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		<title>村上武吉 - 変更履歴</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;新しいページ: &amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;村上（能島） 武吉（武慶）&amp;#039;&amp;#039;&amp;#039;（むらかみ（のしま） たけよし、&lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A9%E6%96%87_(%E5%85%83%E5%8F%B7)&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;天文 (元号) (存在しないページ)&quot;&gt;天文&lt;/a&gt;2年（&lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=1533%E5%B9%B4&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;1533年 (存在しないページ)&quot;&gt;1533年&lt;/a&gt;）頃 - &lt;a href=&quot;/mediawiki/index.php?title=%E6%85%B6%E9%95%B7&amp;amp;action=edit&amp;amp;redlink=1&quot; class=&quot;new&quot; title=&quot;慶長 (存在しないページ)&quot;&gt;慶長&lt;/a&gt;9年[[8月22日 (旧暦)...&amp;#039;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;'''村上（能島） 武吉（武慶）'''（むらかみ（のしま） たけよし、[[天文 (元号)|天文]]2年（[[1533年]]）頃 - [[慶長]]9年[[8月22日 (旧暦)|8月22日]]（[[1604年]][[9月15日]]））は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に活躍した[[瀬戸内海]]の海賊大将である。能島[[村上水軍]]の当主。[[村上義忠]]の子。子に[[村上元吉|元吉]]、[[村上景親|景親]]。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[村上氏]]の遠祖は[[清和源氏]]または[[村上源氏]]ともいい、[[平安時代]]の末頃から[[伊予]]の[[河野氏]]と結んで瀬戸内に勢力を張ったと伝わる。[[南北朝時代 (日本)|南北朝]]のころ、南朝のてこ入れのため[[北畠顕家]]の息子が村上家に入り[[村上師清]]と名乗ったのが後の三島村上氏の先祖となると言われるが、この人物を[[北畠氏]]側の史料では確認できないようである。いずれにせよ村上氏の出自は定かではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
村上師清の子供は[[能島]]、[[来島]]、[[因島]]の3島に分かれて、勢力を張った。代々伊予の河野氏との関わりも深かったようであるが、周防の[[大内氏]]の勢力が伸びてくるとその傘下にも入った。3島は一応、能島を宗家としていたが因島は安芸の児玉氏や[[小早川氏]]と親しく、来島は伊予の河野氏に近いなどそれぞれの利害関係はかなり異なり、独自に行動することが多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 生涯 ==&lt;br /&gt;
=== 家督相続まで ===&lt;br /&gt;
[[永正]]5年（[[1508年]]）、[[大内義興]]が京に上ったとき中国地方の多くの大名、豪族が従ったが、曽祖父・[[能島雅房]]もこの時京に上り、数人の子供を作った。これが能島で作った子供達との間で家督争いを行い、能島の内乱となる。幼くして祖父・[[村上隆勝|隆勝]]を暗殺され、自らの命も危うくなったために難を避けて島を離れた。やがて能島に戻ると[[村上吉益|吉益]]とそれを支援する来島勢を叔父の[[村上隆重|隆重]]の支援も受けて破り、能島当主となった。吉益が病死すると[[来島通康]]と和を結びその娘を娶り、村上三島の頭領格となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 厳島の合戦以降 ===&lt;br /&gt;
[[天文 (元号)|天文]]24年（[[1555年]]）の[[毛利元就]]と[[陶晴賢]]の[[厳島の戦い]]の際には「1日だけの味方」の言葉に引かれて毛利方に加担して、以降毛利との関係を深めると言われるが、実際に能島水軍が毛利方に加勢したかどうかについては見解が分かれ、確証が得られていない。しかし、以後毛利氏の[[周防国|周防]]、[[長門国|長門]]の平定に協力し瀬戸内海一の水軍勢力となり、同時に海賊行為をやめた。[[塩飽諸島]]など瀬戸内の他の水軍衆とも手を結んだ他、一族重臣である[[村上隆重]]を備中[[笠岡城]]、嶋吉利を備前児島[[本太城]]、村上武満を周防[[上関]]と瀬戸内の要衝を抑える位置に置き、通行する船から[[帆別銭]]（通行料）を取り立て、大いに栄えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[永禄]]12年（[[1569年]]）、毛利の九州攻めが失敗すると[[大友氏|大友]]、[[三好氏|三好]]等と関係を深め、[[元亀]]2年（[[1571年]]）、毛利元就が亡くなると公然と反毛利の姿勢を取った。しかし、[[小早川隆景]]が素早く能島攻めの軍を起こすと来島、因島もこれに従ったため、孤立した能島は隆景に降り、毛利への忠誠を誓わされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毛利が[[織田信長]]と戦うと、村上水軍は小早川、児島、乃美水軍などと共に毛利方水軍として活躍し、特に[[天正]]4年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]（[[1576年]][[8月7日]]）の[[第一次木津川口の戦い]]では主力として大勝を収めるが（自身は参加せず、子の元吉が参戦している）、信長の鉄船6隻と戦った天正6年（[[1578年]]）11月の[[第二次木津川口の戦い]]では惨敗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 海賊禁止令 ===&lt;br /&gt;
その後、中国攻略にあたった信長の家臣・[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]から調略を受けるがこれを断り、織田方についた来島を占領する。しかし天正10年（[[1582年]]）に起こった[[本能寺の変]]の後、秀吉と毛利が和睦し、来島の返還を要求してくるとこれを拒否し四国攻めにも加わらなかったため、再び小早川隆景に攻められ能島を明け渡し、隆景の所領竹原に移住させられた。さらに天正16年（[[1588年]]）、秀吉の[[海賊禁止令]]に背いたとして豊臣政権から詰問を受け、子の元吉が上洛して弁明にあたったようである。以降、隆景に従って[[筑前国|筑前]]に移り、隆景の跡を[[小早川秀秋|秀秋]]が継ぐと毛利家の家臣となって所領のある長門に移動、秀吉の死後は再度瀬戸内に面する[[備後]][[竹原]]（[[広島県]][[竹原市]]）へと戻ったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
家督を継いだ[[村上元吉|元吉]]、その弟[[村上景親|景親]]らは、毛利、小早川勢に従って朝鮮で戦い、続く[[関ヶ原の戦い]]では西軍として、[[伊勢湾]]沿岸、[[紀州]]沿岸、[[阿波国]]を攻め、[[加藤嘉明]]の[[伊予松前城]]を攻めたが、[[佃十成]]の[[三津浜夜襲]]により、元吉は討ち死にしている。戦後、毛利氏が防長2カ国へと減封されたのに従い再度竹原を離れ（これを竹原崩れと称する）、[[徳川幕府]]の制海権掌握にともない、ここに村上水軍は壊滅。これ以降は毛利の家臣として元吉、景親の2系統が[[防府|三田尻]]で船手衆を務め、[[朝鮮通信使]]の警護などを行うことになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
武吉は慶長9年（1604年）に亡くなり、現在の[[山口県]][[大島郡 (山口県)|大島郡]][[周防大島町]]（旧・東和町城山）に館跡と共に墓所がある。中国人を妻に娶っていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 作品 ==&lt;br /&gt;
*「[[秀吉と武吉]]」（[[城山三郎]]）&lt;br /&gt;
*「村上武吉」（[[岳真也]]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[category:村上氏|たけよし]]&lt;br /&gt;
[[category:水軍|むらかみたけよし]]&lt;br /&gt;
[[category:戦国武将|むらかみたけよし]]&lt;br /&gt;
[[category:戦国大名|むらかみたけよし]]&lt;br /&gt;
[[Category:1533年生|むらかみたけよし]]&lt;br /&gt;
[[Category:1604年没|むらかみたけよし]]&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
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