗大ゴミ。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%90%E5%AE%AE%E5%AF%9B%E8%B2%B4&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=31371700 善意の初心者を即座に荒らし呼ばわりする凶悪さ]で、永遠にウィキペディアを去る日が待たれる。Geogieの仮名表記は本人によれば「じょーじ」、また某所では「'''ロイド・ジョージ'''」を名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Goki}}===&lt;br /&gt;
{{無}}[[2ちゃんねる組]]。通称「'''ゴキブリ'''」。競馬関連の項目で結構大きい顔をしている野郎。最初は口調は丁寧だったのに最近は慣れてきたのか雑になってきた。「利用者ページ」ではわがまま言い放題で2ちゃんねらーである。鳥取県出身で鳥取砂漠を愛する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Granpark407}}===&lt;br /&gt;
[[日本航空]]が大好きで、“闘う”労働組合が大嫌いなウィキホリック。他に[[Wiki:利用者:Ajtnk|Ajtnk]]と[[Wiki:利用者:Anaanalatte|Anaanalatte]]、[[Wiki:利用者:Catmita|Catmita]]という3つの多重アカウントで多数を演じていたが、指摘されてAj某とC某・G某を放棄、Anaanalatteだけを使って“知らぬ顔の半兵衛”を決め込んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Grimm}}===&lt;br /&gt;
中国人の荒らし。とにかく天皇制を批判しまくる。バカサイトやジョークサイトにも現れている。[[ウィキペディア日本語版の長期荒らし]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==H==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hammerfest}}===&lt;br /&gt;
{{警}}学校関連の項目を支配しようとする自警団の筆頭格。自分が知りもしない項目について、執拗にrvを繰り返す。己が低能ぶりを棚に上げ、相手を見下したような発言が多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日wikipediaに張り付いている病人である。こいつはもう治し様も無い気違いと言う病気である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Harpoon}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}正式名称はマナー向上委員会である。そのため2ちゃんねらーたちは「マナ向」と呼んでいる。Wikipediaにおいてタブーとされる男性器露出画像の是非に触れたことから男性器露出愛好家の怒りを買い、多数決でWikipediaを追放されてしまった。wikipediaの管理者を嫌っているがCalveroとちゃたまには友好的らしい。口癖は「悪人死スベシ」。おっぱい星人でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
別アカウントでウィキの編集にも参加しているがそのことは管理者達も把握しながらとりあえず無害とされ、放流状態である。普段は2ちゃんねるの本スレで遊んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお性器画像愛好家で、反おっぱい星人の人造人間だみゃ～んとはまったく性格が合わない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|hatukanezumi}}===&lt;br /&gt;
{{警}}WPの三悪の1人で通称'''ボヤッキー'''。何にでも口を出し、議論を混乱させることが得意。[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%91%9E%E7%A9%82&amp;amp;action=history このように]福島瑞穂の項に都合の悪い内容が加筆されると必死に削除することから、[[福島瑞穂]]および[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]の熱心な信者または工作員である可能性が高い。何度か投稿ブロックを受けている。座右の銘は「支離滅裂」。ノートの議論で都合が悪くなると、コメント依頼に逃げる。しかし、かえって論敵の味方を呼び込んでしまうこともしばしば。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[#Aphaia|Aphaia]]の靴下ではないかと疑う者も少なからず存在する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hideki1976}}===&lt;br /&gt;
投稿数だけを誇る利用者として有名。イージーミスだらけで安易に差し戻すことでも有名。人が書いたことはソースがあっても断りなしに全部消し、自分が書いた嘘で固める。協調性がない奴はブログでやるべきである。ネット上のあらゆる相談サイトに拡散し、「成人女性の名前がメディアで明かせないということならば、'''あちらの国の方'''の話なんだろうなと思います。」などの妄言を残す[http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4642825.html?check_ok=1]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
嫌がらせで嘘や作り事ばっかり書くのを今すぐやめるべき。こいつが書きたい放題だから大勢の選手が迷惑してる。人のことを嘘だらけで書いておいて自分自身はメアドもツイートも非公開なのは卑怯極まりない。少なくとも数人の選手が健康を害するぐらいのストレスを感じてる。みんな我慢してるけど、こいつは選手を壊すだけ。恨んでる選手や関係者はかなり多い。過去に書いた選手を全部自分で削除するべき。思い当たる選手を削除するだけじゃ、こいつの頭では無理だから。他の人は嘘を書かないのにこいつの書くのだけ嘘まみれなのは絶対に変だ。人の足を引っ張るのをやめるべき。こいつに書かれた選手は引退が早まる。他の人が書くか、誰も書かない方がいい。はっきりいってデタラメばかりで書き方もキモイし、選手にとっては害悪。書いた選手を引退に追いやる前に今すぐ消えるべき。これ以上、被害者を増やすな。あと、結婚ネタとか関係ないのに細かいことを書くべきではない。生観戦したことなさそうだけど、いっぺん会場に来て自己紹介してみたら生中継で面白い光景が撮れるかも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こいつがゴミ記事書くと財団に寄付金が入るらしい。Hideki1976で色々検索してみるとおもしろいけど、本人はsadironmanの正体も知らないらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091217][http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091026/p3][http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091026/p2][http://search.hatena.ne.jp/search?word=Hideki1976&amp;amp;site=d.hatena.ne.jp]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hideokun}}===&lt;br /&gt;
'''2ちゃんねる組'''。恐ろしく情緒不安定。日本語能力の欠如を北海道・青森・神奈川・東京等の複数IPに指摘されると全て同一人物と思い込み、上から目線であらゆるIPを敵視したまま暴走し、オナニー記事を粗製濫造。面倒な事態になると自分の作成した記事のケアを他人任せにして遁走[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hideokun&amp;amp;oldid=28610819]。趣味一般板に常駐し、自分の話題には即座に過剰防衛。軍オタからの支持はない。専横な物言いで問題ばかり起こすが立場が危うくなると筆をおくと騒ぎ立てたり、短期的に利用者ページに引きこもったりする。主な習性は責任転嫁と逆恨み。座右の銘は「'''Ipooなんぞ存在じたいがギャグだしな'''」[http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1265508709/891n]。驚異の英語力（[http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Steward_requests%2FPermissions&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=1982027&amp;amp;oldid=1981856][http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E4%BF%AE%E5%85%B5%E6%8F%92%E6%88%80%E6%AC%A1&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=33692776]）を誇る。「蓋し名言ではないでしょうか。」は、こういう英文を見かけた時のためにある言葉。Geogieと並んで、削除依頼出禁が強く推奨されるユーザ。二言目には[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E3%81%AE%E8%BE%9E%E4%BB%BB&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=32246065 投稿ブロック]できるもんならしてみやがれと居直る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Himetv}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch|ゆっくり ◆HimeXTVWvY}}管理者が少しでも裁量で権限行使をすると「越権行為である」と騒ぎ立てる野党の権化。行動パターンがNekosuki600こと[[茂木紀行]]に酷似している事から、ソックパペットである可能性もある。2chウィキペディアスレでは「ゆっくり」を名乗っている。保護されたページの削除依頼が出されたときに「削除対象ページに削除依頼テンプレートが掲示されていませんから存続票」[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28305160&amp;amp;oldid=28304487]というような理屈を展開する。相手を呆れさせて場を制圧しようとする手口はNekosuki600に酷似していて、[[ウィキペディア日本語版の管理者#tan90deg|tan90deg]]=Londonbashiからも見習われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|HOLIC 629W}}===&lt;br /&gt;
キチガイユーザー。管理者の腰巾着気取り。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユーザーページに書いている編集方針と実際の編集が矛盾していることでも有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|HOPE}}===&lt;br /&gt;
[[ホッカイドウ競馬]]の項目は自分のものだと思っている大馬鹿者。特に「歴代優勝馬」の表については並々ならぬこだわりを持っており、表の規格を統一しようという気は毛頭ない頭の堅いバカである。こういう者は早くウィキペディアから去ってほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Houtimin}}===&lt;br /&gt;
このアカウントはソックパペットである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hyolee2}}===&lt;br /&gt;
{{警}}日本語が使える在日韓国人らしい。韓国語版の管理者一同から嫌われる。太田と一緒にウィキマニア2007に参加していることが写真から判明。自他ともに認める排他主義者で、日本語版に追放・永久ブロック制度が未だないのを承知で「永久ブロック、追放措置以外ありえない」と言ったりする。削除依頼にも常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==I==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ichii-ya}}===&lt;br /&gt;
{{警}}荒らしでもないユーザーに荒らし行為をやめろと警告したり別に不適切でもないユーザー名を不適切だと判断してブロックを要求してくるなど、ポンコツロボットのような精度の低い作業ばかりするため有害ユーザー扱いされている。管理者の中では特にRidenから要注意人物とみなされており、戦没にリーチがかかっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikipediaでは定義未満の記事は削除される方針になっているが、その内Ichii-yaも「'''自警未満'''」としてウィキペディアから削除（放逐）されるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ihsanan}}===&lt;br /&gt;
{{警}}Yourpediaにとって、中傷・批判的な文言を記述したネットストーカーのことである。特にウィキペディアをYourpediaに対する中傷場所にしており、2ちゃんねると[[百科事典]]の区別がついていないのも実情である。同じく、Yourpedia批判を行っている点ではIPユーザーの[[wiki:利用者:219.104.111.78|219.104.111.78]]と同一人物かも知れない。[[wiki:利用者:Akinoniji|Akinoniji]]とは同一人物らしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ikedat76}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[利用者:小西規勝|小西規勝]]の靴下。いわゆる基地外左翼の類である。[[#Peace|Peace]]を異常なまでに敵対視している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他者には偉そうに方針遵守を強要しておきながら、自分はWatchdog daemonという喧嘩専用アカウントを使い、善玉と悪玉を使い分けていたことが発覚、顰蹙を買って一気に発言力が低下した。その後はネカフェからすたすた坊主というアカウントを作成して、自分を陥れた連中に嫌がらせをしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ikkionline}}===&lt;br /&gt;
熱狂的な削除主義者。ウィキペディアから一覧記事の撲滅を図る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ipoo}}===&lt;br /&gt;
無期限ブロック中の雑魚。態度がデカいので今一つ同情されない。ドイツ国籍のボクサーErich Seeligをエリック・シーリーグと読むなど、Geogieと類似した欠陥人間である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Hi-ask}}===&lt;br /&gt;
{{警}}河下反対派総長。大のラブコメ嫌いで、[http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hi-ask Chakuwikiの利用者ページ]でもこの事を公言している。又、同項を始め編集合戦を乱発しており巻き添えとなったユーザーも少なくない。ちなみにこれまでは自分の正体を隠していたが、最近仮面を矧いだようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、hi-askの利用者ページに「'''ChakuWikiの同名の利用者は、この利用者ではありません'''」と書いてあるが真っ赤な嘘である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者に立候補していたが[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%81%84%E3%81%99%E3%81%8B/%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%80%85%E7%AB%8B%E5%80%99%E8%A3%9C%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%AE%A3%E8%AA%93 管理者になるための誓い]が投票者の間で物議を醸し、賛成が多かったものの最終的には管理者信任の条件を満たしていなかったとして見送られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Iwai.masaharu}}===&lt;br /&gt;
'''GFDL原理主義者'''として悪評高い酒好きのおっさん。通称Iwaim。対立者からは'''汚猥無'''と呼ばれている。外国語版からの翻訳で執筆しているユーザー達からは不倶戴天の敵として嫌われており、荒らしよりタチが悪いとさえ思われている。主な対立者は[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]、[[wiki:利用者:Peccafly|Peccafly]]、[[wiki:利用者:Noche de la pena|Noche de la pena]]、[[wiki:利用者:GcG|GcG]]、[[wiki:利用者:Tantal|Tantal]]など。過去4度ブロック依頼が提出され無期限ブロックを望む声が多かったにも拘わらず、数週間から1ヶ月の短期ブロックが課されただけで未だに無期限ブロックされていない。多くのユーザーから有害人物とみなされているIwaimが追い出されないことはウィキペディア七不思議の一つとなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Wikinewsでは管理者を務めており、GcGはIwaimやAphaiaみたいな輩が管理者やってるWikinewsは「奇形メディアだ」と暴言を吐いた。それが原因で1ヶ月ブロックされ、そこから暴走に拍車がかかって仕舞いには無期限ブロックされた。一部の利用者はIwaimみたいな非建設的な削除主義者が追い出されずに何故GcGのような優秀な書き手が追い出されるんだと憤慨しているらしい。[[前田敦子]]や[[西脇綾香]]の中傷を荒らしと認めない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==J==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Jetbbman}}===&lt;br /&gt;
専門家でも何でもない一議員の意見をあちこちに貼りまくる。独断でガイドラインを改変し、差し戻されると自分の版で固定した上で議論しろと要求する。さらに自分からコメント依頼しておきながら、複数の管理者を含む多数からの批判に意味不明な反論を繰り返す。また反論できなくなると相手がIPユーザーであることに話をすり替え、アカウントユーザーによる同じ質問は放置する等、議論妨害や破壊の常習犯。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その一方で、完全に中立性を無視した編集や論争相手による批判を中傷と言い換え無断で除去する等、自分は何一つ方針を理解していないにもかかわらずルールを守れと他人に説教する姿は失笑モノ。誰一人として擁護する者はなく関わることすら避けている状態だった。迷惑も顧みず生き恥を晒していたが突如音信不通に、と思ったら[[wiki:利用者:大東亜人|大東亜人]]で活動していた。両アカが同じ記事を編集しているケースが多数あり、しかもJetbbmanの主張をそっくり引き継いている。これでバレないと思う神経が疑われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他にも、複数アカウントの使い分けで有名な[[wiki:利用者:Truesight|Truesight]]と同じニフティ(infoweb)ユーザーであることがログインミスで判明しており、両者が別人として同一記事を編集していることも特筆に値する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|johncapistrano}}===&lt;br /&gt;
{{警}}反社会ファシスト団体・部落解放同盟の構成員。解同に少しでも不利益な記述をすると編集者を共産党員呼ばわりする典型的な部落民。ウィキペディアが利権団体にのっとられている典型的な例。主なソクパペは[[wiki:利用者:Iosif|Iosif]]。Iosifを活動停止に追い込んだユーザーを半年かけて追い詰めるなど解同クオリティ溢れる行動をとる。なお、[[wiki:利用者:いたる|いたる]]も同様である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|jump}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}KP.NN同様意味不明な記事しか書けず、ボキャブラリーも低い。雑草取り程度しか貢献できないウィキペディアンである。また、彼も2ちゃんねらーであるらしい。名前の通り、週刊少年ジャンプの愛読者でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==K==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kemonomichi}}===&lt;br /&gt;
{{警}}自分自身がhatukanezumiの靴下であるにもかかわらず、誰彼構わず靴下呼ばわりをする迷惑ユーザー。最近ではNekosuki600、パンチョ後藤、Maris Stella、Lonicera、Yassie、人造人間だみゃ～ん、はるひ、Bell cricket、ちゃたま、キハが好き♪、たま998の各利用者氏が同一人物であるという怪盗とんちんかんも真っ青の頓珍漢な主張を垂れている。本名は間抜作。宇宙の創始者である。常識がまったく通じない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、近々強制ウィキブレイクの予定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kiku-zou}}===&lt;br /&gt;
関東地方（[[茨城県]]の土浦周辺?）在住で排他主義者・削除主義者・自治厨のウィキペディアン。検証可能性にこだわるあまり、乗り物（特に鉄道）関連の検証可能性を満たさぬ記事に対して杓子定規に「荒らし」と決めてかかる。現在は[[SANNET可変IP]]につきまとわれ'''バカゾウ'''、'''Baka-zou'''と罵られ記事でも編集合戦が起きている。荒らしの加担者でもあり、2010年だけで既に5回の投稿ブロックを受け、コメント依頼が提出された。削除依頼にも常駐し、記事が作成された人物の成長を全く待つ気などなく削除票を入れる。一度無期限ブロックとなったが、Hyolee2、S-PAI、Yassieらの嘆願により解除。しかし全くこりていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|KIZU}}===&lt;br /&gt;
木津尚子のソックパペット?&amp;lt;br&amp;gt;[[木津尚子]]を参照せよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Knua}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Koba-chan}}===&lt;br /&gt;
本名は[[小林義宗]]。管理者解任投票で反対票0という結果を受けて辞任。2009年8月を最後に消滅。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Konec}}===&lt;br /&gt;
{{無}}全国の工口さんの敵。[[wiki:利用者:工口いわよ|工口いわよ]]の名前を誤解しブロック依頼を提出したが、拙速な依頼として終了している。Wikipediaのことは'''村社会'''と呼んでいる。尚このKonec（スロベニア語で「終わり」の意）と同じアカウントによる英語版とスロベニア語版の投稿は「下品かつ卑猥で混乱を招き、故意に注意を引く挑発的な編集」である事から両言語版Konecは会話ページで荒らし認定を受け、その編集は見つかり次第1つの例外もなく全部差し戻されている。Konecの言動は全国に実在する工口（こうぐち）姓の人々の気を滅入らせた。Konecの言動によるものかどうかは不明だが、工口いわよは利用者名変更依頼を提出した。しかしKonecは謝罪どころか反省もせず、対話を持ちかけてくるユーザーをストーカー呼ばわりしている。本人はもうWikipediaに関わらないと言っていたが2009年[[12月25日]]にブロック依頼を出され、圧倒的賛成多数で無期限ブロック（会話ページ編集禁止）という結末になった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|KP.NN}}===&lt;br /&gt;
{{2ch}}'''トンチンカン'''な記事しか書けず、ボキャブラリーも非常に低い。にも関わらず、ウィキペディアの主旨に反した記事に対しては徹底的に修正する'''排他主義者'''である。また彼は悪質2ちゃんねらーでもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kridro}}===&lt;br /&gt;
アンチ巨人あるいはアンチ横浜。出典を要求していながら自身は何も探さず、また議論も通さず編集を強行し自身のやり方に反発する者には荒らしと決めてかかったり用意した出典を皮肉るなど非常に性質の悪いユーザー。主に俊足、強打、ユーティリティープレイヤーなどに出典を要求する。周りには反感を買われており早い話が'''口だけで文章力が皆無の人間'''である。投稿ブロック依頼で1ヶ月ブロックされ、2010年4月から活動を再開した。プロジェクトで提案をしたが協調性の無さが露点し他の利用者の問題点を挙げた挙句[[wiki:利用者:Bbcs|Bbcs]]と凄まじく対立し、頭に血がかなり登り[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Bbcs|ブロック依頼]]を提出しながら冷静じゃなかったと取り下げた。結局自分自身が野球選手の記事の管理者でなきゃ気が済まないようである。「'''イチ、こいつが俺の記事を荒らしてた奴だ'''」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Kyube}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}極度の差別主義者。自分の気に入らない編集を出典の有無を問わず荒らしと決め付ける悪質ユーザーであり、新規参加者に対しても反感的な態度を執る過激派利用者でもある。[[2ちゃんねらー]]でもあるらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
projectか[[藤森京介]]のどちらかソックパペットの可能性もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==L==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|L26}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}ウィキペディア一の[[テロリスト]]であり、気に食わない利用者に執拗にブロック依頼を持ち出してくることで有名。[[#利用者:PeachLover|PeachLover]]同様しつこい事で悪名高く、一度目をつけたユーザーに100以上の罵倒文を送りつけてくる。無視した瞬間に警告テンプレートで攻撃を行い、WPの中でも上位に入るくらいたちが悪い。2ちゃんねらーでもあるらしい。現在は'''ウィキブレイク'''中である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Lapislazuli-star}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch}}現在は[[SANNET可変IP]]への対処を主に行っている。[[8月26日]]に一日だけブレイクに入ったが、その間にSANNET可変IPが関わっていたIPユーザーのページに突然横入りし、ブレイクの間にIPを利用していたと疑われたため、自らチェックユーザー依頼を提出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|LedLine}}===&lt;br /&gt;
{{無}}「竹中ナミ」。[[村木厚子]]と[[石井一]]などでニュース報道は「検察側の偏った情報源だから信用できない」とか「詳細を報道していない」などと言って、自分のブログや自分の書いたTHE JOURNALのニュースを出典に自分の主観を中心に編集したことで有名になった。ブログ上で本人は壮絶な戦いと語っているが、単なる方針無理解を拡大解釈したものにしか過ぎない。Wikipediaの方針を知らないものからは絶大な支持（しかし自作自演の疑いがある）、ウィキペディアンと思われるものからの「方針読め」などの賛否両論の意見が寄せられた。しかし、自分に不利なコメントが多くなってからはコメントを返さなくなった。ブログを捨てて逃走したと見られていたが、THE JOURNALの編集部によりLedLineに対する批判コメントが消され炎上したが結局編集部もLedLineを庇いきれず見放される形でLedLineのコメントも消された。暇編集によるとブロックされている間は2ちゃんねるで書き込みを行っているとのこと。&amp;lt;!--そしてブロックされた現在も行われている。--&amp;gt;[[2010年]][[3月27日]]にはBellcricketにより冷却期間として1週間ブロックされていたが、[[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用により無期限ブロックされた。&amp;lt;!--高野孟、よかったな。--&amp;gt;しかし[[wiki:利用者:山崎靖子|山崎靖子]]とは別人だと反論し海獺はこれを信じ、[[4月3日]]にブロックが解除された。&amp;lt;!--この多重アカウントとされた[[山崎靖子]]（仮名）はLedLineの従業員でLedLineがブロックされた直後に残業中に会社（兼自宅）のパソコンから接続したものでLedLineとは別人であるので、多重アカウントの不正利用は[[村木厚子]]同様冤罪であることが確定していたが、--&amp;gt;その後[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/LedLine 投稿ブロック依頼]が提出され、結局[[4月12日]]に無期限ブロックされた。本人はこれを不服とし、暴徒と化してきている。後に[[wiki:利用者:正しい情報|正しい情報]]でブロック破りを行っていたがISPがSO-NET、回線が光回線、編集傾向から同一人物とばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Lime citrus soda}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{YP}}生粋のユアペディアンで、Loniceraに粘着したことで有名。詳しくは[[Lime citrus soda]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|LuckyStar Kid}}===&lt;br /&gt;
{{警}}元、なりきり板のコテ。ウィキペディアでも同様の口調で話しており、ウィキペディアをキャラネタ板と勘違いしている目的外利用者。管理者を度々糾弾するが、東方厨や型月厨のお守を一手に任されているため大目に見られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
サブカル系記事を私物化しているという批判がある。運営関連の項目で御意見番を気取って上から目線のコメントを残して行くが、周囲からは失笑されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==M==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mak06010601}}===&lt;br /&gt;
三宅雪子転倒騒動の編集に固執する変態。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他の記事においても、その編集のほとんどがデタラメか独自研究のためことごとく修正されている。また著作権侵害動画を出典と主張したり当たり前のようにコピペする等遵法精神は皆無。YouTubeにもアカウントを持っていたが、著作権侵害投稿を繰り返したため追放された大うつけ者。国民としての最低限の義務すら守らないくせに愛国者を気取るクズ。精神に異常をきたしたのか長期離脱するが、虚言癖は治っておらず復帰後も害毒を撒き散らしている。Twitterでは「政治家のwikipediaを主に編集」としているが、実際は民主党議員を貶める編集ばかりであること、ある件で[[wiki:利用者:Chichiii|Chichiii]]に謝意を示され大喜びしていたことから典型的な[[ネトウヨ]]といえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Maris stella}}===&lt;br /&gt;
{{警}}可読性に著しく欠けた長文を垂れ流す事で知られている迷惑利用者。畏敬の念を込めてマリステ先生と呼ばれたりする。ネカマである。性科学関連で記事を私物化しようとした過去から木津尚子のソックパペットであるとも考えられる。長年にわたりコミュニティを疲弊させIsh-kaやYassieがお膳立てをして無期限ブロック寸前まで追い込んだものの、本人がウィキブレイクしてすんでのところで逃げられてしまった。数ヵ月後、別垢で何気なく復帰、相変わらず訳の分からない長文で他者に迷惑をかけ続けている。要約欄で英語を度々使うが、本人の英語力は極めて稚拙である（そもそも母語の日本語さえまともに喋れていない）。ウィキペディアの編集を止めて精神病院に通院することを誰も推奨してくれなかったのが、彼の悲劇と言えるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Matunami}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットサヨ}}「ゆう」と名乗っている。Peace系取締りに熱を上げるユーザーである。その取締りに歯が立たない相手や記事に関してはこっそりと無名で参加して煽ることもしている。日本人ではないと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mee-san}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[1968年]]生まれ。社会人。よく投稿ブロック依頼に出没する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Melan}}===&lt;br /&gt;
政治ごっこ、自警活動には一切興味を示さず黙々と翻訳を中心とした執筆活動に励んでいるウィキペディアンの鑑のような人。新着記事に選出されるものの大半は彼が執筆したものであり、彼が活動を停止したらウィキペディアは新着記事の枯渇に陥るのではないかとさえ言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Miami}}===&lt;br /&gt;
自身のページに''この間隙に横たわる茫漠、深淵たる断層を考察する努力を端から放棄する者こそが軽々しく言葉を発する''といった独自のルールを掲げている。ただのゴロツキであり'''人間性は全WPユーザー中、Yassieに次いでワースト2である'''。北陸本線おたくであり、北陸本線関連の出来事への集中的な編集が目立つ（ほとんどが意味不明な加筆）。中国製品の品質の問題関連の記事では中国だけでなく日本もずいぶん悪いように決め付けるような害意ある編集が目立つ。これこそ、独断と偏見の塊である。ふざけるのもいい加減にしてほしいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Matumami|Matumami]]と混同しないこと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mikomaid}}===&lt;br /&gt;
[[ファイル:09085868493.jpg|left|500px|thumb|Mikomaidイメージ画像]]&lt;br /&gt;
[[画像:三谷.jpg|right|250px|thumb|↑Mikomaid 似の加工顔面画像]]&lt;br /&gt;
ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。[[1967年]][[1月19日]]生まれの群馬県富岡市富岡在住の中高年男性。[[wiki:富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校]]、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学|長野大学]]OB。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で「社会復帰を目指している」とネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔（本名：水口直樹）の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは220.3.132.253、220.3.134.144（現softbank220003134144）。なお、{{IPuser2|220.3.134.144}}はユアペディアにおいても[[2011年]][[11月14日]]に編集妨害・誹謗中傷を理由に無期限投稿ブロック処分となっている。家業では群馬インターネットを利用。他に[[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]]（久遠寺 阿知花 寿来）、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]]の別アカウントで活動。mixiでは美鈴さんで、Youtubeではmikomaid、twiterでは大野晋吾で活動していたが、2012年3月にmixiとtwitterのアカウントを閉鎖した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、[[wiki:Mikomaid|Mikomaid]]の正体が同校関係者の間で知られたことで富岡市立富岡小学校では同校ホームページで{{User2|Mikomaid}}の画像が掲載されていたPTA活動の項目を削除し、2012年度に入ってもホームページの更新が行われない事態となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Misum}}===&lt;br /&gt;
[[滝川中学校・高等学校|神戸の某私立高校]]の記事に於いてこの高校で発生したいじめ事件の記事の部分を実際に学校と関係があり、ノートでも削除に反対の声があったにもかかわらずそれを完全無視して理由も言わず当事件の記事をごっそり削除した自分勝手ユーザー。'''こいつもいじめ隠蔽主義者か!!'''まぁ、どうせ関係者なんだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''いっぺん某ホームページ運営者にこてんぱんになじられて来い。それとも[[長谷川穂積]]に一遍ボコボコにどつき回されてくるか?'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また'''&amp;lt;span style=&amp;quot;font-size:15pt&amp;quot;&amp;gt;今までの凶悪事件・重大事故の殆どをフィクションの作り話だと思っている救いようの無い平和ボケの大馬鹿野郎である。&amp;lt;/span&amp;gt;'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やはり&amp;lt;span style=&amp;quot;line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm&amp;quot;&amp;gt;犯罪被害者の感情逆なで狂&amp;lt;/span&amp;gt;である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
良識的な国民はこのバカが裁判員に選ばれないように神に祈るしかないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mkhcan487}}===&lt;br /&gt;
[[ライフ (漫画)|某ケダモノ漫画及びドラマ]]の原作者やファンの真の魂胆の暴露に散々ケチをつけたうえにYourpediaのリンクさえも荒らし扱いするという心の狭さをさらけ出した[[Gakupon]]に同調し、そいつへの抗議を'''「逆切れ」とか「訳わからんトンデモ主張」だなんてボサく'''大バカヤロウ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかもこいつ、自身の利用者ページでも'''排他主義者だと自分で言っちゃってやんの'''。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''こいつは[[長谷川穂積]]に殴られてもいいレベル'''である。「だからなに?」と片付ける事無かれ主義者。厨二病患者でもある。'''誰か、こいつを病院に連れて行け!'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ「自分はその漫画を読んだこともドラマを見たこともない」「その作品を批判するなとは言ってない」とも言っており、そのぶん[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29&amp;amp;diff=79191&amp;amp;oldid=79031 こんなこと]を書くような奴よりは1000億倍マトモとも言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
保守派で好きな言葉は「慣例」「習慣」「伝統」。[[wiki:利用者:かぬま|かぬま]]（現大学生）以外の高校生利用者には威圧的な話し方をする。IPuserを毛嫌いしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Momokkey}}===&lt;br /&gt;
[[バファリン]]などの項目において、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っていることで有名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Morassim}}===&lt;br /&gt;
{{警}}他掲示板では[[モラシム]]を名乗っている。重度の[[ガンダム]][[オタク]]。[[議論]]と称して一方的な長文を書き殴るといった悪質行為を行う。代表的なキモおたくでありガンダム関連ページを他人に編集されるのを酷く嫌いそれが事実でも削除を繰り返す自己中心的気違いキモおたくである。複数のコテハンや名無しを使い分け自作自演を行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|MT.Stone}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[2004年]][[1月26日]]から参加しているベテランユーザー。自身のページに&amp;lt;i&amp;gt;編集方針等を読まない、独自の理論を振り回すなど言ってもわからない人物と判断したときは指摘した後に放置する&amp;lt;/i&amp;gt;と基本方針なるものを掲げる。戸田恵梨香の項目のとある記述を載せるか否かという議論があり[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E5%90%88%E6%84%8F%E5%BD%A2%E6%88%90 Wikipedia:合意形成]にある期間が過ぎ合意形成ができた後に合意形成済みの議論に意見するも議論終了につきから回り、独りよがり。&amp;lt;i&amp;gt;合意形成のプロセスは無視しませんよ（確認）。&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を認めるも、あるユーザーが根拠なしに議論のあった記述に反対すると突然&amp;lt;i&amp;gt;番組中の発言について（再検討）&amp;lt;/i&amp;gt;と合意形成を無視し、記述に反対し始める。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;ノート:戸田恵梨香 - テレビ番組内での失言について、強引な議論により結論が放置されているので再度の議論をお願いしたい。--2008年2月7日 (木) 00:33 (UTC)&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
というコメント依頼も出す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合意形成という編集方針等を読まない、検証可能性どうこう中立性どうこうなどと独自の理論を振り回す言ってもわからない人物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[wiki:Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂|Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂]]においては、政治家の発言を捏造した。つまり証拠を捏造した。その後発言していない、捏造であると批判されるもまともに謝罪せずに削除依頼の議論に参加し続けるありさまである。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索]で調べたところ、平野議員は「問題にしていない」と言明していますね。上記の「問題にしている」と真っ向から違います。また証拠の一部はコピーであって自分は確認していないとも言っていますね。中核派は集会の出席者の一部であり、善良な市民がいたであろうとも述べています。機関誌の記載は事実でしょうが、あくまでも福島の信念を講演したものであり、内容に問題はないように思います。上の方で「記載したいイデオロギーがある」という指摘がありましたが、それを裏付けるコメントのようにお見受けいたします。--[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]] 2008年1月6日 (日) 02:38 (UTC)&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
これに対し、あるユーザーに批判される。&lt;br /&gt;
:&amp;lt;i&amp;gt;**（コメント）ちょっと待ってください。平野議員が'''「問題にしていない」'''と言明していたというのは何月何日のどの会議での話でしょうか。「開会日付：平成11年6月8日 ～ 平成11年6月8日」「院名：すべて」「発言者名：平野貞夫」「検索語(&amp;amp;)：問題にしていない」で検索しましたが検索件数は0件でした。自ら「言ってもないことを言ったと言い出すのは末期的ですね」（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Mightupon&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=17187105]）と発言している[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]]さんが平野議員の発言を勝手に捏造しているなら由々しき問題ですよ。&amp;lt;/i&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|MURMUR4040}}===&lt;br /&gt;
{{警}}「[[豊臣政権]]に興味があります」といかにもフレンドリーな文章がプロフィールに書いてあるが、その実態は[[豊臣秀吉]]を狂信的に信奉している大阪人。というより狂人。秀吉の行った事績は信長のそれを遥かに超越していると信じて疑わない。その主張に都合のいい史料の都合のいい部分だけを持ち出し、その他の部分は一切無視。問い詰めても言葉遊びをしてのらりくらりと逃げ回る。そうやった自分の編集はなにがなんでも消させないようにし、自分の気に入らない編集は全削除。・・・ガキの見本みたいな奴だな。ちなみに以前はプロフィールに大阪在住と書いてあったが、現在は削除。秀吉信者だとバレやすいからだろう。排他主義者のウィキペディアン[http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%8E%92%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3]というページにも名を連ねており、確信犯の厨房であることが分かる。コイツが消えたら即座に編集を差し戻す予定。たとえ何年かかってでもな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Mzm5zbC3}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch|トリップ：Mzm5zbC3}}{{ネットサヨ}}共産主義、社会民主主義思想の青年。気に食わない記事は価値に関係なく徹底的に修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。彼に限らず、極左系列のWP関係者は多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==N==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nakata88}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[#Chichiii|Chichiii]]のダチ。「在日特権を許さない市民の会」など“行動する保守”諸団体に不利な記述を許さない[[ネット右翼]]。ブロック依頼の賛成票投票者に片端から反論して回る異常さが疎まれ、2011年3月に無期限ブロックとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nazox}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}「魔女」と目した相手には高圧的な態度で接するのが特徴。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に疑惑があっても見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nekosuki600}}===&lt;br /&gt;
{{See|茂木紀行}}&lt;br /&gt;
{{警}}{{2ch|猫が好き♪ ◆1GNekodnQQ}}通称：「'''コモノ'''」「'''野良猫'''」。本名は'''[[茂木紀行]]'''（もぎ のりゆき）。[[河下反対派]]の1人。出されるブロック依頼とコメント依頼は他の利用者と比べてダントツに多いのに、未だ長期ブロックを受けない。2011年4月から休眠。2012年ガンで死去。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Nopira}}===&lt;br /&gt;
他言語版からの翻訳などで赤リンクを次々に埋めて行く大物執筆者。アンサイクロペディアでは黎明期に管理者を務めていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|NORN}}===&lt;br /&gt;
非常に身勝手なウィキペディアンの1人。様々な記事において、閲覧者の読み易さを度外視した改悪を行っている。ほとんどが主観的な改悪である。[[アンサイクロペディア]]にも利用者ページを持っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Noritk s}}===&lt;br /&gt;
「ノリタケ・エス」または「ノリタカ・エス」と読むらしい。中部地方の県道と放送局中継所に関する記事の新規作成しかしない異常者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Number}}===&lt;br /&gt;
[[葵龍雄]]のページに於いて葵の善意を疑問視する記述を「論評すんな」と蹴散らした胸のすく利用者。しかし、糞海獺によって無期限ブロックされた!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==O==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Oddmake}}===&lt;br /&gt;
[[wiki:利用者:Lem|Lem]]をやたらと擁護。奴が無期限ブロックされる直前に姿を消す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ohgi}}===&lt;br /&gt;
{{警}}海獺には媚を売り他の利用者は見下す態度から、管理者の立候補に何度も落選。しかし削除者には辛くも当選。&lt;br /&gt;
==P==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|PALNAS,MOSCOW-TASTE}}===&lt;br /&gt;
{{警}}身長9尺の女性。魚津プロジェクトが残した編集を整理（記事の削除依頼など）し、ちゃんとした百科事典になるように頑張っている努力家である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Peachkiller}}===&lt;br /&gt;
{{警}}削除厨、要出典厨。出典の無い記述や記事に対しては[[wiki:WP:OR|WP:OR]]を援用して機械的な削除を強行してくる。その一方で、自分が起稿した記事にはまったく出典を記載しないというダブルスタンダードを展開する。削除するためだけにウィキペディアに来ている目的外利用者である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|PeachLover}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]工作員のように、鉄道関係の項目で価値のある投稿までどんどん削除依頼に出すヤクザとして有名。荒らしと決め付けて、差し戻すこともある。ウィキペディアにおける削除主義者として有名であるが、自分の利用者ページで削除主義者を自称していない。誕生日は7月という説もある。利用者名は桃が好きなことから名づけられた。こいつはしつこい事で悪名高いユーザーであり一度目をつけたユーザーにこれでもかと言うほどの罵倒文を送ってくる。無視し続けるとひらがなで誹謗中傷を行いWPの中でもたちの悪さは随一のユーザーでありこいつは本当に死んだ方が良い。と言うより死ね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「こう言う奴が一番死ぬべきなんだ。削除、削除、削除～～～（凄まじい憤り）!」&lt;br /&gt;
:こいつは私が葬ってやろう。&lt;br /&gt;
:瞬獄殺（削除）!&lt;br /&gt;
:ぐあーーーーー!お前如き糟が私に歯向かおうとは可笑しいにも程があるわ!ふははははふははははふはははは!（思い通り）&lt;br /&gt;
:こうしてPLは粉砕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Cai.Kosukeの彼女の可能性がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Peka}}===&lt;br /&gt;
ウィキペディア日本語版の2007年の気象・天体と地球環境問題関連の記事において、NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を継続的に行っている。彼の編集に正確性など皆無である。また、彼はたくさんのバーンスターを貰っている（木津尚子のように、自分で自分にあげている可能性もある）。彼の投稿内容には、気に入らない企業に喧嘩を売ったような中傷的記述も見られた。&lt;br /&gt;
;主な特徴&lt;br /&gt;
*荒らし行為を繰り返す'''&amp;lt;span style=&amp;quot;color:red&amp;quot;&amp;gt;悪逆&amp;lt;/span&amp;gt;'''なユーザーであるにも関わらず、たくさんのバーンスターを貰っている。&lt;br /&gt;
*これ以上NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を続けるのなら、ウィキペディアから追放されても当然である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Plume}}===&lt;br /&gt;
{{警}}[[北朝鮮]]工作員のように、自身と違う意見は全て荒らし報告する低知能者である。また、これらの荒らし報告を真に受ける管理者達も結局は彼と同じ低知能なのだろう。以上のことから、'''ウィキペディアにおける排他主義者の急先鋒的存在'''。まさに社会のゴミ、ダニ、クズ、ガラクタである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ponta2}}===&lt;br /&gt;
{{2ch}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|project}}===&lt;br /&gt;
{{Main|project}}&lt;br /&gt;
{{警}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|PSIA}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}[[wiki:利用者:Nakata88|Nakata88]]とともに「南京大虐殺」をこっそり「[[wiki:南京事件 (1937年)|南京事件 (1937年)]]」に改名した。多重アカウントの不正利用で無期限ブロック中。議論で追い込まれた時に作りたての[[wiki:利用者:小山武蔵|小山武蔵]]で現れたが、これでバレないと思ったところが呆れる。同じくネトウヨである[[wiki:利用者:Truesight|Truesight]]が同一記事で酷似した編集をしていることから、同一人物の可能性は極めて高い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議論では論破されて無言で逃げるか屁理屈を並べ立てて駄々をこね続けるのが常。２ちゃんねるのウオッチ板に泣きついたこともあったが、擁護されるどころか総攻撃を食らい余計に恥を晒した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Q==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==R==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Radioactive}}===&lt;br /&gt;
Radioactiveはなぜか一般利用者の癖して、[[岡田一祐]]とつるんでいるmixiユーザー。mixiではいぬみみめいどと名乗っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
mixiのログを規約違反を行いながらいろいろな所に晒し発信者開示請求をくらった馬鹿。随分後になってから「食らっていない」という弁明がようやく来たが、信憑性はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
MiyaやToki-hoからのメッセージをmixiでも受け取っていることからMiyaの息子ではないかという説も流れているが、詳しいことはわかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Revolution Rock}}===&lt;br /&gt;
{{警}}暴言や対話拒否など、[[wiki:利用者:Fromm|Fromm]]並かそれ以上にタチが悪いユーザー。記事の引きはがしを行い、編集合戦を誘発させる。本人曰く「ゴミのようなエピソード集は百科事典には不要」との事。アカウント取得当時からリバート行為や削除依頼を中心に活動している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|R34SkylineGT-R V-SpecⅡNür}}===&lt;br /&gt;
{{警}}投稿ブロック依頼や削除依頼に巣食うどうしようもないユーザー。名前からわかるように、車ヲタ。鉄ヲタ・携帯ヲタでもある。また右翼思想でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==S==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|S-PAI}}===&lt;br /&gt;
{{警}}削除依頼、ブロック依頼に常駐し、削除と荒らしのケツを追尾することばかりに精を出し、百科事典作りに何ら寄与していない目的外利用者。ロクに貢献していないことは明白だが自身は貢献度が高いと勘違いしており、対話における姿勢は高圧的である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|S.S.Exp.Hashimoto}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{削}}{{ネットウヨ}}鉄道やネット右翼に関係する記事に出没する荒らし。ウィキペディア内のトークでは「&amp;lt;font color=&amp;quot;orangered&amp;quot;&amp;gt;準特橋本&amp;lt;/font&amp;gt;（&amp;lt;font color=&amp;quot;lightseagreen&amp;quot;&amp;gt;Talk&amp;lt;/font&amp;gt;/&amp;lt;font color=&amp;quot;deeppink&amp;quot;&amp;gt;Contribs&amp;lt;/font&amp;gt;）」、2ちゃんねるでは「準特橋本 ◆c9/R4zMRAI」を名乗っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
他者が書いた内容を独自研究・POVだと難癖をつけて一方的に消去し続けている一方で、自身は多数の記事で出典を出さずに（出したとしても書籍や新聞記事ではなく噂や与太話の類だったりする）ネット右翼的な落書きを繰り返すという明らかに矛盾した主張や活動を展開。詳しくは本人の投稿記録を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ネトウヨにありがちな自称「保守主義者」であるが、このような幼稚な人間の仲間だと思われたら真っ当な保守派にとってはたまったものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|SACHEN}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{U無}}{{C無}}善良なユーザー。ネタサイトが嫌いでアンサイクロペディアやChakuwikiで抗議を行っていたが[[Muttley (利用者)|基地外管理者]]により無期限ブロックされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Saikatsu tramway}}===&lt;br /&gt;
{{無}}Wikipediaや2chを宣伝媒体としか見ておらず自身のサイトをWikipediaに貼り付ける行為を繰り返した挙句、spamとして無期限ブロックされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、2chの鉄道模型板でもスレッドの内容と関係なく自身のサイトを貼り付ける行為を名無しで繰り返している迷惑な輩である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Schokolan}}===&lt;br /&gt;
{{無}}大阪府の学校記事に出没し、自分以外の編集は差し戻す。当然ながら学校記事のプロジェクトには不参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Shin-改}}===&lt;br /&gt;
某省の[[公務員]]。日本の法令の記事を編集。[[wiki:s:利用者:2X5fU2tR7Pc|主にウィキソース日本語版で活動している]]（ウィキソース多言語版の元管理者）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Shizuha}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}[[1974年]]生まれ。メーリングリストでもかなり強権的に活動中。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Shota}}===&lt;br /&gt;
愛称は「'''ショタ'''」。人の編集に対して悪態を垂れ流すのが趣味である。自身の会話ページにおいて、都合の悪い書き込みを「終了分」などと称して過去ログ化すらせずに除去するのもこいつの悪い癖である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Showchan}}===&lt;br /&gt;
{{警}}利用者名が非常に馬鹿げている。中立性や検証可能性を何よりも重視しているため、中立性や検証可能性に欠けた投稿はどんなに価値のある投稿でも容赦なく差し戻す。ウィキペディアにおける排他主義者として有名であるが、自分の利用者ページで排他主義者を自称していない。「嘘は泥棒の始まり=泥棒は殺人の始まり=殺人は地獄の始まり」と言う事を分からない気違いおたく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Sikemoku}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}雑草取り、出典を満たさない記述の削除や著作権侵害が疑われる部分の特定版削除依頼、等、管理行為が中心で威圧的な「魔女狩り」も屡々行う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|SINOBU}}===&lt;br /&gt;
{{警}}編集履歴を見る限りキモオタ。時々[[wiki:利用者:次鋒|次鋒]]という別アカウントを使い、気に入らない記事を削除依頼する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Soh32}}===&lt;br /&gt;
2006年1月15日以来、ウィキペディアに巣くう老害。その低脳っぷりは底辺の10%に属する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Springtide}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{原}}{{削}}強権的な活動で多くの利用者から怨念を買う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Star-dust}}===&lt;br /&gt;
{{警}}上記のロニセラの部下、というよりロニセラを尊敬しているキチガイ利用者。気に入らない記事があれば何が何でも削除しようとする姿勢が特徴である。こんなやつが管理者にでもなったら、ウィキペディアは完全におしまいである（本当です）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==T==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Taka7296}}===&lt;br /&gt;
管理者解任動議を準備にかかったところ報復され無期限ブロックになってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|T34-76}}===&lt;br /&gt;
通称、戦車野郎。オンボロ戦車に見えて意外と射撃の精度が高くコイツの砲撃によってKoba-chanと“はるひ”は撤退に追いやられた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|taked2}}===&lt;br /&gt;
{{無}}本名'''[[竹田津恩]]'''（たけだつ めぐむ）。日本の陽明学者にして心即理達成者。竹田津恩の記事を自らのページにリダイレクトとして作成していたため、竹田津恩は削除され、白紙保護された。管理者の情報公開希望と言う提案を行い反感を買われた。別人を装っていたがその後taked2の情報公開希望にてついに'''中の人が本人であったこと'''を明かした。長きに渡って白紙化保護されている自分自身の記事の保護解除を依頼しているが、'''中の人が本人であるため'''警戒されている。ある人物と対立しソックパペットと疑ってかかる態度がコミュニティから疑問視され、無期限ブロックに至った。自称プロのライター（笑）らしく「ブロックすることはWikipediaにどんな損失になるのか分かっているのか」と発言したことがあったが実際編集していたのが[[榮倉奈々]]などのアイドルとゲームだったため、影響は皆無に等しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tama998}}===&lt;br /&gt;
父親は[[wiki:利用者:Chatama|Chatama]]。1995年8月10日生まれ。知識は皆無で家にあった専門書から書き写すだけの編集を繰り返し、その後何を思ったか管理者に立候補。賛成派からはChatamaによるアドバイスが期待できるなどといった意見が出されたが、些細な編集経験しかなく管理行為もしたことがない、都合の悪い質問をスルーといった問題点によりダブルスコアで却下。確定後は一言の挨拶もなく、Chatamaのアドバイス云々と賛成した連中の顔に泥を塗りたくった。16才の誕生日に[[wiki:利用者:Angelwingmobile|Angelwingmobile]]と結婚したと称し、その後は編集から遠ざかっている。こんなのが管理者にならなくて本当によかったと言える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tamago915}}===&lt;br /&gt;
{{警}}本名は'''[[岸本慎介]]'''（'''きしもと しんすけ'''）。'''削除主義者'''のウィキペディアン。年齢は30代後半くらいのオヤジ。ウィキペディアの主旨に反する投稿は執拗に削除依頼に提出する。彼も[[近畿地方|関西]]出身である。削除依頼の他リバートもしばしば使うので、'''排他主義者'''でもある。'''甚平バーンスター'''の異名を持つ。阪神ファンらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tatsujin28}}===&lt;br /&gt;
{{警}}管理者でもないくせに[[wiki:利用者:R28Bot|R28Bot]]なるボットを使用して編集妨害を行うキチガイ独裁者。R28Botとは一つの記事内に「hyde」と「156」の単語が揃うだけで即刻自動リバートを行う、極めて悪質な言葉狩りボットである。はっきり言って、このようなクソボットから心のこもっていない「ようこそメッセージ」を受け取って喜ぶ奴などいるわけがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ThunderCross}}===&lt;br /&gt;
要出典厨。あちこちのページに出典の明記のテンプレを貼りまくる。もちろん自分で調べる気はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tiyoringo}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ウィキペディアにおけるゴミ利用者として有名。英語版未検証情報のかっぱらい行為（参考 [ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=34800763]）や秘匿を「ひだく」と読む点（参考：[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E7%A7%98%E5%8C%BF%EF%BC%88%E4%BB%AE%EF%BC%89%E3%81%AE%E6%96%B9%E9%87%9D%E3%81%AE%E8%8D%89%E6%A1%88&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=34789711]）が特徴。過去にコアマガジン擁護の目的でWikipediaを荒らして2chにおいて注意喚起がなされたほどのキチガイである。[[小西規勝]]の多重アカウントの可能性もありうる。[[wiki:利用者:Clarin|Clarin]]の投稿ブロック依頼では[[wiki:利用者:Yassie|Yassie]]がソックパペットまたはシンパではないかと指摘されている。仮にそれが事実とすると[[wiki:利用者:ＮｉＫｅ|ＮｉＫｅ]]とYassieの対立は自作自演または茶番の可能性も考えられるだろう。[[wiki:利用者:もりかわしみ|もりかわしみ]]を無期限ブロックに追い込んだ張本人である。削除主義者としてウィキペディアに多大な貢献をしていた[[wiki:利用者:掃除屋ケンちゃん|掃除屋ケンちゃん]]からはYassie、[[wiki:利用者:Lonicera|Lonicera]]と共に3悪人に認定されていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2009年[[6月6日]]の[[wiki:強姦の歴史 の変更履歴|強姦の歴史の編集]]では多くのリンク追加をして「細部の編集」を装いながらさりげなく[[wiki:京都教育大学#集団準強姦事件|京都教育大学集団準強姦事件]]を削除する（参考：[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&amp;amp;diff=26264810&amp;amp;oldid=26207803 2009年6月2日12:21版と2009年6月6日02:04版間での差分]）など、努力家の面もある。「本籍地は住所と異なり、被差別[[部落]]などでなければプライバシー侵害案件とはならない」と筋を通す面もある[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2F%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%89%84%E4%B9%9F&amp;amp;action=historysubmit&amp;amp;diff=28150231&amp;amp;oldid=28150071]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|T.Saito}}===&lt;br /&gt;
{{警}}WPの三悪の1人で通称'''トンズラー'''。恐らくは[[wiki:利用者:Aphaia|Aphaia]]の靴下と協力して書き上げた記事があるのは間違いが無い。便乗者を弁乗者と誤記して、しばらくはネタになった。もちろん、WP日本語版の管理班の1人[http://meta.wikimedia.org/w/index.php?title=Wikimedia_Japan&amp;amp;action=history]。荒らし行為でもなんでもない内容を「荒らし」と決め付ける性格。共産主義者みたいなものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
the saitouとは別人であるという報告があり、利用者ページでもthe saitouとT.Saitoは別個の扱われ方である（T.Saito、はmetaのブロック権限を持つ）。meta-wikiやwikiaの話をする時点で非常に疑わしいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またmetaでも靴下を使って、都合の悪い意見をすぐ差し戻す。[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Wikimedia_Japan_Meta.htm]と[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/Talk_Wikimedia_Japan_Meta.htm]に詳しい。UTF-8で閲覧可能。ここに書かれたのが気に障ったのか、さっさとウィキブレイクしてKMTのように靴下使いに降格した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|TT}}===&lt;br /&gt;
{{ネットウヨ}}各所で偏った編集を行っている。中国や韓国などが起こした不祥事が報道されるとすぐに速報してまわる（ウィキペディアでは「ニュース速報はウィキニュースでやれ」ということになっている）。こういうことしか頭にないのだろうか。気に入らない人物のネガティブなソースを見つけると光の速さで駆けつけて編集する陰湿さや常に湿っぽい雰囲気を撒き散らす点も特筆に値する。一時期『竜王』を名乗っていたが、厨二すぎて恥ずかしくなりこっそりと戻した黒歴史の持ち主。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自身の信条に基づく内容を加筆する際、「日本人は～」「日本人の～」といったようにまるで日本人全員がネット右翼であるかのような書き方をすることも多くネット右翼でない者から見れば迷惑である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみになぜかエロゲー関連の記事などを編集することもある（[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%A1%E3%81%B0%E3%82%93NG%E3%81%AA%E6%81%8B&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16337784 世界でいちばんNGな恋]や[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E5%B0%91%E5%A5%B3&amp;amp;diff=prev&amp;amp;oldid=16469031 人工少女]など）ためエロゲヲタでもあると思われる。普段の根暗な雰囲気といい隠れエロゲヲタであることといい、こいつは恐らく「ニート右翼」なのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Turboranger35}}===&lt;br /&gt;
詳細は[[ヤメレくん]]を参照。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Triglav}}===&lt;br /&gt;
アンチ[[wiki:利用者:海獺|海獺]]を公言し、コメント依頼においては用意した宣言文を返答に貼れと要求するテロリスト紛いの暴挙に出た。当然ながらまともな利用者からは厳しく叱責され、管理者として不適任との批判もなされた。海獺の解任投票では賛成したが信任、その後自分自身も解任投票にかけられたが信任された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Truesight}}===&lt;br /&gt;
韓国のネガ記事編集がメインのネトウヨで[[wiki:石原慎太郎|石原慎太郎]]の熱烈な信者。口癖は「隠蔽です」「ん?」「えっと」。[[wiki:利用者:SLIMHANNYA|SLIMHANNYA]]や[[wiki:利用者:Chichiii|Chichiii]]らネトウヨと共にチーム在特会を組んでいるが、この手の目的外利用者にうんざりしている編集者は多く毛嫌いされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
議論中も度々IPが変わるため何度もアカウント取得を求められるが屁理屈をこねて拒否し、取ってやったと言わんばかりの恩着せがましい態度とともに[[wiki:利用者:東京にふてぃ|東京にふてぃ]]を名乗るもすぐに放置し後に当アカを名乗る。また別人を装い捨てアカ[[wiki:利用者:神代人|神代人]]で暴言を吐いたことを追求されたが、当該アカを明かさない管理者の温情を無にする態度でシラを切り続けた挙句逆ギレ。最終的に証拠を突きつけられて「はぁ、思い出しました。面目ない」とは答えたものの謝罪の言葉は一切なし。この蛮行で無期限ブロックとなったが、二度としないと上辺だけの謝罪で1カ月後に解除。しかし[[wiki:在日韓国・朝鮮人|在日韓国・朝鮮人]]や[[wiki:平清盛 (NHK大河ドラマ)|平清盛 (NHK大河ドラマ)]]などでブロックされたIP:218.226.121.140やIP:218.217.1 30.39等東京のニフティ(infoweb)ユーザーと同一人物でありその都度IPを変え別人を装う極悪利用者。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2ちゃんねるウォッチ板では「鶴」などと呼ばれ、所持アカは上記の他に[[wiki:利用者:PSIA|PSIA]]、[[wiki:利用者:Arstriker|Arstriker]]、[[wiki:利用者:通りすがりの某|通りすがりの某]]、それに加えISP（東京ニフティ、OCN）も使い分けていることが確実視されている。またその香ばしい発言の数々は嘲笑を浴び続け、さすがに堪えたのか活動を停止していたが一旦復帰し利用者ページの編集だけして再び潜伏。使用した形跡がまったくないことから他アカ・IP用の倉庫と思われる。その後、IPで[[wiki:金妍兒|金妍兒]]を荒らし半保護に追い込む。解除後に凄まじい連投で荒らし、同時に別記事ではTruesightで活動を開始。ここまでバレバレな自作自演も珍しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仲間と認識した相手はひたすら擁護する一方で、対立する相手はレッテル貼りで攻撃するなどブロック依頼やコメント依頼が絶えない問題児。また他人には議論中に編集するなと命令する一方で自分は強行編集するワガママぶりや、毎回のように連続投稿し何度も叱られているが理解できないことから精神年齢は小学生並みと思われる。議論では[[wiki:利用者:花鳥風月雪月花警部|花鳥風月雪月花警部]]などに論破され捨て台詞とともに逃げるのがお約束となっているが、'''逆にこいつが論破したケースは1件もない'''。管理者sergeiには韓国絡みの記事に徒党を組んで現れるとまで言われ、その異常さが浮き彫りになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Tommy6}}===&lt;br /&gt;
本名、富澤勇介。北海道大学在学中。誕生日1989年3月30日。[[ウィキペディア]]の利用者であり[[ウィキア]]のヘルパー。[[管理者]]ではないが、名前は有名である。コンピューターなど機械には強いが人間として他人への協調性などに欠ける。他人への気配りや痛みなど人間としての基本的な感情を持ち合わせてはいない。また彼は、[[Wikia]]で唯一の日本人スタッフとして知られている。そのため日本人スタッフが多くなると自分の存在が危ぶまれるので警戒をしている。事実上の[[Wikia]]を独占をしており非難されると利用規約などを盾に正当化している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==U==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Uaa}}===&lt;br /&gt;
[[画像:Breast(WW).jpg|thumb|right|90px]]&lt;br /&gt;
軍オタ。自らの利用者ページで「巨乳が大好き」「Aカップの美人よりGカップのドブスの方が良い」と標榜する変態。[[wiki:利用者:219.106の者|219.106の者]]に対して尋常ならざる敵意を抱いており、隙あらばこの世から抹消しようと画策している。実は[[在日韓国・朝鮮人|在日韓国人]]であり、マスゴミの韓流推しもUaaの情報操作によるものである。利用者ページを見る限りでは保守だが冷戦時代は日本の保守勢力や米国・台湾（中華民国）も北朝鮮を牽制する為韓国を支援していたので、「保守だが親韓」という者がいてもおかしくはない。ましてやUaaは在日なので間違いなく親韓保守と考えてよい。変態Uaaには[[ドクツルタケ]]や[[シロタマゴテングタケ]]、[[タマゴテングタケ]]や[[カエンタケ]]を食べさせてやりたいものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
文中では皇族に「『御』在位」など敬語をつけろと強要し拒否する相手には思想的意図などとレッテルを貼るが、こいつが皇室崇拝という思想的意図でそのような珍説を繰り広げていることは誰の目にも明らかである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
過去に対立した管理者の[[wiki:利用者:山田晴通|山田晴通]]の解任投票では賛成したが、結果は'''1対34'''の大差で信任。私怨による報復として大恥をかいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|UKIDEN}}===&lt;br /&gt;
出身地である四国地方の道路や鉄道、ポケットモンスターSPECIAL関連の記述に執着している。特にポケスペ関連は彼の私物扱いになりつつあり、他の利用者は口には出さないものの呆れ気味である。[[1990年]]生まれのため今年で成人だが、精神年齢は厨房。本人は否定しているが、編集傾向から判断するに[[wiki:利用者:Kinnginnrimeiku|Kinnginnrimeiku]]と同一人物である。他にもいくつかソックパペットを持っているが、一部はブロックされている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Umagurui}}===&lt;br /&gt;
悪質[[VIPPER]]であり[[藤森京介 (七星)|七星]]同様、皆からの顰蹙を買っているのが実情。基地外利用者の代名詞でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|UMBRO}}===&lt;br /&gt;
2ちゃんねるの存在に反対している若い男性。[[第二次世界大戦]]及び[[歴史]]上の出来事関連の意味不明な投稿を継続的に行っている。かつては'''[[wiki:利用者:Kuty|Kuty]]'''というアカウントを使用していた。Kuty時代は管理者選挙にも出馬していた。また、気に入らない投稿は価値に関係なく差し戻しているにも関わらず自身の利用者ページで'''包摂主義者'''を自称している。また、あちこちの[[ウィキ]]プロジェクトで利用者ページを所有している。毎年年末にはウィキブレイクを行っている。陸上競技が好きなようで、自身の利用者ページのサブページに100メートル走の中学歴代ランキングを作成している。完全な目的外使用である。アンブロのスパイクを愛用していたようで、利用者名のUMBROもそれにちなむと思われる。本業はアスリートかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==V==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Vigorous action}}===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]の'''元'''ビューロクラット・チェックユーザ・ボットオペレータ・[[管理者]]、7人いる[[ビューロクラット]]の一人であった。また、Vigopybotというボットを飼っている。[[戸籍名]]は、非公表である。大阪府在住。本スレでの愛称はV悪。他人の個人情報など警察でしかわからない個人情報を入手することに長けている。多重アカウント狩りにより、[[wiki:利用者:荒井白石|荒井白石]]、[[wiki:利用者:青山権兵衛|青山権兵衛]]、[[wiki:利用者:目蒲東急之介|目蒲東急之介]]、[[wiki:利用者:ナカムーラ|ナカムーラ]]ら、良心的な[[ウィキペディアン]]に対して、無期限ブロックを課している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
問答無用のリバートが反発を招きコメント依頼を出されるが、そこでも聞く耳を持たず自己正当化に終始。自ら解任動議を出し僅差で'''解任'''された。その後の会話ページでは投げやりな返答を連発した他、険悪な関係となっていた[[wiki:利用者:海獺|海獺]]が信任されたにもかかわらず管理者行為の中止を要求するなど精神不安定状態となり周囲に混乱を引き起こした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==W==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==X==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Y==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yamaguchi Jinsei}}===&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yassie}}===&lt;br /&gt;
''詳細は[[八島良太]]を参照''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
読み：やしー、やっしー。田中康夫とは一切関係ない。人のメールを無断転載することで悪名高かった&amp;lt;ref&amp;gt;[http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikija-l/2007-May/001589.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;。'''貢献度、害悪度、人間性、どれを取ってもウィキペディア日本語版史上最低最悪の利用者'''。極度の[[西洋かぶれ]]で、愛すべき日本国やウィキペディアの先輩ユーザー・模範的管理者に対する忠誠心は呂布よりも低かった。かつて某記事での議論において、しょうもない意地を張ったために[[wiki:利用者:Sudpex|Sudpex]]と[[Mikihisa]]のソックパペット・Delmoreから殺害予告を受けてしまったというある種可哀想な人物でもあった。実生活でもパシリが多いのか、出張で時々いなくなることがあった。生涯埼玉に住み、なおかつオハイオ州に留学した可能性はきわめて低い。少々の翻訳と記事修正だけの2ちゃん組の一員で、ろくな記事執筆がなかった。元のハンドルネームはnanassie[http://www.google.co.jp/search?q=nanassie&amp;amp;hl=ja&amp;amp;lr=&amp;amp;start=20&amp;amp;sa=N]。かなり昔からおり2ちゃん用語も妙に使用しているので、2ちゃんのパシリなんだろうか。30過ぎてそんなことしか出来なかったのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ときどき巨大翻訳爆弾を投下する。もちろんその翻訳はめちゃくちゃであるが、管理者のソックパペットであるゆえに決してブロックされることはなかった。頭に血が上ると下手な英語でキレだした。日本語でいいじゃん。どうせ相手は日本人のガキなんだからさぁ。英語を使う仕事をしていると称していたが、実際の英語力は英検の5級にも合格できないほどである。自動翻訳ツールで機械的に翻訳していたため、ぼろぼろであった。典型的TOEIC英語。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また自らの奴隷である草皆康友こと[[wiki:利用者:Bellcricket|Bellcricket]]を使い、自分への投稿ブロック依頼を提出した人物を意味不明の理由でブロックした後に依頼を一方的に打ち切るという行為に出た。まさに社会性皆無の人間であることをこの一件でヤッシーは示してしまったのだ。30を過ぎて何のスキルも社会性も、愛国心すらもない男の将来がパチンコ店員・新聞拡張団員・受刑者のいづれかしかしかないことは火を見るより明らかであった。その上、大和撫子よりも巨乳金髪白人女性を愛するというある意味[[Chatama|ちゃたま]]をも上回る変態性欲者でもあった。だから当然のことながら生涯独身であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
座右の銘は「'''ズバリ、ハッキリ、ありのまま'''」、「'''私は口先だけで行動の伴わない人を信用しません'''」。ウィキペディアをゲームだと思い込んでおり、栄誉の殿堂と称して自分の作成記事を並べているナルシスト野郎だった。Cproは尊敬するが、海獺やぱたごんにはなめた態度を取っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
管理者の立候補には誰であろうと反対し、逆に解任依頼には必ず賛成するという、管理者減らしの急先鋒。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yassy0411}}===&lt;br /&gt;
上述の[[八島良太|Yassie]]のソックパペットと思わせるような名前であるが、どうやら別人である。主に道路関連記事に出没していたが、議論中にもかかわらず勝手にrevertや編集を行い、注意を受けると自分の都合のいい持論を展開したうえ自分のコメントをコピー＆ペーストするなど議論する態度を見せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
道路関連記事のウィキペディアンは何とか彼と対話を持とうと努力したものの全く受け入れないどころか「'''他人の編集の後始末をしているのだ'''」等と悪びれた態度を見せる中、よりによって[[またーり]]にケンカを売った（彼が作成した山梨の記事にいちゃもんをつけ統合依頼を出すという山梨関連記事になると熱くなるまたーりに対してやってはいけない行為である）ためまたーりが激怒、コメント依頼で議論が交わされる中またーりが現れるや否や「'''議論がループしていて話にならない'''」「'''ウィキペディアの方針を熟読させるべき'''」という理由でブロック依頼を喰らう。最初はまたーりに「'''言動について根に持たれている'''」などと対決姿勢を見せたYassy0411であるが、彼の横暴な態度に疲れ果てた道路関連記事のウィキペディアンや[[ウィキペディア自警団]]も参加し徹底的に吊し上げられると「'''もうしません許してください'''」「'''他編集者とのやり取りを見直し改善に努めることといたします'''」と命乞いをするも時すでに遅く、結果2ヶ月の投稿ブロックを受けた（無期限にするとただの逆恨みと思われることを危惧したまたーりが理由をつけて期限付きブロックにしたようである）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ブロックそのものより人格を否定されたことがショックだったようで、その後彼を見かけたものはいない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yatobi}}===&lt;br /&gt;
{{2ch}}{{警}}{{削}}Wikipedia利用者の1人であり、SpinNet（旧：AT&amp;amp;T WorldNet Service）から存在している電波。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
通称「夜飛」で本名は城間康博。自分のホームページで本名やPHSの番号を公開していたため読んだ側が逆に退いてしまう変態。無職だったので親に強引に実家の静岡に呼び戻され、今はニート。論争ではどんなおかしな理屈でもどうにか通そうと固執する癖があるためこいつに出会ったら話に負けたフリをして相手しない方が良い。ちなみに利用者ページでは自分で書いた骨付き肉の自画像を掲載している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
トリップはないが[[2ちゃんねらー]]である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
独自研究のエッセイを投下し続けているが誰もその事に対し怒らないのは日本語版の利用者が皆白痴だからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yhiroyuki}}===&lt;br /&gt;
{{警}}警察や自衛隊が不祥事で批判されると弁護に回る（該当記事参照）。Zucwildと同様に海獺のシンパ。アニメオタクで魔法少女モノ専門。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yukichi99}}===&lt;br /&gt;
{{警}}本名は[[福澤俊]]。人の意見をすぐ削除することで有名&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead1.htm]（エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://mywebpage.netscape.com/kasumoerer/yukichi_dead2.htm]（エンコードはUTF-8でご覧ください）&amp;lt;/ref&amp;gt;。要出典を貼り付けることぐらいしか仕事がなく、執筆面でも草取りでも実績が全然ない。しかし参加時期が古くウィキペディア日本語版を牛耳っている連中にすりよっているため態度だけはデカイ。だがそのデカイ態度が災いしてもじら組を除名された。漫画の台詞を31歳にもなってそのままコピーして快感を得ており、話題の割には大して面白くない人物でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[http://www.flickr.com/photos/alexsh/1016352230/]に写っているのは岩瀬とその父親、福澤、そして[[wiki:利用者:間久部緑郎|間久部緑郎]]が含まれている可能性が高い。全員日本人ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
外部のブログでウィキペディア日本語版の内容信頼性について疑義を述べる評論がされていると、出かけて行って弁護コメントを付ける[[ウィキホリック]][http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/2226]。コメントでは「ゆきち」のハンドルで署名する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Yuutan}}===&lt;br /&gt;
{{ネットサヨ}}[[奈良県]]出身の極左主義のウィキペディアン。自分の主旨に当てはまらない投稿は容赦なく修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。彼に限らず、[[近畿地方|関西]]出身の利用者には極左主義者が多い。また、彼は極度の'''ウィキペディア中毒'''でもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|yard}}===&lt;br /&gt;
[[ウィキペディア]]では[[wiki:利用者:Vigorous action|Vigorous action]]の[[多重アカウント狩り]]、[[ウィキア]]では[[wiki:利用者:Tommy6|Tommy6]]により、[[無期限ブロック]]となる。その後、自殺未遂を起こし一時利き腕を使えない状態に現在も指の一部がうまく使えない。極度の'''ウィキペディア中毒'''とも取れる発言が読み取れる。本人は、パニック症を患っているとも発言しているが審議のほうは定かではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==Z==&lt;br /&gt;
==={{WPuser|ZCU}}===&lt;br /&gt;
{{警}}2007年までは「全中裏」の名義で活動していた。知的財産権に造詣が深く、何でもかんでも著作権侵害と騒ぎ立てる削除厨に待ったを掛けられる貴重な存在だが時々御乱心して露骨なコピペにまで「'''創作性、思想または感情の表現が見られないから'''」いって存続票を投じるので削除依頼に常駐している人々からはHimetvやNekosuki600と共に犯罪を是認、奨励するアウトロウと認定されて嫌われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Ziel}}===&lt;br /&gt;
{{警}}ウィキペディアが誇るブロックキング。半年間で5回の短期ブロックを受ける別名ミスター・ダブルスタンダード。M属性のため対話拒否・改竄・削除をわざと行いブロックされることにエクスタシーを感じている。またソックパペットを使い、場を荒らした後水戸黄門のごとく登場することで人望を得ようとしているがうまくいっていないらしい。最近おいたがすぎるので[[wiki:利用者:Nekosuki600|親分]]に怒られている。本人は1番弟子の気分だが、親分から'''Zeal'''と名前を間違われるくらいの存在でしかない事に気づいていない。挙句の果てにOpenProxy使いに長期にわたって粘着されるザマとなってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==={{WPuser|Zuckwild}}===&lt;br /&gt;
{{警}}{{ネットウヨ}}[[産経新聞]]ファン。同社と紙面の名誉を傷つけられる記述には我慢ならず、即刻リバートを行なう。[[wiki:利用者:Gordon_S|Gordon_S]]を敵視しており[[海獺 (利用者)|海獺]]のシンパ（靴下かも）。[[wiki:利用者:Miya|Miya]]の靴下である疑いが非常に高い（「Sockpuppet|海獺」テンプレが即座に外された）。2008年7月から音沙汰なし（これだけでもソクパペの疑い濃厚）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==注釈==&lt;br /&gt;
&amp;lt;references/&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==関係事項==&lt;br /&gt;
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
*[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]] &lt;br /&gt;
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{利用者}}&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディアン|*A]]&lt;br /&gt;
[[Category:ウィキペディア|りようしやA]]&lt;br /&gt;
[[Category:利用者|ういきへていあA]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=187800</id>
		<title>利用者:訂正</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://44.233.173.13/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E8%A8%82%E6%AD%A3&amp;diff=187800"/>
				<updated>2013-05-23T14:07:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;訂正: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;この世の正義を実現すべく活躍する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 今後の予定 ==&lt;br /&gt;
;[[オラン・ペンデク]]&lt;br /&gt;
:[[カテジナ・ルース]]の項をエゴ丸出しの編集で荒らしていた[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:近頃は書き込み回数が極度に減っている模様。最も新しいものは2013年3月。あと2～3年様子見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[ラッツ]]&lt;br /&gt;
:[[斬鉄]]（月華の剣士）の項を荒らしていたヴァカ。まともにプレイしたこともない。&lt;br /&gt;
:2012年を最後に編集しなくなっていたので、本日修正をかました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;[[MURMUR4040]]&lt;br /&gt;
:[[豊臣秀吉]]が近世への転換を成し遂げたという脳内妄想をそのまま妄言としてネット公共地に垂れ流している[[ヴァカ]]&lt;br /&gt;
:しばらくは様子見。編集しなくなったところで処刑する。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>訂正</name></author>	</entry>

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